「……室井さんて、あの室井さんだよな」
 青島の知る室井は、この世にただ一人しか居ない。
 すみれが口にする室井も、おそらくあの人しかいないだろう。
 ならば、室井がすみれの見合いに関わっている、という事になる。
 だが、室井がすみれに何かをする、という事が、信じられない。
 時を同じくして出会っているから、二人も十七年に及ぶ付き合いになるが、実は仲があまり良くない。
 そもそも室井がキャリアであるという事で、最初からすみれの心証はあまり良くなかったし、それ以降も、湾岸署での盗聴や、女性の被疑者に肩入れしすぎて いる、という問題で揉めた経緯がある。
 それが解決して以降も、二人が歩み寄る事は無かった。
 どちらも信頼の置ける人物である事は確かだし、それ自体は互いに今は認めているのだが、けして個人的に親しくなる事はない。
 どちらも、仕事や自分を介しての付き合いしか持とうとしなかった。
 すみれの方は過去に起きた問題のせいで、室井が悪い訳ではないとわかっていても、今も悪感情が消せないのだろうし、室井は室井で、自分と最も親しい女性 だという事で、いつもすみれに悋気を起こしている。
 これでは、互いに親しくなれないのも無理は無い。
 どちらも青島の愛する人なのだから、仲良くして欲しいとは思うが、もう十何年もこの調子だから、諦めている。
 だからこそ、そんな二人が見合いというプライベートな事柄で関わる、とは全く思えなかった。
 そうでなくても、室井は人の見合いの世話なんか焼く男ではない。そもそも室井自身が公的には独身なのだから、世話を焼いているどころではなかった。
 ならば、自分とすみれとの仲を引き裂く為に、と普通なら思うかもしれないが、室井はそんな真似は絶対にしない男だ。
 だからどうしても、室井がすみれの見合いを世話するとは考えられないのだ。
 しかし、すみれがああまではっきり言うからには、室井が関わっているのは間違いない事実だった。
 一体どういう事なのかと、青島はその日、勤務中もずっとそれが頭から離れなかった。
 携帯やメールではじっくり話を聞けないから、とにかく家に帰ってから、室井に詳しく事情を聞こうと、就業が終わるのを待つ。
 幸いにして、その日は事件が飛び込んでくる事もなく、書くべき書類はいくつも残っているけれど、いつもより早めに切り上げさせてもらった。
 日頃、休みなく働いている青島を見ているから、たまに早く帰っても、部下も口を挟んでこない。今日は何か用事があるのだろうと、思う程度だ。
 だが、こういう日に限って、いつもとは逆に室井の方が遅くなると連絡が入った。
 一緒に住み始めてから、室井の方に家事を任せてしまう事が多かったので、何もなければ、張り切って日頃出来ない世話を焼いていただろう。
 しかし居なかったとしても、やらなければならない事には変わりない。
 青島は珍しく、室井のために食事の支度をして、先に風呂にも入り、準備万端で帰りを待っていた。
 幸いにも、日付が変わる前に室井が帰ってきて、食事が手つかずのままにならずに済んだ。
 青島が準備をしていてくれた事を知り、室井が目を細める。
 それを嬉しく思いつつも、時刻も遅いので、慌ただしく食卓を囲んだ。
 じっくり話をする暇もなく食事を終えると、室井を風呂に送り込んで、後片付けをする。
 この辺りも普段とは逆だが、効率良くする為には、どちらがどうなどとは言ってられない。一方に負担が集中しても、とにかく手の空いてる方、やれる方がや らなければ何も片付かない。
 双方共に忙しくても、一緒の時間を過ごす為に、自然とそう動くようになっている。
 おかげで室井が寝室に来る頃には、青島の方も全ての用を済ませ、共にベッドに潜り込む事が出来た。
 室井が嬉しげに自分を抱き寄せようとするのを見て、青島は軽く制止する。
 拒みたい訳ではないが、もし事が始まってしまうと、話など出来なくなってしまう。
 そのまま朝まで寝入ってしまって、また慌ただしく飛び出して、結局話を聞けないまま、一日中悶々としてしまうのだ。
 すみれも機嫌が宜しくないから、さぞかし居心地の悪い思いをする事だろう。
 だからゆっくり話を聞けなくても、とにかく何が起きたのかだけでも聞き出したいと、青島は室井に向き直った。
 その様子を見て、室井も何か言いたい事があるのだと、察してくれたようだ。
 幸せそうな表情を改めて、仕事の時のような真剣な顔付きになる。
「どうした?」
 どう訪ねようかと青島が考えあぐねると、室井の方が先に切り出してきた。
 言うに言えないような事があるらしい、と救いの手を差し出すような気持ちでいるのだろう。
 どう考えても、何気なく自然に聞き出せそうにないので、青島はこちらに真剣に向き合っている室井に、単刀直入に切り出した。
「室井さん。すみれさんの見合いって何なんですか?」
 そう問いただした途端、いきなり室井が目を逸らした。
 それを見た青島も、表情を変える。
 十何年と付き合ってきたが、こんな室井は今まで見た事が無い。
 まるで、浮気を見咎められた男のような態度だ。
 まさか室井が浮気をするとは思えないが、何かただならぬ事態が起きているのだと気付き、血の気が引くような、総毛立つような、言いしれぬ不安が押し寄せ てくる。
 それでも何が起きているのか、聞き出さなければ対処も出来ないと、青島は自分を見ようとしない室井を追いかけて、再度問いかける。
