〜 リュウイン篇 〜
第4部 ふたたびリュウイン(前編)
17章 ウィックロウ ……その2

 

 快い音を立てて、鍬が土をかんだ。

 引いて土を寄せれば、溝が延びる。

「こっちは終わったぞ」

 柄に寄りかかり、ヒースは腕で汗をぬぐった。

 畝が三十本。

 その向こうに肥やしの入った桶とスコップが二本。少年が三人、うちふたりはすわりこみ、ひとりは立ってわめいている。

 失礼。ひとりは女の子だ。

 ニヤ、と笑ってヒースは訂正した。

 そろって野良着なんで、男に……、いやいや、『下々の』男に見えたぜ。

「早くなさい! 肥やしを入れて、ちょっと土をかぶせるだけじゃないの! デュールはもう、ぜんぶ畝を作っちゃったわよ!」

「何度も申しあげたように、これは下々の仕事なんです。取りあげてはいけません。我らのように高貴な者は、ゆったりお茶を飲みながら、下々の働くさまを眺めていればよいのです」

「うちにいる限りは、うちのやり方に従ってもらうわ! 働かない人は、ご飯なしよ!」

「では、領内を見回りにまいりましょう。下々の者は怠けますからね、我々が厳しく監督してやらないと」

「怠け者はあなたよ! 物作りをなんにも知らないなんて、領主になる資格がないわ!」

「肥やしを埋めるなんて! 王子がすることじゃないでしょう!」

「うちではするの! あなたのいとこだってやってるじゃないの!」

 リズはヒースを指さした。

「あんな下々の者と一緒にしないでください!」

「あなたの叔父さまの子でしょ! お母さまがわからないからって、ひどいわ! もしかしたら、ウルサのお姫さまとの子かも知れないじゃない!」

 エドアルが言葉に詰まった。

 否定できるもんなら、否定してみろ。おまえたちがついたウソだろ。

 ヒースは意地悪く笑った。

「とっとと肥やしを入れてくれてよ、王子さまと子爵さま。苗も植えなきゃならないし、水も撒きたいんでね」

「指図するな、賤民!」

 ヴァンストンが怒鳴った。

「殿下に向かって! 異人のクセに!」

「リュウカも異人だぜ」

「姉上を侮辱するか!」

 今度はエドアルが怒鳴った。

「別に。ただ、リュウカなら野良着も似合うし、肥やしだってテキパキ入れてくれるぜ? ああ、そうか。異人だからか」

「ぶっ、ぶっ、ぶっ、侮辱しっ、したたなあ!」

 エドアルがスコップをとり、先をヒースに向けた。

「姉上を呼び捨てにし、その馴れ馴れしい物言い、重ねてこの侮辱! もう許せん! 鉄槌を与えてくれる!」

「スコップで?」

 リズが吹きだした。

 エドアルの顔が赤に染まった。

「けっ、けっ、剣をとれ!」

 ヴァンストンがあわてて荷物の山を探す。

「ムダよ。うちに置いてきたから」

「なんですって!」

 エドアルは目を剥いた。

「あなたって人は! 今の私の立場をわからないんですか? 命を狙われているのに、武器がないなんて!」

「スコップがあるだろ。それとも、こいつで戦うか?」

 ヒースはニヤニヤしながら鍬を振りあげた。

「下賤にゃお似合いだな」

 ヴァンストンが冷たく言い放った。

「殿下、一刻も早く離宮にお戻りを。剣もなしでは、いかな英雄でも賊に太刀打ちできません」

「だいじょうぶよ。おじいさまが兵隊さんに守らせてるわよ」

「万一ということがございます。殿下、一刻を争いますぞ!」

「てめぇは肥やしを撒きたくねぇだけだろ」

 ヒースは鼻でせせら笑った。

「デュール・グレイ! 私だけでなく、我が友まで悪しざまに言うか!」

 エドアルが怒鳴った。

「決闘を申しこむ!」

「やめなさい! どうして仲良くできないの!」

「これは王族と貴族の名誉をかけた神聖な闘いなのです。デュール・グレイ! 少々腕がたつと思って見くびるな! 実戦のような卑怯な手は、使えないからな! 正々堂々となら、おまえのような野蛮人ぐらい!」

