食堂に入ると、末席に宰相がついていた。
エドアルは目を疑った。
「宰相! ここは王家の食卓だぞ!」
「お席にお着きください、王子殿下。リュウインにはリュウインの作法がございます」
「ならば、姉上からお叱りを受けるがいい」
エドアルが席に着かないうちに、リズとリュウカが連れだって現れた。
「聞いて! アル! 昨夜、お姉さまのお部屋に泊まったのよ!」
「王女殿下、お静かに。来年ご成人あそばすというのに、困ったお方だ」
宰相が渋い顔をした。
リズはみるみるうちにしょげ、おとなしく席についた。
「姉上!」
さらに胸のもやは増し、エドアルは叫んだ。
「お叱りください! 王家の席に、王家の血の混じらぬ者が着いております!」
リュウカは静かに席についた。
「国には国のしきたりがあろう」
「姉上! 臣下の横暴を許しては、王家の威信に関わりますぞ!」
「食卓の椅子ひとつで揺らぐ威信に意味はあるまい」
「些末事を逃しては、後に大きな災いをなしますぞ!」
「私は長らく留守にした新参者よ。これまでの治者に従うのは道理ではないか?」
姉上の意気地なし!
「赤き血の同席を許すなら、私だって、ヴァンストンを同席させますぞ! そうか! 姉上は、グレイを同席させたいがために、こんなことを許すのですね!」
リュウカはゆっくりと首をふった。
「おそれながら殿下」
宰相が口をはさんだ。
「この国では、赤き血は王の血筋をさすものでございます。お間違えなきよう」
「おぞましい! あの生臭い赤い血のどこが高貴なのか」
「殿下、こちらでは、蔑むときに、青き血と申すのです」
「なんたる侮辱! 我らをおとしめるか!」
「リュウインとパーヴが永く敵対しておりますれば、かように呼びあうのもムリはなかろうかと」
言葉に詰まった。
赤のリュウイン、青のパーヴ。互いに罵りあった結果だというのか。
スープとパンが運ばれた。
「まだ、国王陛下がお越しめされぬぞ!」
今度こそ!
今までの憤懣をこめて咎めた。
「王后陛下も、もうおひと方の王女殿下も! さしおいて食事を始めるか!」
「おそれながら王子殿下」
宰相は淡々と言った。
「両陛下、ならびに王女殿下は朝の席においでになりませぬ。夜は遅くまで臣下を楽しませておいででございますれば」
「では、食事抜きで謁見に臨まれるとでも言うのか!」
「私が参れば済むこと。つまらぬいざこざに、国王陛下ともあろうお方をお悩ませするわけにはまいりません。しかし、本日よりは、第一王女殿下が自ら謁見に臨まれるとか」
「この国では、国王は務めを果たさないのか!」
「とんでもございません。国王陛下は常に国を憂えていらっしゃいます。その証拠に、殿下の婿入りを来年に早めるよう仰せになりました。エリザ王女殿下のご成人と同時にでございます」
なんだって?
「朝一番に、殿下のお国へ使いをやりました。快諾いただければ、もはや殿下は安泰ですぞ」
「私、まだ結婚したくないわ」
リズは朝食後、ぷいといなくなってしまった。
なぜうれしくないのだろう!
エドアルには納得がいかなかった。
結婚は女として最大の喜びである。妻や母になってこそ女は一人前になるのだし、夫や子に仕えることこそ、女の生き甲斐である。
もしかして、そんなこともわからないのか?
子どもなのだろうとエドアルは結論づけた。
マムやリリーなどのような、どこの馬の骨ともわからぬ者を教育係につけるからだ。由緒正しき家柄の者はいなかったのか?
今ごろ愚痴ても仕方がない。これからは、私が正しく導かなくては。
それが、まともな夫の務めである。
姉上にも協力してもらおう。
決意を胸にリュウカを探した。
部屋にはいない。リズの部屋もからっぽだ。
王族の棟を出てしまったのか? 姉上も自覚がない! 下々の者と気安くふれあってはいけないお立場なのに!
