LOVELESS
-Inspired "A touch of destiny".-

 雪が降りそうな夜だった。
 いや、夜なのかどうかも既に判らなくなっているように思える。この数日、陽の光を拝んだ覚えがない。瓦礫の山が、かつてはかろうじて陽の射していたスラムから昼を奪ってしまっているのだ。暗さと寒さで、漠然と夜じゃないかと感じているに過ぎない。良く考えてみれば、ここは地下みたいなものだから雪なんて降るはずがない。
(結局、約束の地というのはどこだったんだろう……)
 手持ち最後の煙草をふかしながら、クラウドは思った。別れ際にシドから一ダース貰ったものだが、旨さが判るようになった頃には最後の一箱になっていた。文明の崩壊した今では、こういった嗜好品は貴重品だ。もう手に入ることはないだろう。
 ……あの時は判った気がしたのだ。大空洞の崩壊の中、確かに答えが見えていた。
 そう思う。
 今となっては本当に見えていたのか、自信がない。ライフストリームに取り込まれていた頃の後遺症じゃないのか、そう言ったのは誰だったろうか。そもそも、あの時に見たセフィロスが現実のものだったのかどうかさえも判らない。

 そこまで思い出したのをきっかけに、記憶が一瞬にして蘇る。

 大空洞から脱出してから最初の朝。
「それじゃ、行こうよ。クラウド」
 どこか淋しそうにも見える笑みを浮かべ、ティファは言った。既に旅支度は調えている。
「……行くって、どこへ?」
「決まってるじゃない。エアリスに逢いに行くんでしょ?」
 その言葉を聞いたときのあの虚無感は今でも忘れられない。
 そう、全てが終わるまで気づけなかったのだ。自分がどれだけ大切なものを失ってしまっていたのか。
『全部終わったら。また、ね?』
 彼女の言葉がリフレインする。
「まだだ。まだなんだ……」
「え?」
 ティファにはクラウドの言葉の意味が掴めなかった。
「終わってないんだよ」
 まだ終わってないから、彼女に逢うことはできないんだ。
 そしてクラウドの旅は始まったのだ。

 エアリスのホーリーは確かにメテオを止めた。が、その大きすぎる力はかつて人類が築き上げた文明に壊滅的な打撃を与えた。もはやあの頃の技術は、かろうじて破壊を免れた物を修理しながら、だましだましに使うしかない。生産する技術はあっても設備がないのだ。
「それで良かったのさ」
 とバレットは言った。文明の崩壊は魔恍エネルギー技術の崩壊でもあった。もう、この星の命を吸い上げる奴はいない。俺にはこういう原始的な生活が性に合っている。そう言って彼はマリンを連れて何処かへと去った。

 煙草の半ば辺りまで吸い終えたとき、クラウドは自分を取り囲む者達の気配に気付いた。
 三人、いや四人だ。物音を立てないように静かに移動しているようだが、完全ではない。おそらくは素人に毛が生えた程度の連中だろう。
 無視して煙草をふかし続ける。しばらくすると連中の包囲網も整ったようだ。
「へへっ……」
 下品な笑いを浮かべながら、次々と中年の男達が、瓦礫の陰から姿を現す。手には思い思いの武器を持っているが、手入れは余り良くないようだ。
「兄ちゃん、煙草なんて貴重品、よく持ってるなぁ。俺達にも分けてくれよ」
「悪いな。これで品切れだ」
 そう答えると、クラウドは吸っていた煙草を地面に落とし、かかとで火をもみ消す。
「金でもいいぜ。なぁ、兄弟?」
「悪いな。お前らに払う金は1ギルもない」
 こんな奴らを救うために、エアリスは死んでいったのか……。心の中で呟き、いつも隣で微笑んでいた彼女の顔を思い出す。
「おい見ろよ、こいつ口は達者だけどよ、びびって泣いてやがるぜ」
 男達の一人がからかうように叫んだ。
 エアリスの事を思い出すだけで涙が出てくる。忘れもしない。微笑んだまま眠る彼女を、湖に沈めたときのあの冷たさを。
 だが、彼女のことを思いだす時以外、感情に起伏が生じることは今のクラウドにはない。
「……お前達に、エアリスの遺したこの大地で生きる資格はない……」
「エアリスぅ? 誰だそれ、知ってるか?」
 男達が口々に「知らねぇ」と答える。そんな彼らを、様々な感情が入り交じった視線で睨み付けながら、クラウドはゆっくりと剣を構えた。
「だから、殺す」