 ヒースは天を仰いでため息をついた。

「なんだ、恐れをなしたか!」

「どこの世界に用心棒と闘う王子さまがいるんだよ」

「おまえなどには想像できまい!」

 ヒースは頭をかいた。

「面倒くせぇんだよな。ケガさせたら、リズもリュウカも怒るしなあ」

「まだ馴れ馴れしく! 断じて許さん!」

「いいじゃない、名前ぐらい。あなたにだってリズって呼んでほしいわ」

 リズの言葉に、エドアルは首を振った。

「いいえ。立場をわきまえなくては。あなたは町娘ではなく、一国の王女なのですよ、エリザ姫」

「あなたって、ほんっとつまんない人ね!」

 エドアルとヴァンストンは早々に帰りたがったが、リズは畑仕事をさぼる口実にはならないと言い張った。

「名誉がお腹を満たしてくれるの?」

 女性を置き去りにできないと、紳士たちは野良着のまま畑のすみで待つこととなった。

 しかし、女性が肥やしを撒くさまも、紳士には我慢ならなかったらしい。

「一国の王女が、そのようなことを!」

 たびたびとがめられ、リズは怒りくるった。

「じゃあ、あなたはなんにも食べないことね! 野菜は肥やしを食べて大きくなるのよ、さぞ汚いでしょう! お肉なんか、もっと汚いわよ! 肥やしで育った野菜を食べて、おまけにおしっこもうんちもするんだから! あなただって、今日からうんちするのをやめたら? あたしは毎日するわ。あたしのおなかの中は、うんちがいっぱい詰まってるの。あなた、寄りつかないでね!」

 エドアルは目を白黒させた。

 畑から戻ったのは昼過ぎだった。

 納屋に道具を片づけ、井戸へ行くと、着替えの済んだリズが待っていた。

「泥を落としたら、これ運んでくれない?」

 勝手口の前に酒樽が置かれていた。

「いいけど。なに、それ」

「お祝いのお酒よ。今届いたの」

「酒屋に中まで運んでもらえばよかったのに」

 手足の泥を洗い流し、野良着の上衣を脱いで、樽に手をかけた。

 甘い匂い。

 イチゴか?

「ねえ、デュール」

「ん?」

「あなた、お姉さまが好きなんでしょ?」

 今さら。

「前から思ってたんだけど。あなた、あのときの男の子なんじゃない? お姉さまがアルに預けた、きれいな青い眼の。髪の色も、背丈も、声も、顔もずいぶん変わったけど。そうなんでしょ?」

 なんだ、気づいてたのか。

 リュウカよりよっぽど賢いぜ。

「モーヴの叔父さまに言いつかって、あのときまでずっとお姉さまをお守りしていたんでしょ? つらかったでしょうね。パーヴでは、いくら好きでもいとこは結婚できないものね。でも、リュウインはちがうのよ。お姉さまだって、わかってるはずよ。もう我慢しなくていいのよ」

