アクシデント

 高原地帯を走るバスの窓から入る夏の風は心地よかった。バスの中の乗客はまばらで地元の人が多かったがその後部座席に陣取り、キヤッキヤッと騒いでいる一団があった。東京の東条学園からこの地に合宿に来ている天体観測部の七人の生徒と引率の女性教師の一団だった。彼らは毎日、夜中に天体観測をしているため、昼間はこれといってすることがない。教師の発案で麓の河原まで足を伸ばし、帰りに町に寄り、食事をして合宿しているロッジに戻る途中であった。

 引率している女性教師は榊美加子。東条学園に奉職して3年目の二十六歳。学園一の美人教師と言われ、地学を教えていた。今回、合宿に参加している部員は8人。部長の島原絵里はスポーツ万能で身体もがっしりしている。吉橋留美はお嬢様育ちでプライドが人一倍高い。この二人が3年生だ。二年生は4人、男っぽい行動で皆を引っ張る橋本恭子。その恭子に従うようにいつもいる漆原麻美。メンバーの中で一番おっとりしている梶間由希。秀才で全てに計算づくで行動する香田恵子。西村弘美は頭もよく、メンバーの中で端正な顔立ちをしている。恭子がこの一年生の生徒の面倒何かと良く見るので麻美は気が気ではない状態が続いている。最後の山本美希は魯鈍な面があり、留美によく虐められてる。それを押し留めるのはいつも絵里であった。

 快調に走っていたバスが急にスピードを落すと停留所でもないのにそのまま止まった。乗客は一様に不審の表情を浮かべる。運転手が無線を使って話している。どうやら故障したようだ。

 「どうしたの?」

 留美が露骨に不平な表情を浮かべて嫌な顔をした。

 美加子も不安気な表情だ。ここからロッジまで歩くなると軽く二時間を超すからだ。

 暫く、連絡を取り合ってた運転手がマイクを通して話し始めた。

 「乗客の皆様に申し上げます。このバスは故障したためここで運転を打ち切ります。代替のバスは3時間経たねば到着しません。お待ち戴くか、こちらで下車して下さい。下車する場合はここから先の運賃をお返しします」

 「うっそー。酷い」

 弘美が驚いたような声を上げた。

 「どうします?先生」

 留美に問われて、美加子は考えた。歩けば二時間で着くのに三時間も待つのはこの上なく馬鹿らしく思えてきた。

 「ちよっと聞いてくるわ」

 美加子は下車する乗客の対応も終わって外に出てタバコを吹かしている運転手に近づいた。

 「大和山ロッジまで行きたいのですがこの道を歩くしかないんですか?」

 「ああ、ロッジね」

 運転手は済まなそうに頷くとバスの中に立ち戻り地図を持って戻ってきた。

 「この山道を抜ければ一時間足らずで着きますよ」

 「でも山道なんでしょう?」

 「皆さん、お若いから大丈夫ですよ」

 運転手の言葉に美加子の方針は決まった。

 礼を言ってからバスの中に立ち戻った美加子は歩いてロッジに戻ることを告げた。

 「やだよ。先生。山道歩くなんて」

 恭子は不平を洩らしたが他のメンバーは異存はないようだ。

 「三時間、待ちたい人はここに残ってもいいわ。行く人だけで出発しましょう」

 美加子が促すと恭子も渋々席を立った。

 バスを降りて一行は道路を歩き始めた。行き交う車も殆ど無く、ヒッチハイクも望み薄だ。

 美加子は地図の通り、最初の分かれ道から間道に侵入した。その道は舗装はされてないが轍のあとから車が時折通っていることを示していた。

 「先生。疲れたーー」

 「何を言ってるのこの程度山道に」

 なだらかな上りが続くことに一番、体力的にもきつそうな美希が音を上げたが美加子が窘める前に、絵里が励ましてくれた。

 「どうしたの?先生」

 不意に立ち止まった美加子に追い付いた絵里が尋ねた。

 「おかしいわ?もう、三十分近く歩いてるのに道が開けないし。迷ったのかしら?」

 「大丈夫よ。先生。もう少し進んでみましょう」

 美加子の不安そうな表情を見て絵里はそれを打ち消すように声を出して笑った。

 しかも、雲行きがこの頃から怪しくなった。冷たい風が吹き始め、辺りも暗くなった。行き交う人など誰一人としていない。美加子は自分が道を間違えたのではといよいよ思い始めた。

