明け方になって少しうつらうつらとしたものの、まんじりともせずに夜が明けた。
少しも休んだ気がしないが、朝になれば否応なしに家を出なければならない。
仕方なく重い身体を引きずって、湾岸署へ出勤した。
だが、署に入ると、顔を合わせるなり、いきなり驚かれてしまった。
「青島さん! どうしたんですか! その顔!?」
部下の篠原夏美と、交通課の野添久美子が立ち話をしているところに出会し、二人ともに驚きの声をあげられた。
夏美は長年、交通課にいたから、刑事課に異動した今も、交通課の婦警とは仲が良い。刑事課には女性がすみれしかいないから、時折、交通課に行って話をし
ているようだった。
二人揃って驚かれてしまった青島は、思わず聞き返す。
「そんなに酷い?」
朝、鏡を見ていた時は、まだ頭がぼんやりとしていたせいか、そう酷いとは思わなかった。
「三日徹夜したみたいな顔になってますよ」
いつも、顔を合わせる夏美がそういうなら、確かにそうなのだろう。
横にはなっていたから、身体は休めている筈なのだが、やはり精神的な負担が顔にも出ているようだ。
そう思った時、久美子が不意に前に出て、青島の顔を覗き込んできた。
その行動に驚いて、思わず青島が腰を引きかける。
久美子はこれまでの湾岸署にはいないタイプで、婦警の中でも目立って可愛いのだが、どこか人とは、ずれているところがある。
いつも人が見ないところを注目し、人が気付かないところに着眼する。
それは仕事の上では有用だったが、日常においては、どこか不思議ちゃん的なムードを漂わせていた。
「オーラがないです」
その言葉に、思わず夏美と二人して顔を見合わせる。
「は!?」
意味不明の言葉に、青島が戸惑っていると、久美子がそれを補足してきた。
「青島さん、いつも幸せそうな、満たされてますって感じのオーラが出てるんです。今日はそれがありません。何かあったんですか?」
言い方は不気味だが、何かがあった事は確実に見抜いている。
鋭いそれにぎくりとすると、頷いて夏美も同意し始めた。
「それわかる! 青島さん、彼女いないって言う割に、私生活充実してますって感じがすごくしてる。じゃあ、恋人と別れたとかなんですか〜?」
夏美までが面白がって、一緒になって青島の顔を覗き込んでくる。
「……ちょっと! 冗談でもそんな事言うの止めて!」
今はもしかしたら、そういう危機が本当にあるかもしれないのだ。たとえ嘘でも、そういう事は言われたくなかった。
だが、青島の妙にせっぱ詰まった物言いに、逆に夏美達は納得してしまったようだ。
「じゃあ、恋人と喧嘩しちゃったんですね」
皆には付き合っている人はいない、と公言してある青島は、慌てて否定した。
「違うから!」
そう言っても、夏美達はただ笑うだけだ。
「またまたぁ〜。いいんですよ、私達には誤魔化さなくたって。誰にも言いませんから」
二人で顔を見合わせて、頷き合っている。
「本当にいないって!」
そう言っても、もう信じてもらえない。
「そういう事にしてあるんですよね〜。……で、相手は誰なんですか? すみれさんじゃないですよね」
疑われている時は、いつもすみれが隠れ蓑になってくれていたが、今は面と向かって否定をすれば、ますます相手を捜索されてしまうだろう。
「…………」
青島が口ごもっていると、久美子が言った。
「すみれさんとは仲が良いけど、恋愛じゃなくて、姉弟みたいな感じ。青島さんには他にもっと愛してくれる人が側に居ますよね」
それに夏美が、うんうんと頷く。
「姉に使われてる弟みたいな! 青島さん、世話の焼ける弟って感じですもんね。でも、じゃあ、誰に愛されてるんですか〜?」
夏美が楽しげに、青島にまとわりつく。
それに嫌そうな顔をして、青島は夏美を促した。
「もう、いいでしょ。ほら、刑事課に入って。仕事、仕事」
廊下で立ち話をしている間に、もう就業時間が迫っていた。
青島は夏美を引っ張って、仕事へと追い立てていった。
その日は一日、夏美に暇さえあればまとわりつかれて、青島は困っていた。
青島の恋人に興味津々で、隙あらば探ろうとしてくる。
若く見えるがもう二児の母なのに、いつまでも学生のようなところがあった。
