昼食はひどいものだった。
食事は大皿から取り分けられ、おまけに取り皿は一品ごとに替えるでもなし、ナプキンも調味料も水も世話する給仕もなしで、てんでマナーがなっていなかった。
とんだ田舎へ来てしまった。
「姉上の明日のご予定は?」
弁当箱を片づけているリリーに訊ねた。
「今日と同じです。こちらでお仕事です。明日も明後日も、その次も。お忙しいんですから、お手を煩わせないようになさいませね」
リリーはつっけんどんだった。
「デュール、ちゃんとエドアルさまをお城までお送りするんですよ。おまえのほうが年上なんだから、しっかりしなさい。いつまでも子どもじゃないんですからね」
カチンときた。
私だって、今年成人したのだ。立派なオトナだ。
「ここには勉強できるところはないのか」
エドアルは腹に力を入れた。低い声をゆっくりと絞りだす。
「姉上が仕事をなさっているなら、私も遊んではいられまい。ゆくゆくは姉上を補佐する身、この国について学びたい」
どうだ、とヒースを見た。
これぞ、オトナの男というものだ。
「では、お城に帰って、赤イタチにでもお言いつけになってください」
リリーはまったく動じなかった。
「国より人の心だと、私は思いますけどね」
てきぱきと弁当箱をまとめ、袋にしまった。
「偉そうにお勉強してるヒマがあったら、それこそ、オレンジを摘みにでも行ったほうがマシですよ」
立ち上がった。
「デュール、ちい姫さまのお言いつけですからね、ちゃんとエドアルさまを……」
「かったりー」
「デュール!」
ヒースはおおげさに首をすくめてみせた。
「まずは、ここを改めよ!」
迎えの兵の前で、エドアルは命じた。
「ここの守りは薄い。我々が鉄壁の守りで、姉上をお守りするのだ!」
十数人を率いた隊長が答えた。
「我々の任務は、殿下を城までお連れすることです」
「わかったら、すぐに守りにつけ!」
「我々の任務は、殿下を城にお連れすることです」
赤い上衣をかぶった隊長は、ゆっくりとくり返した。
エドアルは、相手の言葉を口の中で反芻した。
なに!
脳に意味が飛びこんできた。
「わ、私は国賓で、隣国の王子だぞ! ゆくゆくはこの国の王女の夫となるのだぞ!」
「おめでとうございます」
隊長は冷ややかだった。
「私の命令がきけないのか!」
「宰相殿下のご命令ですので」
隊長が軽く手をあげ、兵が数名エドアルをとり囲んだ。
「お連れするのに手段は選ばないようにと承っております」
腕をつかまれた。脚がつかまれ、体が横倒しに宙づりとなる。
気持ち悪い。
「やめろ! おろせ!」
必死に手足を動かそうとしたが、動いたのは尻や背中だけだった。
食堂の椅子は、腰かけると深く沈んだ。足が浮き、軽くかがんだかのように腹が圧迫される。
イヤな椅子だ、とエドアルは思った。
誰もいない食卓。
給仕が食前酒を運んできた。
赤いドロリとした液体が、グラスの中で揺れていた。
傾けて、口にふくんだ。
甘い香り。脳天を突き抜けるような甘み。
反射的に吐きだした。
汗が全身から噴きだした。
手が震えた。
医者を! と呼びかけて、口をつぐんだ。
毒入りとは限らない。
給仕がけげんそうにエドアルを見つめていた。
咳払いをひとつ。
「私の口には合わん」
ナプキンで口をぬぐった。赤く染まる。
「別のものを持ってこい」
「晩餐には、イチゴワインと決まっております」
給仕が恭しく頭を傾けた。
「聞こえなかったのか。私の口には合わん」
「国王陛下のご命令ですので」
「私の口には合わんと言っておるのだ!」
食堂のドアが勢いよく開いた。
