〜 盆踊り篇 〜

2003.9.4

 黒炭を踏みしだき、タールを垂らし、漆で塗り固めたようなびろうどの闇に、だいだい色の光が灯っていた。

 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ……。

 ちょうちんに火が入れられ、中央のやぐらが浮かび上がる。裾をからげ、はっぴをたすきがけにした男がバチをふるっている。

 どんがらがった、どんがらがった、どんがらどんがらどんがら……。

 やぐらの下では、大きな釜が口をあけている。大人が三人は入れるだろう。そばには、黒い浴衣を左前に着た、中肉中背の男が立っている。顔にはしわ一つない。鼻も口もない。ただ、目の位置に穴が二つ空いているだけである。

 やぐらの守りだ。

 箏美は面の狭い視野を別方向にふり向けた。白地に黒や赤で描かれた犬や狐の面が、手足を大きくふりあげ、曲げ、伸びあがり、踊っている。やぐらを中心に、大きな輪を描いて回る。つかのまの生命を燃やし尽くすように。

 そう! 生きとし生けるもの! じっとなんか、してらんないっ!

 箏美は激しく体を揺らした。

 リオのカーニバルだって、真っ青なんだから!

 視野の端がかすんだ。白く光り、人型をなした。狐の面をつけた男だった。真っ白い浴衣を着ている。ただの浴衣ではない。丈の短い、病院で着るひとえの浴衣である。

「怜!」

 箏美は叫んだ。

 筋肉に乏しい細身、頼りなげななで肩、ぽってりと重い尻、どうして見まごうことがあろう? 愛しい恋人を!

「どうしてこうセンスが悪いのかな。浴衣を着ればいいってもんじゃないよ。ほらほら、もう、襟が曲がってる。帯だって、男の人はこんな上で締めないの」

 浴衣ごしに腕をつかんで、輪から引っぱりだす。ちょうちんの光が弱まり、闇が優勢となる。太鼓の音が遠ざかり、鼓動が代わりとなる。

 ほんの少し外れたつもりだったが、輪は急速に遠ざかった。石灯籠に灯った火が、二人の手足に光と影を作った。

 箏美は手を伸ばし、恋人の着衣の乱れを整える。

「私がいないと、なんにもできないんだから!」

 怜はゆっくりと手をあげた。線香花火の束が握られていた。

「やりたいの? いいけど、バケツに水を汲んでこなくちゃ」

 箏美が水道を求めて辺りを見回している間に、線香花火は石灯籠の火を吸った。

 パチ。

 火がはぜた。

 脳の奥でも火花が散った。

 赤い火。踊りくねる炎。見渡す限りの炎の海。室内をなめ、人をも喰らう貪欲な略奪者。

 パチパチ。

 落ちる天井、崩れる壁、割れるガラス。逃さない。紅の檻の中に封じこめ、おびえる人影を焼き尽くす。衣服が焦げる。炎に包まれる。

 パチパチパチ。

 箏美は悲鳴をあげた。

 怜の手から花火を奪い取ると、地面に叩きつけた。靴の底で踏みつける。恐れをこめて。願いをこめて。憎しみをこめて。地獄の底へ、灰と消えよとばかりに。

 面が地面に落ちた。

 白い狐の面である。くるくると縦に回って、裏向きに倒れた。

 花火を奪う勢いで、怜の面を叩き落としてしまったのだ。

 そうっと見上げると、やけどに埋もれた顔があった。鼻と呼べるものはなく、黒い髪はちりちりに焼けこげ、頬と口とは動きもままならないようだった。

 ああ!

 記憶が押し寄せる。

 

   * * *

 

 学園祭の前夜だ。

 怜は演劇部の裏方だった。体育館に泊まりこみで大道具を造っていた。

 箏美は管弦楽部だった。体育館の隣の部室棟でみんなと最後の仕上げにとりかかっていた。

 窓から燃えるような匂いがした。煙がたちこめ、誰かが火事だと叫んだ。部室から飛びだすと、体育館は半ば火に包まれていた。

 演劇部員の大半は、まだ中だった。

 怜も、その一人だった。

 箏美は消火用バケツの水を頭からかぶった。飛びこんだ。怜が二階にいるのはわかっていた。休憩時間に遊びに行ったばかりだったから。

 煙で真っ暗だったが、視界は必要なかった。足が覚えていた。何度も、何度も、何度も通った道だ。

 息苦しく熱かったが、迷わなかった。何をすべきかわかっていたから。

 怜は倒れていた。いつもいる場所から少しだけ手前に。

 助け起こし、煙で限られた視野で見ると、あちこちにやけどを負っていた。寝ている場所を、ちょうど炎があぶったらしい。

『もう、ダメだ』

 怜がバリトンでうめいた。

『逃げられない。ひとりで逃げて』

 煙を吸って、咳きこんだ。

 彼は、それきり起きあがらなかった。

 

