Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 00 黄昏時のOverture

 
  まだ何も始まっていない、戦争という日常がまだ存在していた頃。
  こんな日々すら、平穏だと思っていた。

「黄昏時のOverture」

「あ、そのコート。僕と色違いなんだね」
 話しかけて来た声に顔をあげると、線の細い男が片手を上げて立っていた。
 彼の言うとおり、二人のコートは確かに色が違う他は、全く同じデザインのものだった。
「そうみたいだな」
 相手をする気分にはなれなかったので無愛想に答えたが男は構わず、テーブルの向かいの席に座り込んだ。
「どうして黒にしたんだい?」
「人の死に慣れ、人殺しに慣れて、どす黒く染まっていく俺にふさわしいからだよ」
「ふーん。見かけに寄らず、場数を踏んでいるみたいだね」
 見かけに寄らずと言う割には、男も自分と同じような年齢に見える。
「……そういうお前はどうなんだ? どうして白なんだよ」
「僕? 僕は、自分の腹黒さを隠す為さ」
 そう言って男は口の端を上げた。
「無駄だな。お前の話し方全てが、『僕は腹黒です』って言ってるように思えるよ」
「手厳しいな。僕は江藤晃司。君は?」
「……鳳拓也だ」

「拓也! 何をぼーっとしてるんだい?」
 晃司が自分を呼ぶ声で、ようやく拓也は我に返った。
「……あ、ああ。ちょっとウトウトとしていたみたいだ」
 ここで正直に『ちょっと昔の事を思い出していた』などと言ったら、何と言ってからかわれるか分かったものじゃない。
「寝不足かい? こないだみたいに、作戦中に倉庫にしけ込んで昼寝なんてしないでくれよ」
「わーってるよ。あん時はこっちの部隊が一方的に押してて暇だったからだってのに……」
「そういう問題じゃないってのに……」
 西暦2020年9月。月政府軍が日本自治領への進軍を開始してから、もうすぐ半年になろうとしていた。月政府軍の進攻の勢いはめざましく、今では岡山と兵庫の地区境にまで進軍してきている。
 拓也達は今、兵庫地区の甲子園市にある武器工場の防衛任務を引き受けていた。が、この任務はオープンワークでもリミテッドワークでもない。二人が所属する雇兵組織、「RAY−WIND」を通してはいるが、晃司と拓也の派遣を名指しで要求してきたのだ。
 どうにも妙な話だったが、一応は正規ルートで斡旋された依頼だ。条件も悪くないし、話を二人に持ってきたRAY−WINDの担当者に、晃司はちょっとした借りがあった。半ば強引に押し切られて任務を請けたが、その経緯がどうにも拓也には不満だったようだ。
「だいたい、探してた本を貸して貰ったとかその程度の理由で、なんで命がけの仕事を引き受けなきゃならないんだよ!」
「本は素晴らしいじゃないか。字さえ読めれば、誰にだって等しく知識と興奮を与えてくれる」
「読むよりも実体験の方が百倍楽しいし、有意義じゃねぇか」
「人間が出来ることには限界があるからね」
 二人を乗せた軍用バスは、住民が避難したあとのゴーストタウンをひた走り、やがて目的地である武器工場へと辿り着いた。かつては野球場だったものを軍が接収し、グラウンド内に工場を作っている。

 この工場へと月政府軍が攻め込んできたのはつい先週の話だ。戦力はほぼ互角。ほぼ相討ちという形で戦闘は終結した。
 そうした戦力の消耗に対し、月政府側は早くも第二陣を派遣してきた。それに対し地球側は、新たな若手司令官を一人寄こしただけだ。その司令官は着任するや否や、ありとあらゆる手段を講じて資金をかき集め、その全てを雇兵を雇うのに費やしたのだ。そうして招集された傭兵達の中に、拓也達も含まれていたのである。
 外壁部に入った二人の前に、あちらこちらに負傷兵が横たわっている姿が目に飛び込んできた。
「生き残った正規兵イコール、負傷兵ってトコだね。こりゃ……」
 晃司がため息をついた。拓也はその負傷兵の側にしゃがみ込み、彼らが受けた傷をしげしげと観察していた。
「火傷やら凍傷やらが多いところをみると、敵部隊の主戦力は術者か?」
「かもね。術者の豊富な月側に対し、地球側は大した防御手段を持っていないから」