 前言撤回。

 このお姫さま、なんにもわかってねぇ。

「ところで、この樽、あんたが注文したのか?」

 リズの返答を待たずに、エドアルが姿を現した。

「こんなところにいらしたのですか!」

 ヒースをにらむ。

「一緒にお昼にいたしましょう。食堂へ……」

「あら、何も食べないんじゃなかったの? あなたの高貴な体から、うんちが出ても知らないわよ!」

「剣です! 殿下! 決闘用の剣です! 殿下!」

 金属音を響かせながら、ヴァンストンが駆けつけた。

「お待たせいたしました! 決闘用の剣をお持ちいたしました。殿下、これであの生意気な異人を懲らしめてくださいまし」

 エドアルの表情がくもった。

「あ、ああ。そんなことを、言ったか……も……なあ」

 のろのろと言いよどむ。

 目が泳ぎ、手がさまよった。

「殿下の太刀を思う存分、あの賤民にお浴びせください。高貴な血の偉大さを思い知らせてやるのです!」

 しっかりと、エドアルの手に剣を握らせる。

「そ、そうだな。デュール・グレイ、今のうちに謝れば、許してやらないこともないぞ。私は寛大だし、改心させるのが目的だからな。今後は分をわきまえると誓え」

 何言ってんだい! 舌は回ってねーし、セリフは棒読み。逃げ腰なのが見え見えだぜ。

 ヴァンストンが、さやを取り、刀身をあらわにした。

「さあ、殿下、ご存分に鉄槌を!」

「あのさあ、ここで光り物ふりまわすの、やめてくんない? でないと、かあちゃんが……」

「かあちゃん!」

 ヴァンストンが蔑むように笑った。

「ママがいないとなんにもできないのか? え? マザコン」

 いや、マジで怖いんだって。

 ヴァンストンの後ろに目をやる。

 ほら。

「刃物はしまいなさい!」

 真後ろから落ちた雷に、ヴァンストンは飛びあがった。

「どこの王子さまだろうと、子爵さまだろうと、うちのやり方には従ってもらいます! 今すぐしまって、手を洗って食堂に入りなさい! お昼ですよ!」

「ふん、この召使い女が。懲らしめてくれる」

 ヴァンストンが腰のものを抜いた。

 ヤベ。

 ヒースは飛びだした。

 一瞬、遅かった。

 ヒースの手が届く前に、リリーの後ろから現れた手が、剣を持つ手をねじりあげた。

 悲鳴があがり、剣は落ちた。

「お姉さま!」

「食堂に入りなさい」

 リュウカは剣を拾いあげ、ヴァンストンの腰に収めた。

 まぶたの腫れは幾分ひいているが、頬が赤い。

「エドアルも、それをしまいなさ……」

 ヒースはそばに寄った。

 コツン。

 額を当てた。

 目はうるみ、首に触れると熱い。

「まだ、熱があるな。寝てろよ。やっぱ、ゆうべ、ちゃんと布団かけてやりゃよかった……」

「姉上になにをした!」

 ちらとふり返ると、小さな火山が噴煙を上げている。

「姉上のご寝所に入ったのか! デュール!」

「だったら?」

 ヒースはニヤと笑ってみせた。

「無礼者! おまえなど、切り捨ててくれる!」

「へん、安っぽい騎士道か? 気合いで斬れるってんなら、いくらでも斬ってみな」

「言ったな! 覚悟しろ!」

 エドアルが剣を構えて突進した。

 ヒースは間近でかわし、横から蹴った。

 細い剣先が折れた。

 エドアルはなおも、折れた切っ先を突きだした。

「ったくよお」

 左手で柄を、右手で襟首をつかみ、ヒースはエドアルの目をのぞきこんだ。茶色の眼が燃えるようだった。

「どうする? リュウカ」

「おまえが悪い」

 頭に一発くらった。

 ちぇっ。相変わらず手の早い女だぜ。

「焚きつけるな。穏やかに話し合いはできないのか」

「この際だから、一発殴ってやって!」

 リズが憤然と言った。

「今日のアルはいばっちゃって、ホント、気分悪いったら!」

 思わぬ加勢にヒースは笑った。

「じゃあ、一発……」

「やめなさい。エドアルが何をしたのだ」

「何もしないの! 畑仕事は下々の仕事だとか、肥やしをすきこむのは汚いとか、もう、文句ばっかり!」

 リュウカが苦笑した。

「私、言ってやったのよ、お姉さま! 肥やしが汚いって言うなら、あなたはさぞかしきれいなんでしょう、一生うんちなんかしないでよって」

「エ、エリザ姫、下品ですよ、王女ともあろう方が……」

 襟首をつかまれながらも、エドアルは声を絞りだした。

「言うだけで下品なら、するのはもっとお下劣でしょうよ! じゃあ、私はお下劣なのよ! 毎日、ちゃんとうんちをするもの! でも、あなたはうんちなんかしないんでしょ!」

「下品な言葉を連発するものでは……」

「もう、頭にきた! デュール、一発殴っちゃって!」

「じゃあ、遠慮なく」

 エドアルの手をひねる。剣が地面に落ちた。すばやく蹴飛ばし、こぶしを作って後ろに引く。

 そのこぶしを、リュウカの手が抑えた。熱い。

 エドアルを突き放した。

「リュウカ、寝てろ。こじらせたら……」

 リュウカは首をふった。

「誰でも、メシも食えばクソもする。ひとまず、メシを食おう」

 …………。

 そりゃ反則だろ。

 エドアルもリズも目が点になっている。

 当の本人は涼しい顔だ。

 我にかえったリリーがヒースをにらみつけた。

「おまえの下品が伝染ったじゃないの」

 濡れ衣だ。

「今夜は人を呼ぶのか?」

 リュウカの目が酒樽を指した。

「馴染みの酒屋が、お祝いに寄こしたんですよ」

 リリーが笑顔でうなずいた。

「これから兵隊さんや村の人を呼びに行かせます。またここもにぎやかに……」

「酒じゃねぇぜ」

 ヒースはさえぎった。

「発酵してないイチゴの匂いがした」

「じゃあ、子どもでも飲めるようにじゃない? あたしも飲めるわね」

 リズがご機嫌に笑う。

「届けたのは、いつもの酒屋だったか?」

「ええ、いつもの配達の人でしたよ」

 気のせいか?

