朝から気怠い思いで、青島は湾岸署に向かっていた。
昨日の夜、室井からすみれとの見合いの話を聞いてから、ずっともやもやした気分が消えない。
室井ともセックスを拒んだせいか、起きた時からずっとぎくしゃくしている。
あのまま続けていても、何か遠い出来事のように思えて、身体がそれに付いていかなかった。
反応しないで、無駄な労力を使わせるぐらいなら、最初から止めておいた方がいいと思ったのだが、室井が酷く不安そうにしているところを見ると、感じなく
てもあのまま続けていた方が良かったのかもしれない。
受け身の立場なら、勃起しなくても応じる事は出来る。挿入されたなら、さすがに最後はその気になれたかもしれないのだし。
室井があの様子なら、当分、家に帰ってもずっと気まずいままだろう。
そう思うと、楽しみだった家に帰る事さえ、気詰まりになる。
室井と一緒に暮らし始めて、そんな風になった事は初めてだった。
勿論、諍いがこれまで無かった訳ではないが、その前が四年も離れて暮らしていたから、とにかく側に居たくて仕方が無かった。
何か気に食わない事があったとしても、それを抑え込んで、なるべく争わないようにしてきたのだ。
その努力は自分よりも、室井の方がずっと大きかっただろう。
特に生活面では、以前から室井に負担を掛ける事が多かったが、一緒になってからは、一人でいる時よりも、ずっと楽に過ごせるようになっていた。
気持ちの上でも、生活面でも充実していて、まるで室井に自分の面倒を見てもらっているようなものだった。
まさに結婚をしたような状態で、室井と居る事が本当に幸せで仕方がなかった。
なのにその室井が、すみれと見合いをしたと聞いただけで、気持ちが落ち着かなくなる。
もうそれは室井の結婚を阻止する為で、だからこそすみれが相手だったとわかっているが、それでもこの話を聞いた時のショックが未だに治まらなかった。
こんな気持ちのままで出勤すれば、当然、それは周囲にも伝わってしまう。
だから、なるべく明るく元気に振る舞っているつもりだったのだが、さすがにいつも身近にいる人間にはすぐばれた。
「なによ。室井さんにちゃんと聞いてこなかったの?」
すみれも相変わらず不機嫌なままだったが、青島と顔を合わせるなり、すぐにいつもと様子が違うのを見抜いた。
「断られたって聞いたし、真下にも、潰す為にすみれさんを紹介したって聞いた」
それにすみれが頷く。
「やっぱりね。……でも、じゃあ、なんで暗いのよ」
すみれも、真下には詳しく話を聞いていなかったらしい。
「……うーん、なんかショックで……。室井さんとも気まずいし」
隠そうとしてもすみれには隠せない。ありのままの自分の気持ちを語った。
「はー……」
すみれがその返答にため息を吐く。
「あたしと室井さんがどうにかなる訳ないでしょ。なんでショック受けてるのよ。青島君に協力はしてあげるけど、あたしまで巻き込まないでよ」
自分でもよくわからないもやもやを叱咤しつつも、思いやりを見せてくれる。
そういうすみれを好ましく思いながらも、どうしてこれほど二人の見合いにダメージを受けているのか、自分でも不思議に思っていた。
二人にその気がない事も、そもそも結び付ける為の見合いではなく、壊す為だった事も、今ではわかっている。
なのに、何故、嫌な思いが消え去らないのだろう。
自分に隠し事をしていたからか、それとも二人が知らないところで通じ合っていたのが嫌なのか。
おそらく後者だろう。
もう少し仲が良くなってくれたらいい、と思っていたのに勝手なものだ。
室井とすみれとでは、向ける感情の種類は違っても、どちらも自分にとっては失いたくない存在だから、その二人がもしも結びついてしまったら、双方を失う
事になってしまう。
可能性は無いに等しいが、もし二人の気持ちが変われば、そういう事だって、あり得ない訳ではない。
二人とも互いを敬遠しているが、逆に言えば、それだけ認め合っているという事でもある。