 この戦争で月政府が優位に立っているのは、そこに理由があった。地球側は全体的な物量で勝りながらも、月政府軍には優秀な術者が揃っていた。遠距離・近距離を問わず柔軟に能力を発揮できる神霊術・魔術という分野において、地球側のレベルは明らかに月政府軍よりも数段劣っていた。当然ながら、術戦闘に対する戦術理論もろくに確立されていなかった。
「でも地球政府軍もけっこう頑張ったらしいよ。なんだかんだ言っても、敵の第一波は壊滅させたらしいから」
「皆殺しか……」
「拓也ぁ。君、もうちょっと言い方を考えた方がいいんじゃないの?」
「人殺しは人殺し。みんな殺せば皆殺し。オブラートに包んだ言い方で自分をごまかしたって仕方ないだろう」
 拓也は無愛想にそう吐き捨てた。晃司は再びため息をつき、肩をすくめた。
「それより、ここのボスに挨拶しといた方がいいんじゃないか?」
「……そうだね。急ごう」
 かつてはVIP席として、バックスタンド上方に設置された部屋に司令が居るらしい。二人は足早にその部屋へと向かった。晃司は扉をノックし、返事を待たずにノブを廻す。
「RAY−WINDから派遣されてきた江藤晃司と鳳拓也で……」
 扉の向こうに立っている人物の姿を認め、晃司は絶句した。
「姉貴?!」
「理沙さん?!」
 晃司と拓也の声は、ほぼ同時に発せられた。
「久しぶりね。二人とも」
 司令用に用意されたデスクで書類整理に追われていたその女性は、晃司の姉、江藤理沙だった。
「良く来てくれたわ。使える人間が一人でも欲しいところなのよ」
「理沙さんがここの司令なんですか?」
「ええ。まぁ実際の所は捨て石みたいなモンだけどね……」
 そう答えて理沙はニヤリと笑う。少なくとも捨て石の顔つきではない。
「軍の意向としては粘れるだけ粘って、ここは放棄するつもりみたいよ。実際、あたしの主な任務は、現在ここに残っている資材を出来るだけ東方の基地へ輸送するだけ。だから正規軍の兵士は使わせて貰えないのよ」
「それで雇兵って訳かい? 姉貴」
「そゆこと。ここで敵の第二波を撃退すれば、あたしの権限がもっと大きくなるしね」
「相変わらず、凄い出世欲だね……」
 晃司が三度目のため息をつく。
「あんた程の策士にはなれないからね。腕でのし上がるしかないのよ」
「姉弟同士の無駄話はどうだっていいでしょう? そろそろ仕事の話に入りましょうよ」
 拓也が言った。理沙は頷き、デスク脇から大きな地図を取り出し、床の上に広げた。そして腰から刀を抜き、地図上の一点を差す。
「ここがあたし達の居る兵器工場。通称、野球場」
「そのまんまの名前だな……」
 拓也の呟きを無視し、理沙は刀の切っ先をすぅっと西の方へ動かした。
「敵軍はだいたいこの辺に陣取ってるわ。数は多くない。と言って今、この基地の正規軍だけじゃ太刀打ちできるはずはない。極端な話、一小隊だけでも制圧できるわよ。あたし抜きだったら」
「ごもっとも。一小隊くらいじゃ姉貴にはかなわないだろうね」
「でも物資の輸送指揮も執らないと駄目なのよ。で、あんたらに頼みたいのは、この部隊の撃破。そんだけ」
「撃退……じゃなくて撃破なんだね?」
「その通り。全滅させて思い知らせてやるのよ。この野球場はそう簡単には陥落できないってね。そうすれば敵だって、ある程度の戦力が整うまでは攻めて来ないでしょ?」
「なるほどね。雇兵を使った一時しのぎの戦力に過ぎないけども、敵にそれが分からなければ、ここには精鋭部隊が立てこもっていると思いこませられる……ってことか」
「大体の目的は了解しましたよ。で、こっちの総合戦力は?」
 拓也が尋ねた。いくらなんでも、拓也と晃司の二人だけということはないだろう。
「オープンワークで集めた雇兵が1ダース半ほど。一応、面接で精鋭揃いに絞ったつもりよ。ただそれだけじゃ心もとないから、あんた達にご足労願ったってわけ」
「僕たちの待遇は? 指揮系統はどうなってるんだい?」
「指揮系統は独立した遊撃部隊よ。他の雇兵はここの防衛任務に就くからあたしの指揮で動いて貰うけど。つまるところ、討ち入りがあんた達の役目。作戦開始は今から二時間後、って事にするわ」