「でも、あの酒屋が『御方さま』の娘に麦の酒以外のものを贈るなんて、ありえねーよ」

「捨ててくれ」

 リュウカは言った。

「ちい姫さま! うちのバカ息子の言うことなんて、アテになりませんよ!」

「捨ててくれ。それから、身仕度を整えてくれないか? 城にもどる」

「ちい姫さま!」

「注文してもいないものが自由に運びこめるほど、守りの網の目は粗いのか? ここではエドアルを守りきれぬ」

「酒屋の使いは特別な通行証を持っていたのですわ。検問が厳しいって申しておりましたもの。ですから、ここは安全ですわ」

「その通行証は、どこで手に入れたのだ?」

「それは……、きっと、身元が確かならもらえるのですわ。馴染みの酒屋ですもの」

 リュウカは首をふった。

「半ニクルでここを発つ。昼食は道中でとる」

 身を翻した。

 ヒースは後を追った。

「おまえはここに残りなさい」

「またかよ」

「残ってエリザ姫を守りなさい。エドアルがここにいられるのは、あの子の婚約者だからだ。あの子がいなくなれば、理由がなくなる」

「矛盾してるぜ。ここじゃ、エドアルを守れねーんだろ。オレひとりでリズが守れると思うか?」

 リュウカは苦笑した。

「そもそも、狙われてんのは、どっちなんだよ? あんたか? エドアルか?」

「わからぬ。どちらにしろ、城なら少しは安全だ。」

 エドアルに限っては。

「とにかくさ、オレは行くぜ。一生、あんたのそばにいるって決めてんだ。リズだって、心配なら城に連れてけばいいじゃねぇか」

「あそこは窮屈だ。ここの暮らしに馴れた身にはかわいそうだ」

「じゃあ、あんたもかわいそうだ! せめて、オレがそばにいてやらなきゃ!」

 リュウカはため息をついた。

「私といても、ロクなことは……」

「オレといりゃあ、少しはマシになるぜ」

 ヒースはウィンクしてみせた。

 支度には一ニクルかかった。

「あたしも行くの!」

 リズが主張してきかず、大荷物をまとめたからだ。

 当然、リズの教育係であるマム、サミー、リリーも荷物をまとめることとなった。

 ヒースは道中食べるはずのパンをパクついていた。

 畑仕事して、帰ってみりゃ昼過ぎ。もう、待てねーよ。

 あいつらも腹へってんじゃねーかなあ?

