読んだ月別、ジャンル別のインデックスがあります。
■■本の感想タイトル・インデックス■■

本の感想 2006年10月

『殺人方程式 切断された死体の問題』, 綾辻行人
『プレイ ―獲物― 上・下』, マイクル・クライトン
『かえっていく場所』, 椎名 誠
『奇術師の密室』, リチャード・マシスン

タイトル 著者
レーベル名 定価(刷年月),個人的評価

『殺人方程式 切断された死体の問題』 綾辻行人
講談社文庫 本体:629円(05/02初)、★★★★☆
 新興宗教団体の教主が殺された。儀式のために籠もっていた神殿から姿を消し、頭部と左腕を切断された死体となって発見されたのだ。厳重な監視の目をかいくぐり、いかにして不可能犯罪は行われたのか。二ヶ月前、前教主が遂げた奇怪な死との関連は? 真っ向勝負で読者に挑戦する本格ミステリ。

 新興宗教団体の女性教主が謎の死を遂げて、教団の実権を握った夫も殺された。車から見付かった凶器によって、父を憎む息子・光彦が逮捕される。警察好きの妻のために刑事になった明日香井叶も捜査に加わった。叶の双子の兄・響は、事件に疑問を感じ、弟に成りすまして事件の解明に乗り出す。

 新興宗教の権力争いとか、教主になるための儀式とか、刑事の弟に成りすまして事件の捜査をする双子の兄とか、おおよそ現実感のない設定だけど、こういう設定なら作中で人が殺されても、読者は余り痛みを感じなくてすみ、トリックと謎に焦点を絞って楽しむ事が出来る。でも、好みで言うと社会派ミステリとまで言わなくても、現実感のある方が好きだ。

 設定こそ非現実的だけど、話の流れは細かなところまで気が配られていて良く出来ている。主人公の刑事と双子の探偵役のキャラが面白かった。彼らが登場する前の作品もあるだろうと想像しながら読んでいたが、違うのかも知れない。「読者への挑戦」があるけど、この時点では犯人も事件の真相も分からなかったが、納得できるトリックだった。

 サブタイトルにもなっている“切断された死体の問題”に関しては、苦労して切断しなくても良い解決方法があるので、鮮やかな謎解きとは言い難い。別の目的もあって切断したとあるので、間違ってはいないけれど……。偶然が重なり過ぎるエピローグは過剰に感じた。  

『プレイ ―獲物― 上・下』 マイクル・クライトン
ハヤカワ文庫NV 本体:各760円(06/03初)、★★★★☆
 失業中のコンピュータ・プログラマーのジャックは、ナノテク開発に携わるハイテク企業ザイモス社に勤める妻の異変に気づいた。性格などが、まるで別人のように一変したのだ。さらに、末娘に原因不明の発疹が出たり、不審な人影が出現するなど不可解な出来事が相次ぐ。おりしもザイモス社では異常事態の対処に追われていた。軍用に開発したナノマシンが、砂漠の製造プラントから流出し、制御不能に陥ったというのだが……。

 失業中のジャックが、働く妻に代わって家事や育児をこなす毎日。仕事が忙しい妻の苛立ちと家族との擦れ違い。この小説の書かれた当時のアメリカを象徴する光景なのだろうか? そんな日常から徐々にナノテク絡みの異常事態へと話が展開していく。日常的な前半がちょっと長いと感じるけど、失業の焦り、妻との溝、子育ての色々な騒動などがきっちり押さえられていて興味深く読んだ。

 リスクを無視した先端技術が不慮の事故を招くという点で『ジュラシック・パーク』(ハヤカワ文庫)に似ているし、極めて小さな未知の性質を持った何かが襲ってくる恐怖という点で『アンドロメダ病原体』を彷彿とさせる。ナノマシンに生物の基本的な性質をプログラミングする事と、ナノマシンの生成方法に有機的な部分を加味した事で、機械的なナノマシンが恐ろしい生物の様に感じられる。

 本書のような事態になるまでは、まだ幾つもの技術的な壁がある事を、本書やその解説を読んで感じた。技術的な設定の飛躍が大きくて、現実のナノマシンの研究に対して危惧を感じるには至らなかった。舞台が研究所に移ってからのドキドキの展開は文句なく楽しめたが、単なるアクション映画になってしまっているのが、SFファンとしては残念なところ。テーマがテーマだけに、もう少しSFっぽく展開して欲しかった。  

『かえっていく場所』 椎名 誠
集英社文庫 本体:495円(06/04初)、★★★★☆
 三十年住んだ武蔵野の地を離れ、妻とふたりで都心へと居を移した「私」。ゆっくりと確実に変化していく日常と、家族の形。近づいてくる老いと沈殿していく疲れを自覚しながら、相変わらず取材旅行に駆けまわる毎日だ。そんなとき、古い友人の悪い報せが「私」を大きく揺るがせる……。『岳物語』から二十余年。たくさんの出会いと別れとを、静かなまなざしですくいとる椎名的私小説。

 私小説とあるけれど、エッセイを読んでいるような感じが強かった。これまでも椎名さんの作品は小説とエッセイの境界が余りなかったけれど、小説では登場人物の名前や職業を変えたり、小説的な文章で書かれたりと、ある程度の区別があった。本書では偽名も使わず「私」という一人称で、取材旅行の多い小説家の日々が語られる。まるでエッセイを読んでいる気分になる。

 何人かの知人の死を経験し、子供たちも独立し、年老いていく妻と自分に直面した小説家の日々。以前よりちょっと元気なく、それでも忙しく仕事をこなしていく日々が切ない。海外で暮らす子供たちが時折帰国して、親をいたわる姿が温かい。人生にはいつか終りがあり、輝く若さを失って老いていく。そんな事をしんみりと感じさせる良く出来た小説だと思う。

 小説としてきっちり良く出来ているので、「私」=「椎名誠」なのか少し疑問を感じている。エッセイならば「私」=「椎名誠」と信じて読むのだけれど、私小説にはフィクションの部分はないのかな。何もかも正直に書いてしまっているように見えて、「私」という人物を主人公にしたフィクションなのではないかとちょっと思い始めた。  

『奇術師の密室』 リチャード・マシスン
扶桑社ミステリー文庫 本体:800円(06/07初)、★★★★☆
 往年の名奇術師も、脱出マジックに失敗し、いまは身動きできずに、小道具満載の部屋の車椅子のうえ。屋敷に住むのは、2代目として活躍する息子と、その野心的な妻、そして妻の弟。ある日、腹にいち物秘めたマネージャーが訪ねてきたとき、ショッキングな密室劇の幕が開く! 老奇術師の眼のまえで展開する、奇妙にして華麗、空前絶後のだまし合い。

 マシスンさんの小説は、SFやファンタジー系の作品しか知らなかったので、ミステリとは意外だった。しかし、植物人間となった老奇術師の目の前で繰り広げられるどんでん返しの連続の殺人事件となると、マシスンさんらしいとも思う。

 往年の名奇術師の屋敷を舞台に、植物人間となった老奇術師の目の前で、2代目として活躍する息子とその妻、そして妻の弟とマネージャーを巻き込んでの愛憎劇が展開する。騙されていたと思っていた人物が騙していたり、殺されたと思った人物が生きていたり、仲間だと思った関係が裏切っていたりと、どんでん返しが連続する。

 展開的には、どんでん返しが過剰すぎてどうでも良くなってくるが、部屋に仕組まれた数々の仕掛けや、折々に語られる奇術のテクニックなどが興味を引く。ラストは納得させられるが、一連のどんでん返しからすると驚きが弱い。一風変わったミステリという事で十分に楽しめた。