「俺達は鉄砲玉ですか……」
「敵の半数を叩いてくれればいいわ。討ちもらし分くらい、こっちの傭兵達でも対処できるでしょ」
「随分、僕らを買いかぶってくれてるんですね……」
 そう言って、本日四度目のため息をつく。
「あら。信用してるって言って欲しいわ。それと、民間人が一人同行するから、その人の護衛もお願いね」
「民間人?」
 拓也が尋ね返した。激戦区になることが予想されるのに、民間人が同行するというのも妙な話だ。
「そ。詳しくは本人に聞いてちょうだい。一塁側のボックス席に居るわ。見かけたらすぐに判ると思うし」

 理沙はまだ仕事があると言うことで、二人は司令室を後にした。
「民間人ねぇ。一体理沙さんは何を考えてるんだ?」
「……見当がつかなくはないけどね」
 げんなりとした顔で晃司は言う。
「どういう事だよ?」
「結果が出てから話すよ……」
 しばらく歩くと、目的のボックス席に通じるゲートが見えてきた。階段を上がり、ゲートを抜けた目の前には、広々としたグラウンドのど真ん中に立てられた、ほとんどバラック小屋に近い『武器工場』がある。
「さて、例の民間人って奴は……」
 理沙の言うとおり、その民間人は一目で分かった。首からひもで提げたカメラ、傍らにはフィルムや撮影道具が一式詰まっているであろうバッグ、手に持ったシステム手帳になにやら書き込むその姿……。
「……やっぱりマスコミか」
 晃司が五度目のため息をついた。拓也と居るとただでさえため息が多いのに、今日はいつもの比ではない。妙に自分が年寄りになったかのような錯覚を覚え、晃司は頭を抱えた。
「『やっぱり』って事はお前の予想通りだったって事か?」
「まあね。姉貴は自分の活躍を世間に知らしめたいんだよ。それも、できる限り派手で大げさにね。こんな不利な状況下で、戦闘を勝利に導いた立て役者とでも呼ばれたいんじゃないかな。その為にマスコミを利用し、世間での知名度を上げようって魂胆さ」
「なるほどね……」
 二人に気付いたのか、その民間人は拓也達の方へと近づいてきた。髪が短かかったので遠目では判らなかったが、どうやら女性だったようだ。
「あぁ、君たちが私の護衛をしてくれるっていう二人? 理沙司令の愛弟子だって聞いてるけど、見かけはあんまり強そうじゃないのね」
 やけに陽気な口調で畳みかけるように喋ると、その女性は名刺を差し出した。拓也が受け取ったその名刺には『フリーライター 伊崎 明』と書かれ、名前の横には『いさき あきら』と振り仮名が添えられている。
 間近で見て判ったが、髪は短いだけでなく、明らかに手入れされていない。まるで今起きたばかりのようなぼさぼさ頭だ。さらに、レンズの入っていないフレームだけのだて眼鏡と、全身を包む迷彩服が余計に性別を判らなくしている。
「飾りっ気のねぇ女だな」
 拓也がぼそりと呟く。それについては晃司も同感だったが、世の中には言っていいことと悪いことがあるという事くらいは承知している彼は、我関せずとばかりにそっぽを向いた。
「女は化粧をしてないといけないって言うの?!」
「いや別に『化粧っ気が無い』とは言ってないだろ。ただ、髪の毛を整えるくらいは最低限の身だしなみだろ? それには男も女も関係ないじゃねーか」
「うるさいわね。私は中途半端が好きなのよ。だいたい、名前を名乗る前にいきなり『飾りっ気がない』なんて言う方が失礼じゃないの?!」
 一気にまくしたてる明。
「なっ……」
 拓也が何か言いかけたが、いつの間にか背後に回り込んでいた晃司に口をふさがれた。
「うんうん。確かにこっちが失礼だったね。僕が江藤晃司で、こいつは鳳拓也。こちらこそよろしく。名刺みたいなものは持ってなくてごめんね」
 苦笑い混じりにそう言うと、晃司は頭を下げた。
「あと、こいつの無礼もごめん」
 そう言って拓也の首根っこを掴み、無理矢理に頭を下げさせる。一方、当の明はと言えば、驚きと歓喜の入り交じった顔で二人の様子を観察していた。
「江藤晃司と鳳拓也って言えば、賞金額もミッションポイントもトップを独走してる凄腕じゃない! 間近で逢えて感激だわ。ところで『江藤』って事は、理沙司令の弟さんか何かかしら?」
