湾岸署一同を挙げての式典となる筈だった、王明才の結婚式から一転して、大捕り物となったシン・スヒョンの逮捕劇から数週間後。
当事者だった王を除いて、日々の雑務に追われる捜査員達は、事件の記憶が薄れつつあった。
そんな折り、事件の指揮官であった警視庁の鳥飼誠一管理官が、湾岸署に姿を見せる。
数カ国にまたがる国際犯罪らしく、逮捕された後も、数週間も前になるシン・スヒョンの捜査がまだ続けられていたが、それも今回で一区切り付くらしい。
署のエレベーターで出会した鳥飼に、青島俊作が挨拶をすると、そう事件の顛末を聞かせてくれた。
スヒョンの逮捕をしたのは青島だったが、そこから先は一介の所轄捜査員には、残念ながら関わる事は出来ない。
そのまま署を出ようとする鳥飼を、感謝の意を込めて青島が見送ろうとすると、急にくるりと向き直り、予想もしない事を言い出した。
「そう言えば、この前のお見合いはどうなりましたか? まさか、捜査中に会議室でお見合いが始まるなんて、驚きましたよ。僕はてっきり、青島さんがお付き
合いしているんだとばかり思ってました」
何を言われているのか理解が出来ず、青島がきょとんとしていると、鳥飼は返事を待つ事なく、さっさと迎えの車に乗り込んで帰ってしまった。
「みあい……?」
問われた事の意味が、ようやく理解できたのは、鳥飼を乗せた車が、見えなくなってしまってからである。
「あーっ!! 見合いか! ……って、誰が?」
見合いといえば、すぐに思い出されるのが、結婚適齢期を過ぎてしまった、警察庁の室井慎次である。
キャリアは早くに結婚するか、四十を過ぎてからの遅い結婚になるかのどちらかが多いが、室井はもう五十に近いくらいの年齢になっていた。
キャリアとしても、遅すぎるくらいなのだが、それでも有望な男として、今でも見合いの話が来ているようだ。
もっとも、それはあくまでも建前で、実際には三年前から事実上の結婚生活を送っている。
それが公表為されないのは、偏に相手が同じ男である、この青島だったからだ。
室井と青島は、十七年前に警視庁捜査一課管理官と、所轄捜査員として出会い、やがて男同士ではあるが恋愛関係に至り、数年間の別離を経た後に、周囲には
内緒で一緒に暮らし始めた。これは事実上、婚姻関係を結んだのに等しい。
当初から階級差のある二人だったが、室井が警察庁長官官房審議官にまで昇り詰めた現在、階級も性別も、全く持ってあり得ない、普通なら想像も出来ない組
み合わせとなっている。
ごく一部にその事実を知っている人間もいるが、一般的には、仲が良い事は知られていても、真実の関係は誰にも悟られていない。
故に、室井には見合いの話が頻繁に来ているようなのだが、その事は室井は一切、青島には話さなかった。
話されても青島にはどうしようもないし、それに今更、室井も女を選ぼうとは全く思ってないだろう。それくらいなら、最初から同居などしたりしない。
何しろ、十年以上も付き合った末の結婚なのである。
互いにとって、この関係がリスキーであるとわかっていても、室井の異動によって物理的に離ればなれになっても、それでも相手と別れる事をどうしても選べ
なかった。
だから、今の青島は室井にどんなに見合いの話が来たとしても、何の心配もしていない。
そういった事も乗り越えた末に互いを選んだからだ。
それで見合いと聞いた時、また室井に話が来たのかと思ったが、すぐにそうでない事に気付いた。
鳥飼は、青島と付き合っていると思っていた、と話していたのだ。
ならば、鳥飼は自分と室井との関係を知らないから、別の誰かと付き合っている、と思い込んでいた事になる。
もっとも、鳥飼はどことなく得体の知れない男なので、実は室井との関係に気付いていた、という可能性も全く無いとは言えないのかもしれない。
だがそうでないなら、自分と付き合っていると見なされている誰かが、会議室でお見合いをしたのだ。
そうなると、思い浮かんでくる人物は、一人しかない。
同じ湾岸署の同僚である、女性捜査員。恩田すみれだ。
お互いに独身で、年が近くて、仲が良い。よく一緒にいるので、自然とそういう仲だと見なされがちだ。
付き合っていないと、双方共に言っているのだが、まだ結婚する気がないだけで、いずれはまとまるんだろう、的に思われる事が多い。
既に室井と一緒に暮らしているから、今後もそういう事は絶対に無いのだが、残念ながらそれは口外できなかった。
だから、すみれに良い人が現れて、その噂が自然と消えていくのを待つしかない。
そのすみれに、お見合いの話があった。
自分に関しては、室井との事が疑われずに済むので、その噂がありがたい部分もあるのだが、すみれの方は、自分との噂があるばかりに、近寄る人間が居なく
なるのではないかと、内心申し訳なく思っていたところだ。
うまくいけばいい、と青島は思った。
余計なお世話になるから何も言えないが、すみれも、もういい年だ。良い人と結ばれて、幸せになってくれればこんなに嬉しい事はない。
親しい間柄だからこそ、青島もすみれが幸せになる事を真剣に願っている。
ただ、お見合いというと、以前、丸の内署のキャリアが一目惚れして、お見合いに漕ぎ着けたものの、犯人に回し蹴りをするすみれに恐れをなして逃げていっ
た事が思い出されてしまう。
黙っていれば、小柄でほっそりとした、しとやかな美人なので、そういう事がまたあってもおかしくない。
本当は内面も、少し迫力がありすぎるものの、皆に信頼される人なので、そういう良い部分を知った上で相手の男にも好きになってほしい、と青島は思う。
どういう男なのか、今度こっそり聞き出して、それによっては、出来る限りの応援をしようと、青島は決意した。
「すみれさん、ひょっとして……見合いとかした?」
手の空いているすみれを見計らって、青島は屋上へと連れ出した。
夏、冬は気温が厳しいが、春、秋は天気が良ければ、新湾岸署の屋上は良い憩い場になる。
今もよく晴れた陽が、波に反射してきらきらと輝いていた。
綺麗なそれを二人して眺めながら、青島は何気ない風を装って、それを聞き出す。
「あら、早いわね。もう耳に入ったんだ」
意外そうに、すみれが青島を見る。
「うん、まぁ。……それで、どうなの?」
伺うように青島も見返すと、すみれが眉を潜めた。
「どうって……心配なのはわかるけど、それをあたしに聞くの?」
どういう男なのか、を聞くつもりでいた青島は、予想外の返答に、戸惑いの声を上げた。
「え?」
思わず注視した青島に、すみれが更にたたみかける。
「相手が間違ってるんじゃない?」
その相手がわからないから、すみれに聞いたのだ。
戸惑う青島に気分を害したように、すみれが立ち上がる。
「え? ちょっと、待ってよ、すみれさん!」
慌てて追いかけようとする青島に、すみれが去り際に言った。
「室井さんに聞いたら?」
その言葉に青島はまた困惑して、すみれを追いかける事も出来ずに立ちつくしていた。