「室井さん? 何があったのか、教えてくれますね」
 室井の手を取り、両手でギュッと挟み込みながら目を見つめると、室井は観念したのか重い口を開いた。
「……池神長官に、そろそろ身を固めるのもいいんじゃないかと……恩田君に引き合わされた」
 室井の口から飛び出てきた単語に、青島は驚きの声を上げる。
「はぁ!?────」
 すみれの見合い、浮気疑惑、様々な問題が浮上していたけれど、こんな話は全く予想もしていなかった。
 室井に見合いの話はこれまで数々あっただろうし、自分の知らないところで、見合いを強制されていた事もあっただろう。
 けれどその相手は、どこかのご令嬢や、有力者の娘であって、まさか、すみれがその対象になるとは考えた事もなかった。
 どうしてそんな話になってしまったのかはわからないが、池神長官の引き合わせでは、室井も断り切れなかったのだろう。
 道理で、室井が気まずそうに目を逸らす筈だ。
 室井が悪い訳ではないが、青島にとっては面白くない。
 室井がすみれを選ぶとは思わないし、すみれの方でも、いくら警視総監になる可能性のある男であっても、室井との結婚は考えないだろう。
 だからこそ、自分に聞かないで室井に聞け、と言ってきたのだ。
 互いの気持ちはそれでわかるけれど、それでも青島は気が治まらなかった。
 不快な思いのまま顔を歪めていると、室井がそっと近付いてくる。
「……わかってると思うが、恩田君とは何でもない」
 さっきの自分のように手を挟み込み、目を見て何も無かった事を訴えた。
 何も無い事は最初からわかっているが、そうされて少しだけ気持ちが落ち着き、表情は変えないまま、青島は問いいただした。
「……何で、すみれさん? ……なら、どうして今まで黙ってたんすか?」
 どうして相手がすみれなのか、そして何故、何も言ってくれなかったのか。
 今まで見合いの事など聞きたくなかったし、言われても困っただろうが、相手がすみれなら言って欲しかった。
 見合いの相手が顔も知らない女性と、それなりに付き合いのある女性とでは、全然状況が違ってくる。
 事前にそう聞いていれば、こちらも心構えが出来るのだ。
 なのに陰でこそこそと動かれ、そしてそこに疚しさがあるのなら、もしかしたら多少は心が動かされたのではないかと、心配になってしまう。
 咎めるようにそう問いただすと、室井は困ったように口を開いた。
「……黙ってて悪かった。断る間もなく、会議室でいきなり引き合わされたんだ。一緒に居る時が他に無いからと」
 その言葉に、また青島が憤る。
「……それって、俺がシン・スヒョン逮捕しようとしてた時ですか! あんた、何やってんですか!?」
 青島の勢いに珍しく室井が後込みながら、弁解する。
「……だから、いきなりそういう話になったんだ。恩田君が会議室に居たから」
 そう言えばあの時、すみれは現場に居なかったな、と青島は思い返す。
 違和感を覚えつつも、部下が事件の被害者でもあったので、何が何でも逮捕をと、指示や励ましに忙しく、そこまで気にしていられなかったのだ。
 ならばその為に、すみれは会議室に居残っていたのかと、今になって気が付く。
「……じゃあ、最初からそのつもりで来たんですか?」
 その言葉には、室井もきっぱりと反論した。
「違う。捜査の最中にそんな事する訳ないだろう。恩田君は、真下署長が連れてきたんだ」
 ここでまた思い掛けない名前が飛び出してきて、青島が聞き返す。
「真下が?」
 室井はそれに頷いて、真相を打ち明けた。
「これは真下署長が持ってきた話だ」
 そこまで聞いた青島は、携帯に飛びついて、登録してあるキーを押し、相手に叫んだ。
「真下っ──!! 何してくれてんの、お前!?」
 もう日付も越えた真夜中に、階級も敬称も一切無視の青島の怒声が響きわたる。
 室井が慌てて止めようとするが、青島の憤りは簡単には治まらない。
 警察官ならば真夜中であっても、電話には必ず出るし、非常識と咎められる事もないが、それはあくまでも事件に絡んだ話であって、プライベートではそれは 通用しない。
 だから、出た相手も当然、そのつもりで受け答えしてきた。
「すみません、青島さん。正義さん、今、携帯置いたまま、お手洗いに行っちゃって。事件ですね! すぐ代わります」
 その声と口調で、真下正義の妻となった、元捜査員の雪乃とわかる。
 青島もそれに気を削がれて、挨拶を始めた。
「あっ、ごめん、雪乃さん。夜中に電話して。久しぶり。子供達、元気にしてる?」
 有能な女性捜査員だった雪乃だが、二人目の出産後、惜しまれながら退職した。
 署にとっては居なくては困る存在だったが、事件によって家族を失った雪乃が、子供に恵まれて幸せになる事を、誰もが喜んだ。
 署長になった真下を見ていると、幸せでいるらしい事はわかるが、どうしているのかは気に掛かる。
 暫く近況を話していると、真下が戻ってきて、代わってくれた。
「青島さん、こんな夜中に何なんですか?」
 緊急の用事でもない事は、雪乃との態度でわかる。
 毎日顔を合わせているのだから、雑談なら署で充分だ。一体、何事なのかと、真下が訝しがる。
 だが、電話を変わった途端、青島の怒声が再び、響いた。
「真下っ──!! お前、見合いって、何!? 何で、すみれさんと室井さんに見合いなんかさせんの!」
 
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