 それまでのつっけんどんな態度とはうって変わって、明は晃司に握手を求めた。
「ああ。あんまり強そうに見えないだけなくて、出来も悪い弟だよ」
 握手に応じながら晃司がそう言うと、明はくすくすと笑った。
「ひょっとして、さっき私が『あんまり強そうじゃない』って言った事、怒った?」
「いや別に。見た目は大した問題じゃないからね。むしろ、弱そうで実は強い、って言う方が何かと便利なんだよ」
「ところであんた」
「伊崎。伊崎明よ」
 会話に割り込んだ拓也に、明は再び不快な表情を見せた。
「……伊崎さん。あんた何しにこんな所へ来たんだ?」
「取材よ。ソルジャータイムズって雑誌、知らない?」
「あぁ、あのくだらないミーハー雑誌か。戦場の暗部はひた隠しにして、やれかっこいい武器だの、かっこいい兵士だの、戦場で見かけたファッションだのってくだらない記事が満載の」
 げんなりとした表情を浮かべる拓也。
「くだらないって言う割には詳しいのね」
「そいつが読んでんだよ」
 そう言って晃司を指さす。
「だって面白いじゃないか。僕らが普段経験している、どんな血なまぐさい現場であっても、切り口を変えればとてもファッショナブルになる。僕の心の素晴らしい気休めさ。ねえ?」
 と、晃司は明に同意を求めた。
「……二人がうちの雑誌に、あまり良い印象を持ってないって事はよく判ったわ。でもこれは仕事よ。護衛の方はちゃんとしてよね」
「別にあんたがクライアントって訳じゃないんだから、偉そうにされる筋合いはないけどな」
 明への不快感を露骨に顔に出しつつ、拓也は言った。
「それで、どういう取材をする予定なんです?」
 少しでも話を逸らそうと晃司が尋ねる。
「あなた達、月政府軍の進軍に対して迎撃に出るんでしょ? その姿を写真に撮らせて貰えればそれでいいわ」
「なるほどね。あと二時間足らずで出撃するけど、準備の方は大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。カメラとフィルムさえ有れば、それで事足りるし。術関係はさっぱり駄目だけど、防弾スーツも調達してきたから、それに着替えればいつでもオッケーよ」
「そんなもん邪魔だ」
 拓也がぼそりと言った。
「邪魔ってどういう事よ? 一流メーカーの最新モデルよ? 防弾能力も通気性も優れてる上に、女の私にだって着こなせるほどの軽量なのよ?」
 まるでカタログに書いてある宣伝文句のような事を、明は自慢げに語った。
「……どうせそんな事だろうと思ったが……」
 頭を掻きむしりながら拓也はそう前置きし、
「今の説明で理由は二つに増えたよ。まず、防弾性と通気性は両立しない。通気性に優れているって事は、その通気部分が構造的に弱くなる。確かに弾丸をある割合で防げはするだろうが、その割合を超えたら一発でアウトだ。弾丸は体内を貫通しようとせず、防弾スーツで弾かれてさらに体内を傷つける。それに、軽量とは言え動きを阻害することには違いない。戦場ではその方が命取りだ。特に素人はな」
 拓也は苦々しい口調で、そこまで一気にまくし立てた。
「もう一つの理由は、その手のスーツは術戦闘に対してはまるっきし無力って事だ。月政府軍の連中は術戦闘をメインに仕掛けてくるからな。さっきも言ったが、動きを邪魔されるというデメリットの方が大きい」
「じゃあ防弾スーツは着るなって事?」
「そういう事だ。ついでに、その迷彩服もやめた方がいい。普通の服を着ている方が、一般人であることをアピールできるからな。戦場で迷彩服なんて着ていて敵に見つかったら……即、殺されるぞ」
「じゃあ、どうして正規軍の兵士は迷彩服なのよ?!」
「あれはただの制服だ。俺達が普段着を着ているのは、一瞬でも敵に迷いを生じさせるためさ。民間人は極力殺さないのが、戦場での暗黙のルールだからな」
 その言葉に対し、なおも食ってかかろうとする明を、晃司が手で制した。
「……そうだね。拓也の言うとおり、そのスーツはたぶん無駄だよ。僕らの側にいる分には、防御術の範囲内に居られるはずだから、弾丸は完全に防げるしね。僕らの動きに付いてこれるよう、できるだけ軽装の方がいいね。服も着替えがあるなら軽装にした方がいいし、もし無いのなら姉貴に頼めばなんとかしてくれるだろう」
