〜 リュウイン篇 〜

 

【第90回】

2005.3.16

 

「リリーはよくおまえを受け入れたものだ。伯父上の隠し子だと言われたのだろう? どう納得したのだ」

「ウソだって最初から知ってたよ」

「エリザ姫は、おまえがあのときの子だとは知らぬようだが」

「あンとき、髪染めてたじゃんか。背も伸びたし」

 最初の湯浴みのとき、湯女が騒いだものだ。

『あれー、髪の色が抜ける!』

 悪かったな。こっちが地色だ。

 ごたいそうな服を着せられると、王さまが口をあんぐりと開けた。

『ウルサの姫のゆかりか?』

 とうちゃんも同じことを訊いた。

『虹の清水辺りの出身か?』

 うなずいておくべきだったか?

 けど、素性が知れたら。スリのヘデロなんか、置いておくわけがない。

 リュウカに会いたかった。このつながりを断ち切ってはならないと思った。

 リュウカを守りたかった。ここにいれば、ひとりでいるより力がつくと思った。

「クス・イリムって知ってる? 背中にでっかい刀傷のある剣豪でさ」

「母の友人だ」

 リュウカは火の気のない暖炉を睨んだ。

「会ったのか? 元気にしていたか?」

「うん。オレの剣の師匠」

「道理で。おまえの剣は草原に近いと。母は祖母から習い覚えた草原の剣を、イリム子爵と極めようとしたのだ。だが」

 杯をあおった。

「だが?」

「母との仲を疑われ、斬られた」

「誰だよ、そんなバカは。あそこの夫婦見てりゃわかんだろ。師匠は救いようのない朴念仁で、おまけに奥方にぞっこんだよ」

「斬ったのは母だ。私を助けるために」

「どういうこと?」

 リュウカはまた暖炉を睨んだ。

「この離宮は、百年ほど前、ウルサの姫のために建てられたものだ。柱も壁もウルサから取り寄せられた。ベッドも、暖炉もそうだ。今はないが、当時は池もあり、そのほとりに湯屋が建てられたそうだ」

「ウルサ式の?」

 リュウカはうなずいた。

「じゃ、今はなんでないの?」

「王弟が火をつけたとか。ウルサの姫は王弟妃だったが、その実は国王の寵姫だったという。嫉妬に狂った王弟が火を放ったというが、真実はどうか。以来、ここは代々寵姫の館でな」

 リュウカは暖炉に歩み寄った。

「人目を忍ぶため、仕掛けに凝ったらしい」

 暖炉の横のレンガにナイフの刃先を差しこんだ。

 黒い穴が空いた。おとながひとり、這って入れるほどの穴だ。

 くぐり戸にレンガが薄く貼りつけてあるのだった。

 閉じると、境目がわからなくなった。

「すげぇ」

 ヒースは近寄り、目を凝らし、触れて確かめた。かすかなナイフのキズ以外、形跡はない。叩くと、音がうつろに響いた。

「厩につながっている。ここから逃れたのだ、あの夜」

 リュウカはまだ壁を睨んでいた。

「母上と私は、ここから。あの夜の追っ手はちがった。明るみになることを恐れず、どこにでも待ち伏せていた。なにより、母上の命までも狙った」

 そして、リュウカのかあちゃんは死んだ。

「母上は毎夜、そこのテーブルで本を読んでいた。かすかに酒の香りがした」

 リュウカはテーブルにもどり、杯をあおった。

「強ぇじゃん」

 ヒースは瓶を振った。空だった。

「弱いって言ったクセに」

「まだまだだ。母上なら何本空けることか」

「比べる対象間違ってるって」

「おまえはパーヴへ帰りなさい」

 リュウカは暖炉を睨んだ。

「私といても……」

「ロクなことがない?」

 ヒースは並んですわった。

「おまえと私はちがう。生まれた国も、持って生まれた定めも。私に寄るな。母の轍を踏む」

「また剣を教えてくれよ」

「師に習え」

「守るって約束した」

「簡単に言ってくれる」

 リュウカはため息をついた。

「母上ですら、かなわなかったのだぞ。おまえなど、まだまだだ」

「もっと強くなるさ。それでも間に合わなかったら……」

 腹に力をこめる。

「死ぬときは一緒だ。もう、あんたをひとりにはしないよ」

 リュウカは薄く笑った。

「同じだ」

 え?

「あの夜と同じ。母上と私は逃げた。母は立派な人だった。やさしく強く、賢くて正しい人だった。篤く慕われ、みな夢中になって集ってきたものだ。華があり、魅力があった。みな、母を頼りにし、敬い、愛した。勇ましく聡く、敵とも渡りあい、みなを守った。そうだ。母は最期まで私を守ってくださった。だが、私はそうではない。私には、何の力もない」

 ヒースをふり返った。

「パーヴへ帰りなさい。グレイ侯の元にいれば、思う存分歌えるだろう。剣の腕も磨けるだろう。そうして、一生幸せに暮らしなさい」

「あんたと幸せに暮らすさ。二年待った。もうじゅうぶんだろ」

「おとなの言うことはきくものだ。わかったな、ヒース」

 ヒースは空に向けて、大きくため息をついた。

 子ども扱いかよ。

「あのさ、わかってる?」

「なにが」

「口説いてんだよ、オレ」

 リュウカは微笑んだ。

「やさしい子だ。そうして力づけてくれなくてもよいのだよ」

 アッシャ!

