安らぎ

人は、心が疲れたとき、安らぎを求め、本当の幸福は安らぎであると、思うときもあるでしょう。私は、幸せに安らぎは欠かせないが、それだけではだめだと思う。

私は、幸福には@自立A共存B向上C安らぎの4つが大切だと、考えています。

でも、それは、どれかひとつあればいいということで、挙げたのではないということを強調したい。

昔、幸せに必要と思うことをとにかく箇条書きに、ノートいっぱいに書き込みました。

皆さんなら、どういうことを書き込むでしょうか。・・・掲示板はこちら

私は、当時書き込んだことを覚えてはいませんが、
たとえば、お金、
たとえば、恋人、
たとえば、豪邸(家)
たとえば、能力
たとえば、友人
たとえば、家族とその健康
たとえば、やりがいのある仕事
名誉、有名になること
自由、やりたいことをやれる環境
人に命令できる立場
甘い夫婦生活が続くこと
けんかがないこと
戦争がないこと
たとえば、あのゲーム機
ぱそこん

そうすると、状態・能力と、道具や物に分かれます。幸福な状態も幸福に役立つ物も、結局は人間の力、自分自身の力によって手に入れるものだ、それが、私の出発点。
そして、その、自分の力といったときに、自立心、共存心、向上心の3つが大切だと考え自立力、共存力、向上力の3つを手にいれたいと、若かりし私は考えたわけです。(今も、若いのですが。)すべては、この3つの力さえ大きければ、何でも出来るに違いない(今は、そう思ってません)

人は愛を求めるもの、しかし、その愛も求めるだけで人に与えないものであるなら、やがて、人から嫌われ、重たいと感じさせるものです。子供であって愛を与えられるものであっても、やがて成長しても人に与えず貰うだけを求める人間は重荷を与えることとなる。

自立は自由を手に入れる唯一の手段、しかし、自由ばかりで人の心を無視して人の嫌がることをし続けていれば、愛は失われる。

愛も自由も、手に入れたと思ったら、手の間から砂がこぼれるように、さらさらと、去っていく。
そこで、ああ、あそこがだめだったのか、と自然と気がつく(気がつかない人もいるが)
あるいは、心痛むけんかや、失望や失敗のあと、なんとか、自分がどこが足りなかったのかを考える。どこが、余分だったかを考える。次から、余分なことをせずにいこう、足りないものを手に入れよう。そう考える。負ければ、鍛える。鍛えて負ければ、もっと鍛える。それも、これも、その時幸せの道は、こっちだと、(なんとなくでも)思った方向へすすむため。それが、向上心

愛を求め、自立を求め、向上を求める。

それでも、幸せはやってこない。それでも、幸せはやってこない。

ピンと張った弦楽器の弦。素敵な音は適度に張り、適度にゆるめたとき出る。
本当に頑張ればいいのか、頑張るしかないのか。頑張って、頑張って、頑張ればいいのか。
それが、本当の幸せか。ロックはともかく、クラシック音楽は、心も静かでないと、楽しめるものではない。心を落ち着け、心を沈め、こころを静かにしたとき、静かに、心にしみるクラシック。


私は、ひとにより、能力の違いがあると、感じています。自立・自由の得意な人、共存の得意な人、向上の得意な人。


安らぎは、向上とセット、昼と夜のように、安らぎの後には、行動・情熱・向上が必要であり、行動の後には、安らぎが必要。

涙が心の汗というのは、本当ですね。

平成13年5月24日



 自立心・共存心・向上心という言葉があります。自立力・共存力という言葉もあり、向上力という言葉はありませんが、ありそうなことばです。この際だから、作っちゃいましょう。
 でも、安らぎの心、というのはわかりますが、安らぎ力なんて、全然ありそうにない言葉。これは、いくらなんでも、すぐ、作っちゃうわけにはいかないかも。
 でも、作っちゃいます。つくづく、自立の力の人により違いがあり、共存力も人により違いがある。
向上心も、人によりほんとに違いますねぇ。
 しかし、しかし、私が常日頃から、感じているのは、安らぎ力こそ大きな違いが人により認められるということ。そんなことで、悩まなくてもいいのに、とか、あんなに、大変なのになぜすいすい生きているのかとか。みんな、幸せを目指しているのに、こんなにも違う。
 みんなで、安らぎ力を磨きましょう。

平成13年6月8日、しまった、9日