「な、なによ。そこまで言わなくたっていいじゃない」
 明は口をとがらせた。迷彩服は元々持っていたものだが、スーツは今回の取材に合わせて半年ローンで買ったものだ。それを無駄呼ばわりされるのは気に入らない。気に入らないのだが、これは実際に戦場を経験した者達――しかも凄腕の二人の言う言葉だ。おそらくはその判断の方が正しいのだろう。
「……判ったわよ。もう、せっかく高いお金出して買った防弾スーツだってのに……」
「んな事、俺達が知るかよ。とにかく、十四時ちょうどに正面ゲート前に集合だ。それまでは自由にしててくれ」
 呆れ果て、拓也は肩をすくめた。
「鳳さん、あんたはどうするのよ?」
「休憩。あと、鳳さんって呼ばれるのは好きじゃないから『拓也』って呼び捨てにしてくれ。それじゃ」
 それだけ言い残し、拓也は二人に背を向けて足早に去っていった。

 十四時ちょうど。拓也が正面ゲートに向かうと、既に晃司と明が待っていた。明はごく普通のジャケットとジーンズといった服装に着替えている。晃司はいつもの白いコートだ。
「揃ったね。じゃ、行こうか」
 さらりと晃司が言った。別に特別な事ではなく、ごく普通のミッションの一つ。だから意気込みもしないのだ。
「あぁ。晩飯くらいはゆっくりと食べたいな。で、足は?」
「ジープが一台」
 晃司が指さした先には、お世辞にも綺麗とは言えないジープが一台。
「距離は?」
「車で三十分」
「よし、行くか」
「ちょ、ちょっと! 打ち合わせってそれだけなの?!」
 明が驚きの声をあげた。
「敵の詳しい情報なんて無いからな。他になんともやりようがない。早く乗れよ」
 拓也はそう言いながら、とっとと助手席に乗り込んだ。晃司も運転席に乗り込み、エンジンをかける。
「ほ、ほんとに大丈夫なの?」
 おそるおそる、明も後部座席に乗り込む。それをバックミラーで確認すると、晃司はアクセルを踏み込んだ。
「あー、拓也。さっき姉貴から聞いたんだけどさぁ」
 運転しながら晃司が切り出した。
「敵軍、もう進軍を開始しちゃってるらしいよ。一応、いつでも出られるように準備はしといてくれる?」
「オッケー。伊崎さん、そこにグレネードランチャーがあるから取ってくれる?」
「こ、これね?」
 後部座席に無造作に積み込まれた銃器の中から、グレネードランチャーを取りだして助手席の拓也に渡す。
「まぁ、名乗りを上げるにはこいつで充分っしょ」
「そうだね」
 さらに十五分ほど車を走らせていると、対向車線の遙か彼方に何台かの車が見え始めた。
「あれだな」
「ああ。そうみたいだ」
 ダッシュボードから取り出した双眼鏡で、拓也はそれが敵兵を乗せた車両であることを確認した。
「トラックが二台。たぶん人間を乗せて運ぶ分だろうな」
 そう言うと拓也は双眼鏡を後部座席に投げ捨て、先ほどのグレネードランチャーを構えた。
「耳ふさいで目ぇつぶってろよー」
 言い終わるとほぼ同時に、拓也はグレネードランチャーの安全装置を外し、引き金を引いた。明のすぐ目の前で爆音が響き、続いて遠くの方で爆発音が響く。
「よし。ここからは走ろうか」
 晃司は車を止めると真っ先に車を駆け下り、グレネードによる煙が立ち上っている方へと走り出した。
「……やれやれ。俺が後詰めか。伊崎さん、ちゃんと俺に付いて来いよ」
 車を降り、拓也は刀を抜いた。
「わ、判ってるわよ!」
 カメラとバッグを手に、明も車を降りた。が、その頃には既に拓也はゆっくりと走り始めていた。
「ちゃ、ちゃんと私を護るのよ! それが仕事なんだからね!」
「ぐだぐだ言ってる暇があったら走れよ」
 明の方を振り返ろうともせずに、拓也は小走りに晃司の後を追う。みるみるうちに晃司との差は開いていく。
「ちょっと! 江藤さん一人で突入させてもいいの?」
「うるせぇな。足よりも口の方を動かすくらいなら置いてくぞ」
 不機嫌そうに拓也は吐き捨てた。その態度に、明は言葉そのもの以外のものを感じたような気がした。
(……ひょっとして、私のスピードに合わせてくれるてるの?)