 「先生。この道でいいの?間違ってるんじゃないの?」

 「ごめんね。先生もわからないの」

 留美が険しい声を上げると美加子は申し訳なさそうな声を出した。

 「それじゃ、済まないわよ。教師は生徒の安全を守る義務があるわ」

 「待ってよ」

 留美が更に食って掛かろうとするのを絵里が制した。

 「先生を責めたって始らないわ。誰か通りかかったら聞いてみるのよ」

 絵里の責任感のある態度でその場は収まり、一行は再び歩き始めた。

 先頭を歩く絵里の右手に鬱蒼と佇む、西洋式建築の古い二階建ての建物が見え始めた。

 「家があったわ。ここで聞いてみましょう」

 かなり疲労が蓄積してきた一同は当然のように同意し、その古い建物に向かい始めた。

 「すいません。誰かいませんか?」

 玄関の重厚な扉を叩いて絵里が黄色い声を上げても反応はなかった。

 「誰もいないのかしら」

 表札の掛かっていない玄関を見て美加子が呟いた時、突然、大粒の雨が降り始めた。悲鳴を上げながら全員狭い軒先に駆け込んだ。

 「どなたかな?」

 突然、扉が開いてでっぷりと太った額の禿げ上がった大柄な男が顔を覗かせた。

 「あっ、すいません」

 正に地獄に仏の心境だったのだろう絵里は顔を輝かせて男に話しかけた。

 「私たち、大和山ロッジまで行きたいのですがこの道を進めば宜しいのでしょうか?」

 「大和山ロッジ?その道はもうすぐ行き止まりだ。そんなとこには通じてないぞ」

 訝ししげに語る男を見て美加子は自分の過ちを確信した。それにこの豪雨。とてもバスの通っている道に戻る勇気はなかった。

 「大変厚かましいお願いなのですが暫く雨宿りをお願いできないでしょうか?」

 「ああ、いいですよ」

 美加子の哀願する姿を見て男はにこやかに笑って扉を開いた。

 家の中に入ると人工的な臭いが鼻を付いた。油絵の絵の具の匂いだと絵里は直感した。

 「こちらへどうぞ」

 一行は玄関の傍らにある応接間に案内された。

 絵里はソファに腰掛けながらメンバーを見渡した。一様に疲れ切った表情を浮かべている。留美だけがこんな場所に足止めされてイライラしている。

 「凄い雨ですね。先輩」

 西村弘美が窓から空を覗いて声を掛けた。

 「夏の雨だから長くは続かないと思うわ」

 絵里は弘美に答えると項垂れたまま顔も上げようともしない美加子の傍らに寄った。

 「先生」

 絵里の呼びかけに美加子は顔を上げた。その顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。

 「ロッジに電話して遅れる事を連絡しておいた方が宜しいと思います」

 「ああ、そうね」

 美加子は気を取り直したように携帯電話を取り出した。しかし、その顔は再び曇った。

 「駄目だわ。圏外表示よ。皆のはどう ?」

 一同、自分の携帯電話を取り出したが虚しく首を振るだけであった。

 「こちらの電話を後で借りて掛けるわ」

 美加子が絵里に告げた時に男がカップを載せたトレーを持って現れた。

 「皆さん、お疲れでしょう。ココアを淹れましたから召し上がって下さい」

 「そんな、お構いなく。雨宿りさせて戴くだけで十分です」

 美加子の形式的な言葉を聞いても男は何のためらいもなくテーブルの上にカップを並べ始めた。

 全員、一様にカップを手に取った。暖かな湯気を立てるココアがとてもおいしそうに見えたからだ。

 「皆さん、高校の合宿でロッジに滞在なさってるのですか?」

 「はい。天体観測部です。島原留美と申します。三年生です」

 部長の絵里は間髪を要れずに答えた。こういう、対応には慣れている。

 「そうですか、申し遅れました。私は三枝圭二と申します。売れない画家で、こんなとこに引き篭もって絵を描いております」

 「まあ、おじさん。画家なんだ。でも、絵なんか一枚もないね」

 物怖じしない恭子は早くも馴れ馴れしさを発揮して三枝に話し掛けた。

 「見せられるほどのものがないからね。アトリエにしか置いてないんですよ」

 男は苦笑して頭を掻いた。

 「さあ、どうぞ、召し上がって下さい」

 男に促され、全員がココアに口を付けた。絵里はその暖かい液体が身体の中に沁み込む感触に生き返った感じがした。

 「あの、お電話をお借りしたいのですが」

 美加子が遠慮がちに言うと男は済まなそうな顔をした。

 「今。家人が使っておりますので後ほどご案内致します」

 「判りました」

 美加子が納得してココアを飲み始めると男は絵里に声を掛けた。

 「皆さんのお名前をお聞かせ下さい。こういう場所にいると人に遭う事も滅多にないのでね」

 絵里が全員の名前と学年を教えると男はごゆっくりと言って応接間を後にした。

 「なんだか出来すぎた話ね。こんな人気のないところにこんなお屋敷があるなんて」

 留美が独り言のようにそんな思いを口にした。

 「そんなこと言うもんじゃないわ。親切な人じゃない」

 そこまで言った絵里は身体の中から生じてくる温かさを感じ、急速な眠気が込み上がってきた。辺りを見回すと何人かはしっかり目を閉じている。美加子も眠そうにしている。

 「先生」

 絵里は美加子の肩に手を延ばそうとして意識を失った。

悪魔の部屋

 息苦しさを覚えて絵里は覚醒した。目に飛び込んできたのは眩しいライトだった。絵里は目を閉じて気分を落ち着けると上体を起こして周囲を覗った。

 美加子と六人の部員たちが円を描くように太い支柱を中心に眠りこけている。その真上の天井には大きな穴が開いている。絵里にたまらないほどの暑さを与えているライトは天井の各所に設置され、その熱気を自分たちに浴びせているのだ。

