2011年
被災地訪問コンサート(シャンソン)のもよう追加しました。
飛び込み
★親子シンクロダイビング
103B

★静岡ダイビング
☆優勝記事
☆101A
☆401B
☆103B
得点リンク
昨年2010年のライブ、バーボンブラザース、ミッキー(Jazz、POPS、シャンソン)、合計のべ56日、118ステージになりました!!。 みなさんありがとうございました。  今年もがんばります!! 

PS 2006年9月に浜松水泳場で行われた第12回静岡ダイビングフェスティバル(全国大会)に出場!
→一般板飛び込みで見事優勝 !!
  高飛び込みで準優勝!!
2006年9月に川口運動公園で行われた第21回埼玉県ダイビングフェスティバル(全国大会)に出場!
一般の部高飛び込みで準優勝!!(結果)
2007年9月に川口運動公園で行われた第22回埼玉県ダイビングフェスティバル(全国大会)に出場!
一般の部で最優秀選手 大野杯ゲット!!(結果)

2007年4/22(日) 兵庫県室内選手権飛び込み競技大会出場しました! 
→3m板飛び込み成年男子の部第9位
(133.35点)
1m板飛び込み成年男子の部第10位(194.30点)

2009年4月12日(日) 兵庫県室内選手権  JSS宝塚 国体予選
   3m板で4位(165.655点)、1m板で5位(155.15点)!!

2009年9月に川口運動公園で行われた第23回埼玉県ダイビングフェスティバル(全国大会)に出場!
一般の部でついに優勝!!(結果)
更新 : 2011/12/1、ライブスケジュール秀樹スキー親子シンクロ画像静岡ダイビングフェスティバル優勝

10/6〜10/9、東日本大震災の被災地、多賀城の応急仮設住宅に行って2日間コンサートをしてきました。


現地の人達が僕たちを受け入れてくれるか不安でしたが、焼きそばを焼き、豚汁を作ってみんなと食べ、色んな話を聞きました。 1時間の予定でしたが、泣いて、笑って、一緒に歌って・・・リクエストまでもらい、2時間もコンサートしましたが、あっという間でした。 握手した手をいつまでも握りしめて、是非、また来てくださいと言ってもらいました。
歌手冥利に尽きました。 現地の人達に逆に勇気をもらって、これからも音楽活動を続けていこうと思いました。

震災直後から、慰問に行きたくて、ウエブで依頼先を探したり、行政や仮設住宅や老健などにも片っ端から電話をかけましたが、がれき撤去のボランティアは受け入れているが、音楽の事は良くわかりません・・・と言う返事ばかりでした。 
たまたま、ボランティアのブログの片隅に投稿者のアドレスが書いてあり、たどりたどって、「TEAMみちのく」と言うNPOとコンタクトが取れコンサートが実現でき、現地の人達と交流する事ができました。 

現地のボランティアセンターに登録して招集されたボランティアの方達の中には、一日中海岸でがれきの撤去や草刈りをして、被災された人達とは一言も話をする機会もなく帰っていった人も沢山おられたようです。

僕たちは、非常にラッキーでした。

帰りに、南三陸町を回りましたが、海岸一帯何にもなくなっていました。 コンクリートの建物の上に乗用車ものったままでしたし、がれきの山の中には、機関車も転がっていました。 病院の非常階段は、3階部分までねじれていました。 津波のすごさにあらためて脅かされました。 被災された方々の一刻も早い復旧を願って止みません。