 まったく訓練を受けていない上、荷物も多い明の走るスピードは、明らかに拓也達よりも遅い。敵は多数、こちらは二人プラスお荷物一人。その上、移動速度を明に合わせていたのでは勝ち目など有るはずがない。
「江藤さんが突っ込んで行ったのって、私のせい?」
「……」
 拓也は何も答えず、背を向けたままだった。
 しばらく走ると、晃司が敵兵と交戦している姿が見えてきた。明が噂に聞いていた通り、晃司は拳銃を手に敵と渡り合っている。
 防御術により「意志のこもっていない」攻撃、つまり銃や矢などの飛び道具はほぼ完全に防ぐことができる。これは術者としての能力を有する者であれば、ほぼ誰でも使えるものだ。この防御術はほんの僅かな集中で発動でき、訓練すれば条件反射のように無意識のうちに発動することさえ可能になる。ただし、術や白兵戦用武器のような「意志のこもった」攻撃を防ごうとすれば本格的な防御系の術を発動させる必要がある。
 だが、この防御術にも弱点はある。例えば難度の高い術ではあるが、防御術を無効化する術も存在する。また、防御術の影響範囲は、術者によって若干の差はあるが約1メートル。それ以上でも以下でもない。その影響範囲外からの射撃は無効化できるのだが、範囲内からの射撃に対しては全くの無力なのである。
 実際には無力化できる距離まで接近した場合、銃器よりも刀剣類の方が使い勝手が良いため、実戦において銃器をメインに使う人間はごく少ない。銃器はあくまでの奇襲用の武器、潜入作戦における扉や機械類などの破壊が主な目的となる。また、相手が縄や手錠で縛られているなど、接近が容易な相手であれば使い道もある。
 そんな中、晃司のように銃をメインに戦う人間はきわめて珍しかった。相手の剣を避けて懐に飛び込んで眉間に弾丸を撃ち込んだり、防御術を無効化する術を併用して弾丸を撃つ。極めて難しいとされるその類の術を、晃司は得意としていた。
 左右の手にそれぞれ拳銃を持ち、無数に放たれる術や剣をかいくぐりながら弾丸を撃ち込む。一撃も攻撃を受けていないのが奇跡のようだ。
「拓也! そろそろ手助けを頼むよ」
 ようやく到着した拓也の姿を見て、晃司はとくに焦ったふうでもなく呼びかけた。
「りょーかい」
 それに対する拓也の返事も、実に間延びしたものだ。気合のかけらも感じられない。
「伊崎さん、そっから動くなよ。写真も撮りたきゃバンバン撮ればいい。ただし、敵が迫ってきたら一目散に逃げろ」
 それだけ言い残し、拓也は駆け出した。さっき明と一緒に走っていた時とは比べものにならないスピードだ。おそらくは神霊術で筋力を増強しているのだろう。
 晃司一人に苦戦していた月政府軍の兵士達は、新たに参戦してきた拓也によって混乱状態に陥った。一人一人を確実に仕留めていく晃司に対し、拓也の動きはその正反対だった。
 神速。まさにその言葉に尽きた。刀を振るうかと思った直後には、既に完全に振り抜いて次の姿勢に移っている。そして、なんらかの致命傷を負った兵士が、血しぶきをあげてその場に崩れ落ちるのだ。
 晃司と背中合わせになる位置に移動した拓也を、月政府軍の兵士が遠巻きに囲んでいた。その数は既に半数程度に減っている。
「晃司、伊崎さんの方を頼む」
 威嚇するように刀の切っ先を敵兵へと向けつつ、拓也は言った。
「判った」
 晃司は持っていた銃を投げ捨て、コートの中から左右それぞれの手に、新しい銃を抜いた。
「任務内容は判ってるね?」
「もちろんさ。敵の全滅だろ?」
 ニッと笑い、拓也が答えた。
 その姿を望遠レンズ越しに見ていた明は、背中が寒くなるのを感じていた。既にフィルムは五本使っている。多勢を敵に回し、たった二人で戦う彼らの姿は華麗で、残虐だった。
 目の前で繰り広げられているのは、一方的な虐殺。明にはそうとしか見えなかった。それまで漠然としていたその思いは、拓也の笑みを見た瞬間、確信に変わった。
「も、もうやめて!!」