もっとも、かつて女青島と呼ばれた彼女と、人から同じように思われている事に、青島自身は少しも気付いていない。
そして彼女のそんな様子は、他の強行犯係のメンバーにもすぐに気付かれた。
「夏美さん、今日、どうしちゃったんでしょう。青島さんに何かあったんでしょうか?」
そう聞かれても、さすがに夏美もこの話を広めようとはせず、言葉を濁す。
「んん? 何でもない、何でもない」
手を振って誤魔化すが、いつもの夏美と違うのは誰の目にもはっきりとわかっていた。
好奇心いっぱいで、はしゃいでいるからだ。
どう見ても、青島に何かがあって、それを面白がっているとしか思えない。
そして、その当の青島はそれとは裏腹に、疲れた様子で、全く元気が無かった。
昨日からそういった感じはあったが、今日の方がそれが倍増している気がする。
昨日とはうってかわって、今日は事件の起こらない日だったから、余計に差異が目立つのだ。
「青島さん、昨日からおかしいよな」
「はい。絶対に何かあったんですよ!」
「俺もそう思う」
「……でも、何があったかは……」
「聞かせてくれないんだろうなぁ」
「夏美さんに聞いた方が早いんじゃないですか?」
パソコンでまた何かを作成していた栗山が、不意に顔を上げて、そう言った。
話を聞いているとは思わなかったが、栗山も青島の様子が気に掛かっていたのだろう。
「聞いたけど、言わねーんだよ」
「だから尾行するんですよ。捜査の基本でしょ」
刑事に向いてないと、自他共に認める栗山にそう言われて、緒方は言葉に詰まる。
「ずっと後を付けてたら、青島さんの何に興味を持ってるのかきっとわかりますよ。そこから探りましょう。将を射んとすれば先ず馬を射よ。おじさんのノート
にもあります」
和久がノートを見ながら言うのに対して、緒方は突っ込んだ。
「それ、ただの故事だろ」
夏美を絶えず注視していたら、理由はすぐにわかった。
昼休みをわざわざ交通課の婦警と示し合わせて取って、情報交換していたからだ。
どうやら青島は、恋人と喧嘩をしてしまったらしい。
そしてその恋人は誰なのか、夏美は探っているようなのだ。
それを聞いた和久は、すぐに言った。
「じゃあ、すみれさんと喧嘩してるんですよ! すみれさん昨日、機嫌悪かったから、きっとそれですよ」
疑問が解けたと言うように、和久が断言するが、それには緒方は疑問を抱いた。
恋愛には不得手だと自負している緒方だが、それでも自分の目から見てもそうは思えない。
確かに青島とすみれは仲が良いが、和久が言うように、恋愛関係にあるようには見えないのだ。
単なる同僚や、友人の域を越えた特別な存在である事は間違いない。
長年、二人を見ていてそういった絆は確かに感じるのだが、そこに恋愛感情はないような気がする。
けれど、では、誰が青島の恋人なのかというと、他に見当が付かない。
青島は誰とでも仲良くなるが、特に親しい女性というと、思い当たらなかった。
唯一、大事に想っているとはっきりわかるのが、すみれなのだ。
ならばやはりすみれなのかと思うが、それだとどうも釈然としない。
緒方が青島とすみれの関係に首をひねっていると、和久がこう切り出した。
「すみれさんに話を聞いた方がいいかもしれませんね」
その言葉に緒方が後ずさる。
「だったら、お前が聞け! 俺は嫌だ」
和久もそれに反射的に答える。
「そんな! 僕だって怖いですよ!」
すみれに話を聞くのが一番早いとわかっていても、怖くてとてもそんな事は聞けなかった。
もしも本当に青島が恋人ならば、余計な口出しをしていると怒られるだろうし、逆に恋人でないなら、そんな風に思われている事を怒られるだろう。
刑事課で青島を除いて、最も有能で、最も恐れられている存在だ。
迂闊な事は出来なかった。
二人で暫く、葛藤を続けたあげく、最後に出た結論はこうだった。
「やっぱり、こういう事は本人に聞くのが一番ですよ。青島さんに聞きましょう」
それにあっさり緒方も同意する。
「そうだな」
青島から話を聞き出すのは難しいだろうが、すみれに対峙するよりはまだいい。
そう結論を出して、二人は青島に突撃した。