 小さく呪いの言葉を吐いた。

「なにか、気にさわったか?」

「いいや! なんにも!」

 立ちあがった。

「お休み!」

「お休み」

 部屋から出て、後ろ手に扉を閉める。

 待てよ。

 酒瓶を片づけとかないと、かあちゃんに怒鳴られそうだな。

『ちい姫さまを酔わせて! なに考えてるんです!』

 頭の中の声に肩をすくめて、ヒースはもう一度扉を開けた。

「リュウカ、瓶を……」

 明かりに目元がきらめいた。

 濡れていた。

 睨んでいたんじゃない。

 とっさに閃いた。

 涙をこらえていたんだ!

「えーっと、リュウカ」

「すまぬ。目が腫れる」

 リュウカは目元をぬぐったが、意味をなさなかった。あとからあとから涙が吹きだした。

 ヒースはベッドに腰をおろし、迷わず頭を抱いた。

「泣いとけよ。明日はテキトーにごまかしとくからさ」

 北の街の浴場で身を丸くしていたリュウカの姿がよみがえった。なすすべなく、ただ眺めていただけの自分。

「ここはあんたんちだし、オレだって昔のオレじゃないんだぜ。少しはあんたの力になれる。泣いてやれよ。涙は供養になるんだってよ。オレの知ってる尼さんはそう言ってるぜ」

 胸ぐらを強くつかまれた。

 嗚咽が漏れた。

 涙は果てしなかった。

 せわしい足音で目が覚めた。

 部屋はぼんやり明るい。

 朝か。

 何かが胸元で動いた。

 黒い……髪。きれいだ。

 頭が動き、黒い眼と目が合った。

「わ、ヤベ」

 ヒースは起きあがりかけ、失敗した。右腕はリュウカの頭の下だった。

 扉が開いた。

「このバカ息子!」

 リリーはひと目見るなり、箒をふりあげた。

「ちい姫さまになにを!」

「誤解だ! 誤解! なにもしてねぇって!」

 ヒースはリュウカを抱き起こし、手を引き抜くと、ベッドの周りを逃げまどった。

 リュウカが泣き疲れて眠ったのは覚えている。

 ベッドに寝かせて、そのまま自分も寝入ってしまったらしい。

 泣き顔はかわいそうでもあり……。

 でも、かわいかったな。

 リュウカが着衣を整え、ベッドをおりた。

 窓を開ける。

 冷たい朝の風が入りこんだ。

 風景に見入るそのまぶたは腫れている。

 冷やしてやらなくちゃ。

「かあちゃん、氷……」

「許しませんよ! ちい姫さまに乱暴を働いて!」

「ンなことできるか! どっちが強いんだよ!」

「どうせ酔わせて好きにしようとしたんでしょ! お酒の匂いがぷんぷんします!」

 降りてきた箒を片手で受け止める。

「リュウカぁ、なんとか言ってくれよう」

 情けない声を出した。

 リュウカが身をひるがえし、ベッドに腰をおろした。

 頬が赤い。

 箒を払って、ヒースは近寄り、額を当てる。

「少し熱があるな。かあちゃん、氷」

「馴れ馴れしく触るんじゃありません!」

「氷!」

 肩を抱くようにして、リュウカをベッドに横たえた。

「疲れが出たんだろ。今日はゆっくり寝てな」

「すまぬ」

 リュウカは目を閉じた。

「離れなさい」

 襟首を引かれ、ヒースはよろめいた。

「この方は、おまえなんかが直接口をきいていい方じゃありません。どなただと心得てるの」

「かあちゃんの恩人の娘だろ。でも、オレにとっちゃ、ただのかわいい女の子だよ。なあ、リュウカ?」

「この方は、女王となられる方です!」

 リリーが眉をつりあげた。

「この国を正しく治め、ゆくゆくは国母となられるんです。おまえなんかが近づいちゃいけません! 身のほどを知りなさい!」

「かあちゃんまで身分がどうとか言うのかい?」

「私が言ってるのは、人間の質です! 今度こそ、ふさわしいお相手を見つけてさしあげるんですから!」

 今度こそ?

「前にもあったの?」

「お姫さまのご不幸は、あのマヌケ面に始まったんですからね。ちい姫さまにだけは、頼りがいのある立派な殿方とご一緒になっていただかなくては」

「かあちゃん、そりゃあちがうよ」

「何がちがうんです!」

「リュウカはこんな国でくすぶってる女じゃねぇよ。草原にもどって、所帯を持って、子だくさんで幸せに暮らすんだ。子どもたちは強くてシャイな母ちゃんが大好きで、父ちゃんは毎晩リュウカの冒険を歌にして聞かせるんだ。昔々、驪の姫がおりました。ヒース野原に囲まれた、小さな離宮で生まれました……」

「どさくさに紛れて、売りこむんじゃありません!」

 バレたか。

「それより、氷だよ」

「わかってます!」

 リリーはヒースを部屋から追いだした。

 

   

 

 

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