 その声の主が自分だと言うことに明が気付くまで、少しの時間を要した。
 震えた指先がシャッターを切り、カシャリという乾いた音が鳴った。膝から下が自分のものではないような錯覚にさえ陥る。
 その直後、月政府軍の兵士の一人が、明に向けて走り出した。それを追って、生き残った兵士が一斉に明へと殺到する。
「しまった……!」
 やや遅れて晃司と拓也も駆け出す。
 剣を握った兵士達が、狂乱の様相で明に突進していく。全身を恐怖に支配されそうになりながら、明は無我夢中でシャッターを切り続けた。
 我に返った時、目の前に拓也の背中があった。
「あ……」
 何かを言いたかったのだが、それ以上声が出なかった。
 拓也がゆっくりと振り返る。その顔は血まみれだったが、今まで見た彼の表情で、一番優しいものだった。
「……無事でよかった」
 穏やかに拓也は微笑んだ。
「返り血も浴びていないようだな」
 明は再びシャッターを切った。
「こんな時でも写真撮影なんて、凄いプロ根性だ」
 そう言ってなおも笑う拓也の後ろには、絶命した兵士の死骸が無数に転がっていた。刀傷を負っているところを見ると、拓也が殺したものだろう。
「ど、どうして……」
「ん? なんだよ?」
「どうして、こんなに人を殺して……笑っていられるの?」
 そうじゃない。
 助けてくれてありがとうって言いたかったのに。
「他人の命を奪ったことを引き算して、物事を考えるからさ」
 そう言って、拓也はやはり微笑んだ。自虐的に、そしてどこか寂しげに。
「戦場は怖かったかい?」
 いつの間にか二人の側に近づいてきていた晃司が、明にそう尋ねた。
「こ、怖くなんかないわ!」
「その割にはずっと膝を震わせてるよね。こう言っちゃ悪いけど、女の子らしい一面も有るんだね。そうやってムキになるとこも含めてさ」
「女だからってバカにしないでよ!」
「あ、ごめん。気に障ったんだったら謝るよ」
 明らかに傷ついている拓也の気を紛らわそうと明に話しかけた晃司だったが、予想外の反応に面食らった。
「女だから戦場を怖がるの?! あなた達は男だから戦場が怖くないの?! 怖くないから笑えるんでしょ?!」
 わめき散らすように明は叫んだ。晃司に対してと言うより、むしろ拓也に向けての叫びだった。
「俺だって怖いさ。だから生き残るしかないんだ。恐怖に負けたら相手に隙を与えてしまう。だから負けないように……笑うんだ。男とか女とか、そういうことは関係ないんだよ」
「私は……男とか女とか、そういうので判断されたくない。女には戦場ルポなんて無理だってずっと言われ続けてて、でもこの戦争の生の姿を記録に残したくて。だから男でも女でもない、中性をずっと目指してきた。髪を短くして、男物の服を着て……」
「でもそれじゃ、男の真似事でしかないよね」
 晃司は冷徹にそう言い放った。見た目だけ変えたところで、人間の本質が変わるわけではない。
「そう。そんなことは自分でも判ってる……」
「戦場では意味がなくもないけどな。スカート姿で来ようものなら、性欲に飢えた男どもに襲われるだろうし」
 皮肉混じりに拓也は言った。
「ただ、本当に意味がないと思うなら、自分を偽るなよ。髪型とか服装とか、女性であることの不利を隠そうとしていること自体、自分を卑下しているとは思わないか? 辛くても、有るがままの姿で戦わないと価値がない。俺はそう思う」
「だから、あなたは笑えるのね」
 辛い事実を受け止めているから。自分の罪を抱え込み、その重さと戦っているから。
「笑うくらいできないと、耐えられないのさ」
「……そうかもね」
 明は微笑んだ。それは無理矢理に作った笑みだったが、明が自分自身の意志と力で引きずり出した笑みだ。
「から元気も元気、って言うもんね」
「そういう事さ」
 明の言葉に、拓也も微笑んだ。

 そして任務は終わった。
 江藤理沙は工場防衛と敵軍の撃退の功績により昇進。軍内部での立場をより強固なものとした。