エドアルは侍女を呼びつけた。
「ヴァンストンを呼ぶように」
しかし、ヴァンストンは来なかった。代わりに侍女が戻ってきて言うには、ヴァンストンは居留守を使っていると言うのだ。
どうなっているんだ? この国は!
悪しき空気ゆえに、忠臣まで狂ってしまったのか。
エドアルは出向いた。じかに呼び、性根をたたき直すしかない。
鞭をとり、王族の棟を出る。
渡り廊下を通り、中庭に目をやる。
まぶしい日差し。小さな庭に緑の芝生と小さな木陰。仲むつまじげに男女が木陰で笑っている。
のどかさが、神経を逆なでした。
朝から怠けていないで、働け!
そのとき、男の髪が金色に光った。
あ、と思った。
もしや!
女の髪は黒髪だった。
「姉上!」
怒鳴った。
体がカッと熱くなった。
「そのような下々の者と!」
芝生の中に踏みこむと、こめた力でムダに沈んだ。
足をとられ、歩みが遅くなる。それがまた、さらに苛立ちを募らせた。
「離れろ! 下賤!」
手を振り、手にしていたものに気づいた。
ちょうどいい!
鞭はよくしなった。
「穢れが移る! 離れろ! 姉上の清い体を汚すな!」
鞭はうなりをあげた。
黒髪の女がわりこみ、剣のさやを掲げた。
鞭はたちまち巻きついた。
鞘が引かれると鞭の取っ手もまた引かれ、エドアルの手からするりと抜けた。
「あっ!」
「それぐらい、オレだって受け流せるぜ」
金髪の男が鞭をほどいた。
黒髪の女のぴたり斜め後ろ、息がかかるほどの近さである。
「はっ、離れろ!」
エドアルが駆け寄ると、金髪の男が鞭を持った。
「やっ、やめろおおっ!」
両腕で顔をかばった。
「なにやってんだよ」
金髪の男が吹きだした。鞭の取っ手を差しだしている。
「おまえが悪いっ!」
エドアルは怒鳴った。
「素行が悪いからっ! 日頃の姿を見たら、誰だってやり返すと思うだろうっ!」
ほとんどリュウカへの言いわけである。
ひったくるようにして、鞭を取り戻す。
「ダメにしてしまったな」
リュウカは元いた場所に戻って、椀を拾いあげた。
「服汚れた?」
「いや」
「じゃあ、これ飲めよ」
「おまえの分だろう」
「オレはあとからいくらでも食えるからさ。あんたは、今食っとかないとダメだ」
むむむ。
まだやってる!
「姉上! こんなところで、こんなヤツと何なさってるんですか!」
「メシ」
けろりとした顔でヒースが答えた。
エドアルは思い当たった。
そういえば、朝食の席で、姉上はほとんどなにも口にしなかった。
「おまえが心配することではない。姉上は昨夜晩餐会で多々召されて、空腹でいらっしゃらないのだ」
「バカはほっといて、リュウカ、食えよ」
「おまえがあがりなさい」
「バカだと!」
鞭の取っ手に力をこめる。
「言うに事欠いて、一国の王子を卑しめるか!」
「わかった、わかったって」
ヒースが苦笑した。
「やんごとないお姫さまは、その晩餐会とやらでも何にも召しあがってねーの」
リュウカが手でさえぎった。
ヒースから椀を取り、一気に飲み干す。
「すまぬな」
椀を返して身を翻した。
「姉上!」
エドアルは後を追った。
「あんな下々のものを召し上がって! おなかを壊されたらいかがなさいます!」
「毒は入っておらぬ」
毒!