 どこをどう歩いたのだろうか。気がついた時には集落の灯が見えていた。
 メテオの惨劇から生き残った人々は集団を作り、互いを助け合いながら日々を暮らしている。それはいつの時代も変わらない。
 クラウドはひときわ明るい灯を放つ建物の扉を開いた。カウンターの奥には幾らかの酒が並び、女将らしき中年の女性が料理を作っている。他には五、六人ほどの男達がテーブルで騒いでいる。予想通り、ここが酒場らしい。
「このご時世に珍しいねぇ。旅の者かい?」
「ああ……。部屋を借りたいんだが、空き部屋は有るか?」
「ウチじゃ宿はやってないよ。どうしてもって言うなら……ここを出て左へまっすぐ行きな」
 クラウドを値踏みするように髪からつま先まで観察し、女将は言った。
「そうか、行ってみることにするよ」
 無愛想にそれだけ告げると、クラウドは店内に背を向けた。
「なんだい、例の一つも言えやしないのかい」
 女将のからかうような声を無視し、言われたとおりに左へ曲がる。
 それからしばらく歩いたが、宿らしき建物は見あたらない。かつがれたか? と思った矢先、人影が見えた。女性だ。
「あら、旅のモンかい? 珍しいね」
 クラウドの姿を見て、その女性は驚いたようだった。歳はもうすぐ三十路に手が届きそうな程度だろうか。下品とも言える程きらびやかな服と、このスラムとが妙にマッチしているように思える。おそらくは娼婦なのだろう。
「宿を探しているんだが」
「宿? 宿と言えば、この辺り一帯が宿みたいなもんさね」
 言いながら、女性はクラウドを品定めするようにジロジロと観察する。
「ねぇ、今日はもう引き上げようかと思ってたんだよ。安くしとくからさ、どうだい?」
「悪いな。他を当たってくれ」
 あの女将の言っていたのはここの事なのだろう。去り際のからかう声もこれなら納得がいく。確かにベッドにはありつけるだろう。
 それから先は、ちらほらと娼婦の姿が見受けられるようになった。どうやら、この辺りはそういう所らしい。
「今日も野宿か……」
 野宿には慣れているしな、と覚悟を決めた直後だった。
 クラウドは己の目を疑った。
「……エアリ……ス?」
 少し道から外れた所で、一人の女性が立ちつくしていた。寒さでかじかんだ手に、息を吐きかける仕草が妙に子供っぽい。
 彼女はかろうじて髪が肩にかかる程度のショートカットだったが、その髪型の違いを除けば、エアリスと瓜二つに見えた。
 女性はクラウドの姿に気付くと、にこりと微笑んで見せた。
 似ている。似てはいるのだが、よく見ると違う。見慣れるにしたがって、エアリスとの違いが次々と見つかってくる。
 クラウドは落胆すると同時に、どこか安堵さえ覚えた。
(そうだよな、エアリスがこんな所にいるわけがない)
 こんな場所で女性が一人。彼女もおそらくは娼婦なのだろう。日溜まりが似合いそうなエアリスには、およそふさわしくない場所だ。
「ね、お兄さん。一人?」
「ああ」
 声色も似ているが、イントネーションや口調といったものが全然違う。さっき瓜二つに見えたのは見間違いだったのかも知れない。
「ここは、寒いの。ね、暖めてくれる?」
「ああ……」
 半ば条件反射で答え、すぐに後悔した。が、何か言おうとする前に彼女はクラウドの手を取っていた。あまりにも冷たい手の感触が伝わってくる。
「あたし、シア。あなたの名前は?」
 クラウドの瞳をまっすぐに見つめ、シアは尋ねた。その顔にエアリスの表情がだぶる。
(そうか…。この瞳と仕草が似てるんだ)
 思えば、エアリスもいつもまっすぐに相手の眼を見ながら話していた。人と話すのが好きだったのだろう、いつも相手の話に楽しそうに耳を傾けながら、その瞳で相手の心の声も聞いているかのようだった。
「な・ま・え! あなたの名前は?」
「あ、あぁ……。俺はクラウド」
「ふぅん。で、どうするの?」
 どうする、とは、つまりそういう事なのだろうが。