リズが笑顔をたたえ、踊るような足どりで席に着く。
「これを絞って、ジュースにしてちょうだい」
白いテーブルクロスの上に、鮮やかな夕暮れ色の山が崩れて転がった。オレンジ。
「私とお姉さまに一杯ずつ」
エドアルの目が吊りあがった。
その夕暮れの色は、昼間の不愉快さを呼び起こしたのだ。
「誰から……」
声がかすれた。
わかりきった答えだった。
それでも問わずにいられなかった。
「誰から受け取ったんですか!」
リズは息を飲んだ。
エドアルを見つめた。
空気が凍った。
「答えなさい! 誰から受け取ったのですか!」
「食料庫の……」
リズはゆっくりと口を開いた。
「管理人よ。ちゃんと断ったわ」
エドアルの肩がおりた。
かわりに、リズの目に光が甦った。
「なにかいけない? それとも、自分の好きなものを選んじゃいけないって言うの?」
「そんなことは言っていませんよ、ひとことも」
涼しい顔でエドアルはしらばっくれた。
「それにしても、姉上まで子どもじみたものを召しあがるのですね。あなたは仕方ないけれども。まだ子どもですからね」
「ムカつく!」
リズが口をとがらせた。
「下品な物言いはやめなさい。来年には大人の仲間入りをするんですから」
「都合のいいときだけ大人扱いして!」
リズは叫んだ。
「静かになさい。王女は国の鑑ですよ。異国からの来客に国の品位が疑われます。自覚なさい」
「客なんていないもん!」
「気を抜いたときに、品の良し悪しが出るのです。いつ何時も、隙を見せてはいけません。常に緊張して、ご自分を磨きなさい」
リズの顔は真っ赤だった。唇を真一文字に結び、睨みつけている。
「少しは反省しましたか? あなたはまだ子どもだけれど、来年は大人の仲間入りをするのだし、今から充分身につけておかなければね。成人の儀というのは、これから大人の訓練を始める火ではなく、大人としてのふるまいが身についていなければならない日なのですからね。あなたは今まで好き放題なさってきたのでしょうが、これからはそうはいきません。私の妻になるのだという自覚を持っていただきます」
「どこかで聞いた説教だな」
エドアルの背後で風が吹いた。
ふり返った。
赤い小さなマントがはためいて、エドアルの席を通り過ぎた。光沢のあるドレスは大きく胸が開き、そこからウエストまでが古くさい刺繍に覆われていた。
「待たせたな」
ぐるりと席をまわりこみ、赤いドレスがリズの隣に着座した。
その瞬間、リズの目が決壊した。
「お、おねえざばぁ!」
目ばかりではなかった。鼻も声も大洪水だった。
リュウカは苦笑して、ナプキンをとった。
「食事にならないよ。機嫌を直して」
リズの顔を拭い、とんとんと背を叩いた。
「そうですよ! 王女ともあろう者が、食卓で泣きだすなど! 恥を知りなさい!」
エドアルは叱りつけた。
リュウカの目が、すうっと冷たくなった。
「今まできかされてきた言葉を、そのまま人に転じるのか」
「何のことです?」
「そなた自身の言葉で語りなさい。でなければ、言葉は虚しい」
謎かけのようだ、とエドアルは思った。
しかし、意味がわからないなどと答えては、まるで自分は愚かだと白状するようなものだ。
ここは、話を元に戻そう。
「姉上、私はエリザ姫に下品な言葉づかいをやめなさいと注意しているのです。ムカつくなどと言うものですから」
「だって、子ども扱いしたり、オトナ扱いしたり、勝手なんだもん」
リズが鼻声で叫んだ。
「ほら、すぐに叫んだりして。静かに話せないのですか」
「なによ! バカにして!」
「落ち着きなさい」