車に音響機材一式積んで、往復2000km・・・24時間・・・大変でした。 
高速道路は、行政を通じて手続きをしたので35000円すべて無料でした。


目    次


バンドの生い立ち

コンセプト


バンドの生い立ち

  ザ・バーボン・ブラザースは、16年ほど前、僕がシャンソンを歌ってた関係で出演した尼崎武庫之荘のライブハウス ”mクアトロ” で、「シャンソンやジャズも良いけど、底抜けに明るい、お酒のすすむアメリカの ”ブルーグラス”と言うジャンルの音楽があるが、この店で一度ライブさせてもらえないか?」と紹介したのがきっかけでバンドを組みました。 初めは、「カントリービールのボーカルの市川さん」と2人で歌っていたが、学生時代デキシードランカーズで一緒にやっていた奈良の「グッドゥトゥーブルーの小寺君」に無理言ってバンジョーで参加してもらい、なんとかブルーグラスの形態が出来ました。 その後、「稲葉和裕&レインボー・ヴァレー・ブルーグラス・バンドの石平君」に大学の後輩のよしみで参加してもらい、僕がファゴットで参加してた「西宮市民オーケストラのバイオリン奏者の藤井君」を引き抜き、音楽性に幅が出来てきました。 岸本(兄)さん宅で行われたピッキンパーティに参加してた見ず知らずのドブロ弾きに、一緒にバンドしませんか?と声を掛けました。 「三田のドブロ製作家の朝倉君」でした。 ついに念願のフルバンドができました。 最初は、あがりながら恐々と演奏していましたが、だんだん慣れてきて音楽性もアピールできるようになってきました。 その後、心斎橋の ”アートクラブ”も、シャンソンの関係で知り合いになり、出演させてもらえるようになったが、小寺君が忙しくなり、「ナッツの宮本君」にバンジョーを頼んでいました。 しかし、転職や結婚と彼も忙しくなり、途方に暮れていました。 そんなとき、近所に住んでいるブルーグラッサーに誘われて、ヒルトップグラスと言うバンドに参加し、その時のバンジョー弾きは横浜から転勤してきた「河辺博之君」でした。 研究熱心でまじめな人柄に惚れ、内緒でバーボンの練習に来てもらい、いつの間にか気が付くと、ヒルトップよりもバーボンの比重の方が大きくなってしまいました。 (ゴメンナサイ) このころから、アレンジ物を多くやるようになり、固定のお客さんも随分多くなりました。 また、伊丹市のイベントなども声がかかるようになり、黄金時代を迎えるようになりました。 しかし、イベントをたくさん取りすぎたため、ベースの石平君がリタイヤしました。 またまた、申し訳なかったのですが、「ヒルトップグラスのベースの藤井(孝三)さん」を引き抜いてしましました。  やっと安定して来たので、CDを作ろうと機材を購入した矢先、バンジョーの河辺君の急な転勤で、またまた、バンジョーを探さなくてはならなくなりました。 うまくて、近くのバンジョー弾き・・・と探しているときに、「阪神ブルーグラス協会のウサギさんチームの大橋」を見つけ、何とか、バンドを維持することが出来るようになりました。 これから、第2黄金時代だと思っていた矢先、ベースの藤井さんが仕事の都合で続けていけなくなって、「デキシードランカーズの森上さん」に先輩のよしみで入っていただき今日に至っています。 03年は、伊丹のカントリーライブハウスのHANK'Sのレギュラーも入り、第三黄金時代突入! これからも、ザ・バーボン・ブラザーズの音楽・ブルーグラスを広めるためにがんばりたいと思っています。 

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バンドのコンセプト

こんなに底抜けに楽しいブルーグラスと言う音楽が存在することを、大勢の人に知ってもらい、一緒に楽しんでもらうことをモットーに活動しています。
もちろん、バリバリのソリッドブルーグラスも演奏しますが、活動拠点がブルーグラスのライブハウス以外が多いため、お客さんが自然にブルーグラスに入り込めることを重視しています。
そのために、ブルーグラスの楽器を使って、様々な曲のアレンジを数多く手がけ、ギャグバンド的な要素も盛り込んでいます。
音楽性は幅広く、日本民謡から、ジャズ、ポップス、カントリー、ヨーデルまで可能な限り取り組んでいます。
また、集客力のあるバンド、固定客の付くバンド、銭が取れるバンドを目指しています。 
お金を払ってまで聴きに来てくれるお客さんが付くと言うことは、自分たちの音楽性がそれだけ魅力のある物だと考えています。 
これからも、プロとして認められるようなバンドになるためにがんばりたいと思っています。
よろしくお願いします。

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