すみれが他の男と結ばれようと、室井が他の女といくら出会おうと、心が揺さぶられはしないが、この二人が結び付いてしまう事だけは怖い。
そうなったら、それを拒む事も、中に割り入る事も出来ないからだ。
ただ、諾々とその結果を受け入れるしか出来なくなるだろう。
その可能性に思い至ると、自分でも驚く程、衝撃を受けてしまった。
けれど、現実にそうなった訳でも、これからそうなる訳でもない。
その事はもう忘れて、早々に気持ちを切り替え、室井との関係を修復しなければと思う。
今回の事にしても、室井は少しも悪くないのだ。
なのに、不安にさせてしまった事が申し訳なかった。
早く帰って室井に詫びたいが、さすがに昨日早く帰らせてもらったので、今日は引き上げにくい。
これといった事件が無いといいが、と実際にそうなったらいつもは退屈してしまうにも関わらず、青島はそう思っていた。
しかしやはり、そういう時に限って事件が頻発してしまう。
一つ一つは大きなものではないが、矢継ぎ早に起きる事件に強行犯係が総出で、各現場に駆けつけ、怪我を負いながら被疑者の確保、取り調べと、走り回って
いた。
青島も現場に辿り着くと、別の事件で呼び出され、後を部下に任せてそちらの捜査を始めると、今度は署で問題が起きて呼び戻されるといった具合で、息を付
く暇も無い。
一介の捜査員だった頃は、ただ事件だけを追っていれば良かったが、係長になると現場の捜査だけでなく、一つ一つの事件の采配までも考える必要がある。
さすがにそうなると室井の事を思い煩う暇も無かったが、頭の片隅ではずっとそれが気に掛かっていた。
早く帰って、室井と話がしたいと思いつつも、今日は遅くなるという連絡すらいれられない状況だった。
定時をとうに過ぎ、強行犯係の他は宿直の者だけしかいなくなると、遠方に住んでいる者や、家族のいる部下から帰らせ、残るは和久伸次郎と青島だけになっ
た。
被疑者の取り調べは全て終わったが、供述調書、報告書の類を済ませなければ仕事は片付かない。
そういった書類仕事は手間が掛かるので、つい目を掛けている和久に手伝わせてしまいがちだった。
なので不平を言いつつも、手伝ってくれる和久をそのまま放っておけず、ある程度片が付いたら、だるまに軽く飲みに行こうと誘う流れになる。
本音を言えば早く帰りたいが、和久を腹を空かせたまま帰らせるのも忍びない。こういう事ばかりが続いていたら、その内、信頼関係を損なってしまうだろ
う。
せめて負担を掛けすぎた時だけでも、労ってやらなければならなかった。
室井には遅くなる、食事はいらないとだけメールを送り、その日は和久と軽く飲んで帰った。
結局、軽くと言っても、行った時間がそもそも遅い。
帰った時には既に終電間際で、家に着いたら日付を越えていた。
室井には悪い事をしたと思いつつも、酔って気が大きくなっているせいか、あまり気が咎めずに中に入る。
だが、家には室井は居なかった。
電気が付いていないのは、てっきりもう休んでいるからだと思っていたが、寝室にもいない。
慌てて携帯を確認したが、着信もメールも入っていなかった。
それを見ている内に、段々と酔いが醒めてくる。
昨日のあれがあった後だけに、まるで行方をくらまされたような気がしてしまうのだ。
今まで、室井がそんな行動に出た事は一度も無いから、まさかとは思うが、連絡が一切無いのは不安だった。
捜査本部の管理官をしている頃は、約束が守れないのも、連絡をしている暇も無いのも普通だったから、気にならなかったが、今は違う。
遅くなる事はあまりないし、あっても必ず連絡をくれる。
何かがあったのだろうか、と青島は気になった。
自分との事が原因なのか、それとも連絡が出来ないような突発的な問題が起きたのか。
どちらにしても、気がかりなのは確かだった。
その夜は、一日駆けずり回って身体はくたくたに疲れていたのに、少しも眠れずに過ごした。