「寝る」
 きっぱりとクラウドは言った。そしてさっさとベッドに潜り込み、シアに背を向ける。
「え? 寝るって……」
「ちょっとした手違いがあったんだ。俺は寝床さえ有ればそれでいい」
「ちょっと、あたしはどうなるの!?」
 そう言えば、エアリスが怒る姿なんて見たことなかったな。クラウドは微かに笑い、そして気付く。
 最後に笑ったのはいつのことだったのだろう?
 いつの間に俺は、彼女のことを思いだして笑えるようになったのだろう。
「好きにすればいい。金を払えと言うなら払うさ」
「なによ。まったく……」
 呆れたようにシアは言い、手近にあった椅子に腰を下ろした。
「もう、いいわよ。外は寒いし、もう今日はお仕事ヤメにするわ」
「好きにしろ」
 それからしばらく、何の会話もなかった。
 クラウドが本格的な眠りに落ちようとした頃、シアがベッドに潜り込んできた。
「あたしも寝る。ベッドが一つしか無いんだから一緒に寝るんだからね」
「……好きにしろって言ったはずだろ」
 ベッドで眠るのも久しぶりだが、隣に人の温もりを感じるのはいつ以来だろう。
「ね、クラウド。話、してもいい?」
「ああ」
「あなたは、何処へ行くの?」
 何処へ行くの?
 背中越しにシアの息づかいを感じながら、クラウドはその言葉を反芻していた。
「……行き先を探しに行くんだ」
「何それ? ナルシストか自殺志願者みたい」
 そう言ってシアはクスクスと笑う。だが、クラウドは笑えなかった。
 自殺志願者。言われてみればそうなのかもしれない。死んだ後、人はどうなるのだろう。命の終わりの先に何かがあるのなら、俺の魂はエアリスの許へ行けるのだろうか。
「恋人とかいないの?」
「恋人か…」
 一瞬、ティファの顔が脳裏をよぎり、すぐに消える。
「居ないと思う」
 もしもあの時、エアリスが死んでいなければ。俺がもう少し早くあの場所へ着いていたら、俺は彼女を恋人だと言えるような関係になっていたのだろうか?
 分からない。少なくともあの時の俺達の間には恋愛感情と言えるようなものはなかったと思う。俺はただ、彼女を守りたかっただけだ。守らなきゃいけない人を自分の手で傷つけ、そして彼女は一人で遠くへ行ってしまったんだ。
「謝りたかったんだ……」
「え?」
 謝って、もう一度あの笑顔で許して貰いたかったんだ。
 恋や愛なんて俺達の間にはなかったけど、いつかは育まれたかもしれない。彼女を純粋に守りたいと思った心と、行ってしまった彼女を追いかけたときの心。
 成長途中で次のステップを見失ってしまったまま、宙ぶらりんになってしまっているんだ。俺の心は。
「あたしが許してあげる」
「え?」
 今度はクラウドが尋ね返す番だった。
「誰に謝りたいのか知らないけど、あたしが許してあげる」
「彼女はもう、死んでしまったんだ。俺が守れなかったから」
「許してあげる」
 シアは幾度となくそう囁き、やがてクラウドはその声に溶けるようにして眠りに就いていた。

 そしてたぶん、夜が明けた。陽が射さないが、ベッド脇に置いてある時計を見る限りでは充分な睡眠をとれたようだ。
 隣で寝ているシアを起こさないようにクラウドは立ち上がり、ベッド脇の荷物を肩に提げる。
「……何処へ行くの?」
 尋ねられ、クラウドは振り返った。ベッドに横たわったまま、シアがこっちを向いている。まったく眠そうに見えないところからして、クラウドよりも先に起きていたらしい。
「どこかへ行くさ」
「そう。気をつけてね」
 そう言ってシアは笑った。清々しい笑みだった。
 たぶん、夜は明けたのだ。いつかは空も晴れるだろう。

 生きていこう。星に還る日まで。
 彼女はこの星に生きているから。

To be continued. "Love Making"

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