リュウカはリズをなだめた。
「ほら、姉上だってあきれていらっしゃる!」
エドアルは勝ち誇った。
「あなたには、自覚が足りないんです。私の妻になる前に、きちんとしたレディになってもらわなくてはね!」
リュウカはため息をついた。
「きっかけはなんなのだ」
「きっかけ?」
少しの沈黙。
「ジュースよ」
リズは言った。
「オレンジを持ってきて、ジュースにしてちょうだいって頼んだの。そしたら、アルは、ジュースなんて子どもの飲むものだってバカにしたのよ!」
「晩餐には、イチゴワインと決まっているのです。国王がお決めになったことですからね」
エドアルは得意げに言った。
リュウカが苦笑した。給仕に声をかけた。
「ジュースをエドアル殿下にも」
「おそれながら、晩餐にはイチゴワインかいちごジュースと決まっております。国王陛下のご命令でございます」
給仕はエドアルのときと同じように答えた。
リュウカは手を上げて遮った。
「せっかく食料庫から出していただいたものだ。ムダにしては申しわけがない。上には、私から話しておくから」
「おそれながら殿下、国王陛下のご命令には絶対服従していただきます」
「そなたには迷惑をかけない。実は私もあのワインが苦手なのだ。あれを出すと言い張るなら、今すぐ大広間に駆けこんで直訴する」
「国王陛下のご命令は神聖不可侵でございます」
にべもない。
リュウカは立ちあがった。
「姉上! 早まらずに!」
エドアルは手を伸ばしたが、届くはずもない。
リュウカは身を翻し、まだ入ってきたばかりの扉から消えた。
「姉上!」
「お姉さま!」
リズとエドアルはバタバタと後を追った。
たかが食前酒ひとつのことではないか! どうして大騒ぎになるのだ?
エドアルは額に手をやった。
エリザ姫どころじゃない! 姉上こそ狂ってる!
黒髪が廊下の角を曲がるのが見えた。
必死で追いかけた。
途中で見失った。
王に話に行ったのなら、大広間のはずだ。毎晩宴会を開いているのだから。
たしか、こちらのはず。
うろ覚えで歩き、衛兵を見れば道を訊ね、ようやく人の喧噪を耳にしたときにはホッとした。
角を曲がると、視界が開けた。広い中庭に燭台が並べられ、庭を煌々と照らしていた。そこに着飾った貴婦人や紳士たち。
もっとも手前に、黒髪の女がひざまずいていた。
髪から何かがしたたり落ちている。とめどなく。ドロリドロリと。
視線をあげれば、太った男が両手に大ぶりのグラスを掲げ、逆さまにひっくり返しては黒髪に浴びせているのだった。
リュウイン国王!
エドアルの足は鈍った。
国王は酔ったような満足げな笑みを浮かべ、笑い声をあげていた。
「飲め! 飲め! レイカ!」
「旨いか? 旨いだろう! 遠慮するな! レイカ!」
エドアルは足を止めた。
すくんだ、と言ったほうが正しいかも知れない。
国王は、幽霊を相手に話しているのだった。
「レイカ、予の気持ちがじゅうぶんにわかっただろう! 許してくれと言え。もどってくると言え。愛していると言え。レイカ!」
国王はグラスを放り投げ、黒髪の女の肩をつかんだ。
「恐れながら、私は母上ではございません」
リュウカが低い声で言った。
「それは当然だろう」
国王が大声で笑った。
エドアルはホッとした。リュウイン王は、正気を保っている。今までは悪ふざけが過ぎただけなのだ。
しかし、安堵は一瞬にして打ち砕かれた。
「おまえは萌黄の方ではない。あの方は国王の花嫁を装いながら、実は息子のカルヴなどと通じていたけしからん女だ」
な……なんだと?
頭に血がのぼった。
父上を侮辱するか!