 伊崎明は雑誌社に戻り、今回の取材を元に記事を書いているらしい。
 拓也と晃司はいつも通り、RAY−WINDからの任務をこなす日々に戻った。

 二ヶ月後、二人の元に一冊の雑誌が届いた。封筒の裏には雑誌社の住所に添えて、「伊崎 明」と書かれている。
「こないだの記事が載ったのかな?」
 晃司は封筒から「ソルジャータイムズ」の最新号を取り出し、明の書いた記事を探した。
「生と死の狭間で」という見出しで、その記事は始まっていた。6ページのカラーで、特集記事扱いになっている。出撃前の二人や、敵兵に囲まれて背中合わせになっている二人、アップで微笑んでいる拓也など、いかにもこの雑誌が喜びそうな構図の写真ばかりが掲載されている。
「なんか陳腐な見出しだな」
 苦笑しながらも、拓也もまんざらではないらしい。見出しページの片隅に、「取材・撮影:伊崎 明」と小さく書かれている。
「まあ読んでみようよ」
 それは明との別れ際に、彼女から二人が受けたインタビューを元に書かれた記事だった。



――お二人は集団戦にはあまり参加されず、主に二人だけでの遊撃作戦を中心に引き受けられているそうですが?
江藤「そうですね。やっぱり少人数で動く事に慣れてしまってますから」
鳳 「目的に達するまでの過程にまで口を出されると、色々とやりづらいしな」
――二人だけで動く方が、生き残る可能性は高い?
江藤「場合にもよるでしょうけど、おおむねそうですね。集団戦はどうしても、兵士を数で考えてしまう。だから犠牲が出てもなんとも思わない。でも少人数だと命の重みがまるで違う」
――しかし、多対一もしくは多対二の戦闘というのは、やはり厳しいのでは?
鳳 「傭兵同士の戦闘だと厳しいかもしれないが、相手が正規軍の兵士だったらそうでもないな」
――それはどうしてでしょうか?
江藤「正規軍の兵士は、言ってみればサラリーマンみたいなものだからね。戦場に行きさえすれば給料が貰える。徴兵されて、いやいや出張しにきてる気分の人がほとんどじゃないかな」
鳳 「それに比べて俺達は、そういう奴らを倒さないことには金にならない。意気込みからしてまるで違う。ただ、相手が必死になると手こずるから、必死になる前、つまり初太刀で勝負を着けるようにしてるんだ」
――それが生き残る秘訣というわけですね。
江藤「そうかもしれないですね」



「……なんだか照れくさいな」
 途中まで読んで、拓也は苦笑混じりに顔を背けた。自分たちの話した事が、そのまま雑誌に載っている。しかも写真入りだ。どうにも背中がむず痒い。
「そうだね。後でゆっくりと読み返すよ」
 晃司は雑誌を手に取り、マガジンラックにしまい込んだ。
「この封筒はどうしようか?」
「別に要らないだろ。捨てちまえば?」
「そうだね……あれ?」
 封筒をくしゃくしゃに丸めようとした晃司だったが、妙な手応えに気付いて手を止めた。まだ何か入っているようだ。

「なんだろう?」
 封筒を逆さにひっくり返すと、一枚の紙がひらひらと舞い落ちた。拓也がそれを拾い上げる。
 それは名刺だった。『フリーライター 伊崎 明』と書かれ、名前の横には『いさき めい』と振り仮名が添えられている。裏返すと『とりあえず、名前を偽るのをやめる事から始めることにするわ。そのうちまた取材させてね!』と、鉛筆で殴り書きがしてある。
「キッタねぇ字!」
 拓也は思わず吹き出し、晃司にその名刺を差し出した。同じように晃司も苦笑気味に吹き出す。
「あの雑誌、これからは違う意味でも楽しめそうだね」
 雑誌をしまい込んだラックの方を眺め、晃司が言った。
「また逢えればいいね。拓也?」
「逢えるだろ? 取材に来るって書いてるじゃんか」

 時に西暦2020年11月30日。
 拓也が詩織と出会う日から、およそ3ヶ月前の出来事だった。


To be continued.
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