一気に背筋が冷えた。
「縁起でもないことを! ご冗談はおやめください! なんのためにここへ参ったのです!」
「リズとは仲直りをしたのか」
うっ。
「そっ、それは……」
一瞬言いよどんだが、思いだした。
「そっ、そのために姉上をお探し申しあげていたのです! エリザ姫によい教育係をつけませんと! このままでは貴婦人としての気品が身につきません!」
「リズはよい子だ」
「それは私も認めます。でも、一国の王女としてはまだまだ足りません! 民の見本となるような立派な貴婦人にならなくては! そのためにも、きちんとした教育係をつけて躾けませんと!」
リュウカは立ち止まった。
「エドアル」
「はい」
やっと、本気になってもらえただろうか?
「まずは、そなた自身が学びなさい」
エドアルは一瞬黙った。
なるほど、もっともだ、とうなずいたからではない。
「姉上、話をそらさないでください。私はエリザ姫のことを話しているのですよ」
「そなたはこの国に来て日が浅い。学ぶ必要がある」
「それとこれとは違います。私が勉強するならなおのこと、エリザ姫を放っておいてよいのですか!」
「龍でもないのに、猫の仔を龍の仔と見分けられようか?」
「姉上の言うことは、てんで的はずれです! 私はエリザ姫のことは昔から知っているんです! それに、エリザ姫は最初から一国の王女です! 猫の仔とはワケがちがいます!」
リュウカは小さく息を吐いた。
「そなたは、モノをよく知っておるようだ。私よりもな」
「姉上、ご立腹なさったのですか?」
「ほかに意見が欲しいなら、ほかを当たりなさい」
「姉上! ご機嫌を直してください! 私が悪かったのなら謝ります!」
リュウカは首をふった。
「言いたいことは言った。後は自分で考えなさい」
手を伸ばし、宙をまさぐった。
おかしい。
エドアルは改めて卓上を眺めた。
ない!
もう一度見た。
呼び鈴がない!
頭の芯が熱くなった。
手を鳴らす。
音が部屋に沈んでいく。
誰も来ない。
またか!
朝も同じだった。
「誰か!」
叫んだが、誰も現れない。
これもまた、朝と同じ。
ちっとも直ってないじゃないか!
居間を大股で突っきった。扉を開け、通路に立つ衛兵を睨みつけた。
「侍女はどうした! 呼び鈴は!」
「私の役目は、不審者を防ぐことです、殿下」
若い衛兵は不思議そうにエドアルを眺めた。
「これが国賓に対する扱いか? 侍女も呼び鈴も、なにもないではないか!」
「ご要望は宰相殿下におっしゃってください」
「今しがた、朝食の席で命じたばかりだ! だいたい、おまえも気をきかせるべきではないか! 国賓が不自由ないよう気を配るのも、臣下の務めだぞ!」
「私の役目は、不審者を防ぐことです、殿下。それに、呼び鈴を壊したのは殿下ご自身です」
きらめくガラス。青や赤や黄色の色とりどりのガラスが床に散らばったさまを思い出して、エドアルの顔はほてった。
たしかに、床に叩きつけたのは自分である。
「誰も来ないからじゃないか! おまえだって、聞こえてたんだろう! すぐご用聞きに来るべきじゃないか!」
「私の役目は不審者の防止です、殿下」
「クビだ! おまえなんかクビだ!」
「ご要望は宰相殿下におっしゃってください、殿下」
「言われなくてもそうするさ! 今、宰相殿に行って、おまえなんか即刻クビにしてやる! 泣き言言ったって遅いからな!」
エドアルは早足で棟を飛びだした。
この国はどうなってるんだ! 狂ってる!
エリザ姫も姉上も、この国に来たとたん、おかしくなってしまった!
正さねばならん!