「おまえも、そのあばずれの血を引いている。だが、予は許してやるぞ。許してやる! 代わりに、今の男のクビを持ってまいれ! レイカ!」
「私はリュウカでございます」
リュウカの声は低く震えていた。恐怖とも怒りともつかぬ声だった。
「リュウカだと!」
国王は目をむいた。
ぎょろりと、まぶたが剥けてしまったように見えた。白目が飛び出したようでもあった。
絵本で見たことがある、とエドアルは思った。
化け物が正体を現すときの顔だ。
「あの男の子か! あの憎らしいあの男! 言え! 今レイカはどこにおる! あの男はどこだ! 切り刻んでやる! レイカはどこだ!」
国王の両手が肩から滑った。長い首を締めつけた。
「死ね! 死んでしまえ! あの男の娘め! あの男と一緒に、地獄に落としてやる!」
リュウカはじっと国王を見ていた。
それから、ゆっくりと国王の腹を蹴った。
国王は後ろへひっくり返った。
「殺せ! これを殺せ! クビを斬るのだ! クビを斬って城門にさらせ! これを見れば、レイカも目が覚めて予の元に帰ってくる! さっさと斬れ! ほうびをとらすぞ!」
ひっくり返ったまま、国王は叫んだ。
場が凍りつく。
「陛下!」
人ごみをかきわけて、小男がやってきた。
宰相ランベル公だった。
「陛下、お酒が過ぎましたか。ここには誰もおりませんぞ。さあ、しっかり」
「レイカを返せ! 予のレイカ! レイカ!」
リュウカは身を翻した。
エドアルの横を通り過ぎた。
ようやく呪縛が解け、エドアルはリュウカを追った。
またしても見失ったが、床にべったりと塗り残された赤黒い液体が、行き先を告げていた。なめくじの痕のように、ぬめり光っていた。異様に甘く薬のような匂いが鼻腔を満たした。
まるで、鼻の粘膜にまとわりつくようで、気持ちが悪い。
軽いめまいを覚えながら、エドアルはイチゴワインの痕をたどった。
迷路のように入り組んだ廊下を過ぎ、地下へと降りていた。
石造りの冷えた廊下に、細く灯火がともっていた。
荒々しい音が轟いた。
そっとのぞいてみると、ぐっしょりと濡れたドレスと濡れ髪の女が、扉を片っ端から開けているのだった。
巨大な剣を振り下ろし、錠を壊して、重い木の扉を蹴り開けた。中に入り、漁っては出て、また隣の扉で同じことを繰り返す。
狂っている、とエドアルは思った。
暗闇の底で、狂人とただふたりきり、取り残されている。
動けなかった。
食い入るように女の姿を見つめていた。
やがて、リュウカはひとつの扉の中に入った。
また、轟音が響いた。
何か重たいものが落ちて転がるような音である。
入ったきり、出てこない。
轟音だけが、繰り返される。
エドアルはおそるおそる覗いてみた。
甘い粘りつくような匂い。樽がぎっしりと並んでいる。
リュウカは剣を握っていた。その刃には、ぬめるような光。いかにもずっしりと重そうで、もしエドアルなら振り回すことはおろか、逆に振り回されそうな気がした。
刃が振り上げられ、振り下ろされた。
樽がまっぷたつ!
と思ったが、期待を外れ、太いロープの封を切り落としたに留まった。
樽の栓を抜き、まくりあげたドレスの下から足が伸び、樽を蹴り倒した。
重く低い音が響いた。いつまでも響いた。イヤに耳につく響きだった。
中から、赤黒く粘りけのある液体が流れだした。それはあたかも、心臓の脈打ちに合わせて噴きだす血の海だった。甘い匂いが強さを増した。
エドアルはくらくらした。吐き気がこみあげ、その場にすわりこんだ。
リュウカはひとつ、またひとつと樽の封を開け、転がしていく。
魔物だ。
魔物に取り憑かれたんだ。
誰か、これは夢だと言ってくれ! 悪い夢だと!
しかし、強く甘ったるい匂いが、イヤというほど現実を突きつけた。
ならば、せめて! せめて誰か、止めてくれ!