   * * *

 

 盆には地獄の釜のふたも開くという。

 彼は黄泉から来たのだ。

 炸裂音が闇夜に響きわたった。

 空に大輪の花が咲く。光の花。一瞬で消える。鮮やかで美しいくせに、はかない。

 手探りで怜の手をつかんだ。

 箏美は夜空を仰いでいた。決して下を向かなかった。

 光がぼやけた気がした。目の辺りに熱さを感じた。

 気のせい、気のせい。

 怜の灼けた口が開けかけて、凍りついたように引きつった。動かないのだ。喋れないのだ。もう、あのバリトンは聞けないのだ。

「あれれ」

 雨が降った。局所で。

「まぶしすぎたかな。すごい光だね」

 胸が苦しくなった。息が詰まった。光の洪水が、あまりに見事だったから。

 

 

 いまや、空の花は満開だった。フィナーレだ。昼間のような明るさで、雷のように炸裂音を轟かす。

 太鼓の音もまた激しさを増していた。

 どどんどこ、どどんどこ、どどんどこどこどこ……。

 やぐらの周りの輪は小さくなっていた。

 この華麗なショーが終われば、やぐらの下で釜のふたは閉じる。

 早くも、死者たちは次々にやぐらをくぐり、消えていく。残されるのは生者だけだ。

 怜もやぐらの前に進みでた。箏美は手を握ったままついてきた。

 このまま突っこめば、まともにぶつかるんだろうな。痛いだろうな。

 死者は通り抜け、生者は跳ねのけられる。

 黄泉の選別は甘くない。

 それでも、放せなかった。

 怜が手をやぐらの中に入れる。同時に箏美の手も中に入った。

 へっ?

 通っちゃったよ!

 手を引き戻し、握ったまま、まじまじと見つめた。

 ちょっと待て。まさか、そんな。

 つばを飲みこむ。事実も飲みこむ。記憶の残りがよみがえる。

 

   * * *

 

 炎と煙の中で、箏美は椅子を持ちあげた。金属に触らないよう、板の部分を持ったが、熱かった。力を入れると痛みが走った。

 かまうもんか。

 振りあげて、はめ殺しのガラス窓を破った。

 まだ燃えていない寝袋をかき集め、窓から放り投げた。

 神さま!

 箏美は祈った。

 火事場のバカ力があるなら、今、あたしにそれをください! 一生分の力をぜんぶ、この一瞬に集めてください!

 どうやったのか、覚えていない。

 気がつくと、寝袋のクッションの上に、怜を放り投げていた。

 そのまま、煙に巻かれ、こときれた。

 

   * * *

 

「そうか。あたしはあの場で死んだんだ。怜は体育館から逃げられたけど、やけどがひどくて、病院で死んだんだね。だから、そんな浴衣を着てるんだ」

 怜がうなずく。

「でも、待てよ。死人って、この世に未練がなきゃ現れないよね?」

 箏美は首をかしげた。

「あたしって、なんの未練が? 怜を助けられなかったこと? でも、それって、先に死んじゃったから知らなかったんだよね? 全力は尽くしたわけだし……。それに、怜も未練があるんだよね? うーん」

 怜が握った手を掲げてみせる。

 そうか。

 箏美は笑った。

 未練はこれだ。

 ぎゅっと、握る手に力をこめる。

 ずっと、一緒にいよう。この先もずっと。永い未来を。

 怜は、不器用に口の端を引きつらせていた。

 箏美は力強くうなずく。

 手に手をとって、やぐらをくぐる。

 花火の音が遠ざかる。

 

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【あとがき】

 

箏美(そうび) ……「そうび」といえば「薔薇(そうび)」。薔薇といえば、ローズの姐(あね)さん。

怜(れい) ……「れい」といえば「レイフ」。

ええっと、「赤き山のあなたに」そのまんまっていうか(笑)

 

この話は大急ぎで考え、仕事の最中にあらすじが完成したんですが。
涙が出てきてマズかったっすよ(笑)

 

しかし、怜って、なんとなく情けない男だ。
おなじ「れい」なら、玲司のほう(永瀬玲司)を見習えってんだ。

 

 

  

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