中庭をはさんだ向かいの通路で何かが光った。
金の髪。
濃い青のフード付きマント、その下から長靴が見えている。
「デュール・グレイ!」
エドアルが声をかけると、相手は立ち止まった。
北国の目鼻立ちに似合わぬ灼けた顔。
「みっともない! 着替えもないのか? さっきの粗末なナリといい、我が国に恥をかかせる気か!」
ヒースはニヤと笑った。
「リンネルのひらひらフリルはあんたに任せるよ。ぶかぶかのキュロットも、真っ白いストッキングもな」
「この国はどうなっているんだ! 衛兵にいたってまで、おまえのような口のきき方をする!」
エドアルは怒りをぶちまけた。
「父上がいらしたら、不敬罪で即刻流罪にしてやるのに! いいや、この国を正せるのは、私しかいない! そうではないか?」
ご立派でございます。さすがは王子殿下、ご賢明であらせられます。
ヴァンストンの声が不意に脳裏に甦った。
そうだ! ヴァンストン!
「おまえ、ヴァンストンを知らないか?」
「知らないね」
「では、探しだして、今すぐここに召しだせ!」
「ごめんだね」
ヒースは再び歩きだした。
「待て! 侍女に命じようと思ったのだが、見当たらないのだ。衛兵も横柄だし、これから宰相に直談判に行くのだ! おまえも来い!」
「そいつは忙しいや。王子さまのジャマはしないよ。不敬者がくっついてたんじゃ、腹が立ちっぱなしだろ」
「ふざけるな! そもそもおまえが悪いんだ! 姉上でさえ、あのように変わられて! そうだ、姉上はどこだ? 戒めてさしあげなければ!」
「まず、リズと仲直りしろよ」
「なにを言う! 女は男に従うものだ! 甘やかしてはためにならん!」
ヒースが吹きだした。
「なんだ! 無礼者!」
「いや。リズもたいへんだなあと思って」
「どういう意味だ!」
ヒースは厩に入った。
そこで初めてエドアルは合点した。
青いマントに長靴。
始めからヒースは出かけるつもりだったのだ。
「どこへ行く!」
「決まってんだろ」
エドアルはピンときた。男が仕事でもないのに出かけるとすれば、行き先は決まっている。新しい女でも作ったにちがいない。口説きに通うつもりなのだ。
「この下種が! 女のことしか頭にないのか!」
ヒースは薄く笑った。
「ご立派な王子さまは、やることが山ほどあんだろ。こんな下種にかまけてないで、とっとと自分のやることやんな」
栗毛にまたがる。
「ま、待て! 私の護衛はどうする!」
「リズのじーちゃんが守ってくれるさ」
「信用できるか! 私のそばには、ヴァンストンもいないのだぞ!」
「知らねーよ」
ヒースは栗毛の腹を蹴った。馬が飛びだす。
「待て!」
エドアルはあわてて馬番を呼んだ。
「勝手に馬を出したぞ! 見逃していいのか!」
馬番は年老いた男で、背筋はしゃっきり立ち、顔つきは頑固そうだった。
「あの方はよいのです」
「なにがいいんだ!」
「王妃さまがもどられたかのようだ」
小さくつぶやいた。
「馬を出せ」
エドアルは叫んだ。
「今すぐだ! あいつに追いつける速い馬だぞ!」
「そのお服では汚れます」
「命令だ! 早くしろ!」
エドアルは鹿毛に乗った。
腹を蹴った。
鹿毛はゆっくりと進みだした。
力が足りなかったか?
踵に力を入れて蹴った。
鹿毛はポクポクと歩いた。
「鞭を貸せ!」
エドアルは振り向いて怒鳴った。
「馬車馬ではありませんよ」
馬番は答えて厩に引っこんだ。
エドアルはさらに両足をふりあげた。
「こんなところで走ったら危ないだろ」
門柱の影から金髪がきらめいた。
「おまえが勝手に先に行くからだ!」
エドアルは怒鳴った。
「この国には、こんな馬しかないのか! 速い馬と言ったのに!」
「ちょうどいいだろ」
ヒースは青いマントのフードをかぶった。
「速すぎちゃ、乗り手が置いてかれるだろ」
「また侮辱するか!」
「イヤならついてくるなよ」
ヒースは馬を進ませた。
「まっ、待て!」
エドアルは急いで追いかけた。