 中をぶらつくと、リズの部屋で三人の姿を見つけた。

「もう! どうして取れないの?」

 エドアルは棚の上に手を伸ばしていた。

 酷なことを。

 チビに頼むことじゃないだろ。ご学友に頼めよ。

 そのご学友は、鞄の上に体重をかけ、必死でふたを閉めていた。

「ほらよ」

 パンを放ると、ヴァンストンは反射的に飛び退いた。

「な、なんだ?」

「差し入れ。腹へってるだろ?」

「デュール、いいとこに来たわ。あれとって。エドアルじゃダメなの」

「脚立使えよ」

「だって、持ってくるの、面倒くさいんだもん」

 残りのパンをふたりに渡して、ヒースは手を伸ばした。

 埃だらけだ。

「こんなガラクタ、どーすんの」

 咳きこむ。

「失礼ね!」

 舞いあがる埃に、リズとエドアルは顔をしかめた。

 いや、エドアルのほうは、埃のせいばかりではないらしい。

 にらむなって。あんたの背丈の低いのは、オレのせいじゃねぇよ。

「あっ!」

 リズが声をあげた。

「あたしの! 飲んじゃダメ!」

 ヴァンストンがパンを平らげ、コップの赤い液体を飲んでいる。

「後で飲もうと思って、とっといたのに!」

 イヤな予感に、肌がピリリとした。

「なんだ?」

 リズは舌を出して笑った。

「内緒よ? もったいないから、ちょっとだけもらってきちゃったの。さっきのイチゴジュース」

 反射的に体が跳ねた。

 コップを奪い、ヴァンストンを床にうつぶせにした。

「吐け! 今すぐ!」

「なにをする! この下賤……」

「死にたくなかったら吐け! そいつは毒だ! リズ! 水を持ってこい! 今すぐだ!」

 ヴァンストンは疑うようにヒースの顔をうかがい、その迫力に気圧され、凍りついた。

 リズは部屋を飛びだし、エドアルは蒼ざめてすわりこんだ。

「死、死にたくない……」

 ヴァンストンが情けない顔をした。

「じゃあ、吐け! とにかく、すぐ吐け!」

 背をさする。

 ヴァンストンは口を開けた。

「ダメだ。吐けない」

 ヒースは、そのノドに指を突っこんだ。

 ヴァンストンの目が大きくなり、苦しげに抵抗したが、やがて、ぶよぶよした赤いものを吐きだした。

 パンか。ジュースを吸いこんだな? しめた。

「くっ、苦し……」

「吐け! ぜんぶ吐け! 死ぬぞ!」

 指を入れると、もう一度吐いた。

 リズが水を持ってきた。

 それを飲ませ、さらに吐かせる。

「様子は?」

 リュウカが現れた。眉を寄せ、表情は険しい。

「コップに半分飲んだ。今吐かせてる。空きっ腹じゃなかったから、少しはマシか。まだたいした症状はない」

 いろいろとつまみ食いをしていたのだろう。吐瀉物はパンを初めとする固形物の名残をとどめていた。

 リュウカは手早くヴァンストンを診た。

「なんの毒かわかるか?」

「まだ。遅効性か、摂取量が少なかったか。確かな症状は見られないが」

「毒なんて入ってなかったのかも知れませんわ」

 水を持って駆けつけたリリーが口を出した。

「やっぱり、あれは酒屋の好意で……」

「寝言は寝てから言ってくれ。ちくしょう、とにかく吐け」

 水を飲ませ、何も出なくなるまで吐かせた。

 ヴァンストンの指先は冷たくなり、力が抜けた。目は焦点を失いつつある。

「たぶん、これが効くだろう」

 一度部屋にもどったリュウカが薬を持ってきた。

 腕に射ち、横にして毛布でくるむ。

「さ、寒い……」

 ヴァンストンが震えだした。目に涙が浮かんでいる。

「かあちゃん、湯たんぽ! 暖炉に火入れて!」

 ヒースは毛布をかぶり、ヴァンストンを抱くように横になった。

「エドアル! そっち側に寝てやれ」

「え? なにを?」

「川の字に寝て、はさんであっためてやるんだよ」

「そんなこと! 私に毒が伝染ったらどうする!」

 時が経つにつれ、ヴァンストンは苦しみだした。

「痛い! 寒いよう! 痛い!」

「どこが痛むんだ?」

「おなかが痛いよう! 寒いよう! 頭も痛い! 背中が寒い! 死にたくないよう!」

 ホッとした。意識はしっかりしている。

「息は苦しいか? 目は見えるか?」

「苦しいよう! なんとかしろ! 死ぬ!」

 かん高い悲鳴におびえて、エドアルが暖炉の前で身を縮めた。

「死、死ぬ……のか?」

 エドアルのほうがよほど酸欠だった。

「心配ない。一ニクル経った。ピークを過ぎたころだろう」

 リュウカが暖炉に薪をくべた。

「ママ。ママぁ」

 ヴァンストンがしくしく泣きだした。

「姉上、でも、うわごとを」

「気が弱くなっているのだろう」

 ベッドに寄り、リュウカはヴァンストンの髪をなでた。毛布をかけ直し、病人の肩を抱き寄せる。

 あ、ちくしょう。

「睨むな」

 リュウカは苦笑した。

「母が恋しい気持ちはわかる。おまえもそうだったろう?」

「いつ、オレがそんな!」

「腹を切ったとき」

「ガキの時分だろ!」

「騒ぐな。病に障る」

 ヤロウ!

 どさくさにまぎれて、リュウカにしがみつきやがった!

 後で覚えてろ!

 

 

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