「リュウカ、それぐらいにしとけよ」
弦に似た声が、からかうように響いた。
薄暗がりに、白っぽい髪。背の高い異国の風貌。
救いの神のように見えた。
「うへえ。こりゃあ、後始末がたいへんだぜ。あんたもつきあえよ。自分の粗相なんだからな」
恐れを知らない不敵な笑み。神にしては悪意に満ちていると思った。
「おまえ、どうして」
リュウカが首をかしげた。鬼気迫る勢いが消えた。すべては夢幻であったかのように。
「リズに聞いたぜ。いくら嫌いだからって、ここまでやらなくてもいいだろ。リズのじーちゃんには、オレから頼んどくからさ」
「宰相ではない。国王の命令なのだ」
リュウカの目に、一瞬殺気のようなものが走った。
狂気が再燃するように思えて、エドアルは体をこわばらせた。
「あんなおっさん、まともな話ができるもんか」
ヒースはカラカラと笑った。
よくもまあ、軽く笑い飛ばせるものだ、とエドアルは思った。
背筋が冷たい。震えが走る。
状況を察しろ。このうつけ。
「なんのかんの言って、実質的な権力者はリズのじーちゃんだろ。オレから言っとくからさ、その物騒なもん、しまってくんない? なあ、リュウカ」
リュウカは剣を振り上げた。
斬られる!
ヒースの胴が上下まっぷたつに分かれるさまを想像して、エドアルはこわばった。
目をつぶりたかったが、もはやまぶたさえも自由にならなかった。
リュウカは剣をひとふりして、鞘に収めた。
「おまえが言って、どうにかなるものではなかろう」
信じられない。
あの狂気はどこへ失せたのか?
「ここがよくわかったな」
「あんたのすることなんか、お見通しだよ。つきあい長いんだぜ?」
たぶん、ワインの痕を追ってきたのだろう。エドアルと同じように。
「どうせ、足りなくなりゃ買うだけだろ? あんたのやってることは、無意味だよ。わかってる? さっさと樽を起こせよ」
「そうだな、すまぬ」
リュウカはおとなしく樽を引き起こした。
「あんたみたいな凶暴な女、野放しにしとくなんて、危なすぎるぜ」
「そうだな」
エドアルも、同感だと思った。
「だからさ、こんなとこ来ないで、オレんとこ来いよ」
ヒースも樽を引き起こした。
服が暗い色に染まった。
「それでどうなる? それこそ無意味だ」
リュウカは淡々と樽を引き起こす。
「大アリだよ! 話だって聞いてやれるし、暴れたって、泣いたっていいんだぜ?」
「たいした自信だな」
「長いつきあいだからね」
ヒースは扉の裏をまさぐって、モップとバケツを出した。
床にモップが走ると、表面が波打った。並々ならぬワインの量が知れた。
ヒースはモップをバケツの上で絞った。そして、また床を這わせる。
吸わせては絞り、絞っては吸わせ。
ムダなことを。エドアルは思った。
「私も手伝うわ」
エドアルの頬に風が当たった。
目の前をリズが通り過ぎて、ワインの海へと舞い降りた。
いつの間に。
リズのドレスの裾は、みるみるうちにワインで染まった。
いけません! とエドアルが声をかける前に、笑い声が響いた。
「それじゃ全身モップだよ。後でモリスが泣くだろうなあ」
「だぁれ? モリスって」
モップを押しながらリズが訊ねた。
「自分の侍女の名前も知らねぇの? モップ姫」
ヒースが答えた。
「どの人? もしかして、いちばん偉そうなガミガミ言う人?」
「ちがうちがう。それはローンだろ。ワット・ローン。旦那が公爵だかなんだかで、自分も偉くなったような気がしてるオバサン。その下に、いじめられてる衣装係の子がいるだろ。鼻ペチャでそばかすのある色白の子」
「わからないわ。衣装係なんて何人もいるもの」