 絵里は隣で寝ている弘美を起こそうとして自分の片足が背の低い支柱の閂から伸びる2メートルほどの鎖で固定されているのを知って愕然とした。あの男の仕業に違いない。絵里は自分たちが捕われたことを確信した。

 「皆、起きて!」

 絵里は金切り声のような声をあげた。

 「どうしたの?あっ!」

 目覚めた留美は即座に自分の置かれた状況を理解したらしく息を呑んだ。

 「私たちあの男に捕まったのよ」

 絵里の悲痛な叫びが虚しく窓もない室内に響いた。

 やがて、全員が目覚め、彼女たちは支柱を中心に向き合った。支柱の上には水の入ったペットボトルが二本置かれてあった。ライトによる熱気に晒されている彼女たちは当然のように喉の渇きを覚え、奪い合うようにそれを飲み尽くした。

 「私の落ち度だったわ」

 「そうよ。先生が道を間違えるからこんな事になるのよ。あの男と交渉して私たちを解放するようにして」

 美加子が自嘲するように呟くと留美はすかさずまくしたてた。しかし、美加子は黙ったままだった。若い女性を監禁する目的はその肉体にあることは美加子も十分承知している。その犯人が交渉に応じることなど目的を果たさぬ限り無理な相談であった。

 「ねえ、私たちどうなるのよ」

 美希が早くも絶望を感じて啜り上げ始めるとそれにも留美は牙を剥いた。

 「うるさいのよ。まだ、何もされてないのに泣くなんて」

 「留美。少し、おとなしくしてよ。皆だってそんな気持ちを抑えてるんだから」

 美加子が放心状態の今、メンバーをまとめるのは自分の役目だとばかり絵里は言い放った。留美も少しは理解したのだろう、矛を収めるように座り込んだ。

 「携帯電話と時計がなくなってる。それに靴下も脱がされてる」

 恭子が自分の身体を探りながら訴えると全員それに習った。そして、その事実を確認した。

 「何、あれ!」

 恵子が白い壁に取り囲まれた部屋の隅に取り付けられているカメラを指差した。

 「畜生。あの親父が監視してるんだ」

 恭子は吐き捨てるように言って壁を見回した。カメラは計4台、部屋の四方に設置され、彼女たちの行動を一部始終、見つめている。

 「どうするのよ。先生」

 麻美が隣の美加子の肩を揺すっても、美加子は虚しく首を振るだけだった。

 「相手の出方を待つしかないわ。先生を責めても無駄よ」

 由希はいつも通りの話し方で麻美を嗜めた。

 「とにかく熱いわ。おかしくなりそう」

 恭子が滴り落ちる汗を拭うと横になった。全員が体力を温存するために寝転んだ。

 しばらく、その悪魔の部屋に沈黙が訪れた。

 四個のモニターの映像を眺めながら悦に入っている男がいた。先ほど、少女たちをココアで眠らせ、監禁した、三枝だった。そして、二人の若い男もニタニタ笑いを浮かべながらモニターを見入っている。

 松井と塩野の二人は町で女を引っ掛けているところを三枝に声を掛けられ、この屋敷に住むことになった。二人が言葉巧みに女をこの屋敷に連れ込んで睡眠薬を飲ませ、三枝の趣味に供するのだ。それが済めば彼らで陵辱し、遠くで解放する。既に4人もの女が彼らの毒牙に掛かっていた。

 「それにしても一度に8人とはすげーな。おっさん」

 松井が舌なめずりしながらカメラののズームを合わせ、一人一人の顔を確認している。

 「お前たちがいないから8人もあそこに入れるのに大汗掻いちまったよ」

 三枝は笑いながらそんな言葉を吐き、タバコに火を付けた。

 「早く、味見がしたいぜ。どの娘からやるんだ?」

 「今回は俺の流儀でやらせてもらうぜ」

 三枝ははやる松井を制して、紫煙を吐き出した。

 「俺に奴隷になる事を誓った奴から引き上げるんだ」

 「そんな、時間が掛かるじゃねえか」

 松井は不満そうに頬を膨らませた。

 「いいか、あいつ等に水と食い物は与えてやるけど、トイレには行かせないんだ」

 「えっ、そいつは傑作だ。あそこで垂れ流しか」

 塩野が小躍りして喜んだ。

 「そうだ、音を上げて、俺たちの奴隷になるって誓った奴から順に戴くのさ」

 三枝は少女たちに見せていた柔和な表情から一変して悪魔的な微笑を見せた。

 「だいぶ、暑がっているようだ。水を落してやってくれ」

 「あいよ」

 指令を受けた塩野は楽しそうに口笛を吹きながら部屋を出て行った。

 三枝は水槽の中の熱帯魚を観察するような目でモニターの中の少女たちを見るのであった。

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