思い出と今・・
娘と、思い出や今を語る場所です(^^)
 
31    旅立ちの日(五年が過ぎました)

祐子へ
 
早いね・・祐
あれからもう五年が過ぎたなんてね。
昨日の夕食時、五年前の今頃は
もう薬で眠ってしまったね・・・なんてお父さんと
思い出していました。
辛いけど、涙出ちゃうけど命日だから
しっかり思い出して語ろうと思って。
でもね、祐の事お父さんと語りながらふたりで泣けるなんて幸せだなって思う。
幸せだなんて祐に怒られちゃうかも知れないけど
いつもお父さんと一緒に祐の事想って
いけるんだもの。
 
祐、居心地の良い場所は見つかりましたか。
祐の最高の居場所・・・
お寺さんの本堂にいると、「祐はもうこの世の人ではないんだな」と改めて思います。
そしてその事をやっと受け入れられるようになってきました。
そうしないと祐が可哀想だものね。
祐にとってもう向こうの世界の方が
居心地が良いんだものね。
 
人がどんなに苦しんでいようと時は構わず流れて行くんだよね。
それが腹立たしくて仕方なかった日々もあった。
けれどだからこそ今があるんだなと思えるようにもなりました。
そう思うと流れる時に感謝したり
本当に自分勝手だね。
 
そう言えば祐は一周忌を迎える頃に長い眠りから覚めた事を夢で知らせてくれたんだよね。
あの時の夢は今でも忘れない。
 
家族みんなで居間にいる時だった。
祐がスーっと入ってきて、お母さんの前にお座りして自分の手を差し出し、「お母さん、私の手こんなに冷たいの触ってみて」って。
この子は自分が死んでしまった事を知らないんだ、でもそんな事可哀想でとても言えない・・そう心の中で想いながら「冷たくないよ、お母さんの手の方が冷たいでしょう、今洗濯していたからね」って言ったら
今度は顔を前に出して「じゃあ顔も触ってみてよ、ほらっ、冷たいでしょう?」って。
「冷たくないよ、お母さんの手が冷たいんだよ」ってまた言うしかなくて・・
そしたら祐は黙って下を向いてしまったね。そしてお母さんが
「祐、向こうではどうなの?幸せに過ごしているの?」って聞いたら
「うん、今私のそばで支えてくれる人がいるの」って。
その時凄く安心したよ。それからもっと色んな事聞こうと思ったのにそこで目が覚めてしまって残念だった。
それからすぐにお父さんに夢の話しを聞かせて
朝からふたりで号泣したっけ・・・
少し休んだらまた頑張るからって眠りについたあの子は今、目が覚めて自分の体が冷たくなってる事が気になって仕方ないんだねって
お父さんと泣けて泣けて仕方なかった。
本当に切ない夢だったな・・・
 
 
まだしばらくは祐と住む世界が違うけどいつかまた同じ場所で会えるんだものね。それまでみんな頑張ります。
 
最後に・・・
あなたを失ってから知った多くの事。
多くの想い。
生きている時に想いたかった。
愚かな母でごめんなさい。
 
平成17年・2月5日
 
今年も皆様から温かいお気持ちを沢山頂きまして家族一同感謝の気持でいっぱいです。
娘が息を引き取った午前5時23分・・
娘の遺影に向かってしばらく座り込んでいました。
普段はちょっと留守をしているだけ・・
そんな気持で(そう思いたい)
日々時間に追われて生活していますが
ゆっくり遺影に向かうと現実に戻され
やはり母として色んな想いがこみあげ涙が流れてしまいます。
会いたくて声が聞きたくてたまらなくなります。
笑っているけれどやっぱり遺影なんですよね・・
 
しかし五年と言う月日は私達家族の心を少しずつ落ち着かせてくれたように思います。
それは何がどんなふうにと言えるものではありませんが・・・
でも、決して『仕方ないから』という事ではありません。
そんなふうに思いたくないし、思えるはずもありません。そんな簡単な事ではありませんから。
 
それとは別に娘への様々な想いは
これからも変わる事はありません。
 
心温かい多くの皆様との出会いも
大きな力となりました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
本日は本当にありがとう御座いました。
これからも家族みんなで支え合い娘が向こうで
心配しないよう頑張りたいと思います。
どうぞ皆様至らない家族ですが今後とも
宜しくお願い致しますm(_ _)m
 
 
 
2005/02/05
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Last updated: 2013/11/5