当然なことだった。風呂も着替えも大勢の侍女が押し寄せて済ませてくれる。いちいち顔だって覚えてはいられない。
「下々の者同士、気が合うみたいだな」
エドアルは嫌みを言った。
リズが睨んだ。
「あなたたち、いとこ同士じゃない」
いとこ。
たしかにそうだった。
エドアルは国王の息子で、ヒースは王弟の庶子ということになっていた。
だが、本当は。
事実を知ったら、リズはどんな顔をするだろう。憧れのモーヴ叔父の血など一滴もひかず、それどころか、どこの馬の骨とも知らない卑しい生まれだと知ったら。
事実を告げたい衝動に、エドアルはかられた。
「モップ姫、掃除はオレらがやるから、上がってろよ。これは、リュウカの不始末なんだし」
「いやよ。いっそ、一生お姉さまにお仕えしようかしら。結婚なんてやめて」
そっけない言い方だったが、エドアルの導火線に火をつけるには充分だった。
「女性が結婚せず、どうすると言うんです!」
リズはエドアルを見なかった。
「いいですか! 女性というのは、家庭に入って、子どもを産み育てて一人前なんです! いつまでも独り身でいることなんて、できないんですよ!」
「ねえ、お姉さま、デュールを貸してくださる?」
リズは、まだエドアルを見なかった。
「頼みごとなら、本人に言いなさい。私にはなんの権限もないよ」
「じゃあ、デュール。お妾さんにしてちょうだい。お姉さまと結婚するのは協力するから」
なっ!
「なんてことをっ! もうすぐ私の花嫁になろうという人が!」
エドアルは怒鳴った。
酒蔵に重く響いた。
「これは国王命令なんですよ! 絶対服従ですからね!」
「デュールは形になんかこだわらないでしょ? リリーだって、そうだものね?」
「お袋は、親父に惚れてたんだぜ。親父もお袋にぞっこんだった。一緒にするなよ」
知ったげに。とエドアルは思った。
まことの親子ではないくせに。
私が父上と相談して、叔父上におまえを預けたんだぞ。
恩を仇で返しやがって!
「父上はきっとおまえに命令をくだすだろうな」
エドアルはヒースを睨みつけた。
「叔父上の跡を継ぐように、ガーダに派遣するさ! おまえはそこで、盗賊と追いかけっこしてりゃいいんだ! 永遠にな!」
叔父のモーヴ公は、そうして命を落としたのだ。遺体は未だに見つかっていない。永遠に荒野を彷徨っているのだ。
「そなたたちは部屋へもどって着替えておいで」
リュウカが静かに言った。
「ここは私が片づけるから、そなたたちは食事を済ませておいで」
「お姉さま、あたしはお姉さまの味方よ! お手伝いします!」
リズは身を乗りだした。ヒースがその手からモップをひったくる。
「はいはい、ジャマジャマ。おふたりさんは部屋にもどって」
「おまえもだ」
リュウカはさらりと言った。
「はいはい、黒猫ちゃん」
く、黒猫ちゃん?
エドアルは目をむきだした。
「無礼者! 姉上は一国の王女だぞ! ゆくゆくは女王となられるお方だ! 口を慎め!」
「じゃあ、またな、オレのかわいい黒猫ちゃん」
ヒースはウィンクすると、モップを片隅に置き、廊下を歩きだした。
リズがその後を追った。
あくまでも、自分を無視するつもりだ。
「姉上! あんな無礼を許しておいてよいのですか!」
「そなたも部屋に戻りなさい」
リュウカはモップをかけながら、静かに言った。
エドアルは廊下を歩きだした。充満するワインの匂いに辟易していたし、モップがけの手伝いをするのもまっぴらだった。
なにより、腹の中が煮えくりかえるようで、じっとしていられなかった。
どれもこれも、みんなあいつのせいだ、とエドアルは思った。
あいつなんて、叔父上に預けなければよかった! 姉上から預かったあの森に、そのまま放っておけばよかったのだ!