公開'01. 6. 9
エピローグ

紀州と海そして和歌浦ヘ

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関西国際空港を飛び立った東京行きのフライトは、
離陸後、紀伊水道を一路南下する。

やがて、眼下に延々と連なる紀州の山並みを見るだろう
紀ノ国は、時には木の国と称される山の国でもある
特に南紀は熊野三千六百峰の深く険しい山並みが続く

一方海岸線に目を向けると、太平洋の荒波が容赦なくうち寄せる
リアス式海岸が、延々と延び、その果てるところを知らない。

山と海に挟まれた紀州の人々は、この狭隘な土地に生まれ、
しかし何も臆することなく、毅然として世界を見つめて来たかのようである。
世界で通用する技術を育み、また宇宙観・世界観を持った先人たちの姿が
歴史をひもとくと、あふれ出してくる。

この要塞のような、紀伊半島を南に控え、古代日本の国家が
大和に成立したことは歴史的な必然と思われる。
大和から一方は大和川、淀川を通り河内の国への水路を確保し
その南には、最重要な紀ノ川の和歌浦湾に望む河口に、紀伊津の港を配した。
その紀伊津の港を出て、幾多の船団が大陸を目指し和歌浦湾にこぎ出して行っただろうか。

「海都和歌山」、「癒し」という言葉を最近よく耳にするようになった。
和歌浦でヨットを楽しむことは、私にとってまさしくこの「癒し」を求めての ことである

その「癒し」はこの和歌山の地理、風土、歴史を抜きには考えられない。
中世において南紀を舞台に繰り広げられた「蟻の熊野詣」が宗教世界での
「死からの再生」を願い、心身共に救われリフレッシュ出来る「癒し」 であった。、

しかし、私が和歌浦でヨットを楽しむのは、
この風光明媚な和歌浦湾が、疲れを癒してくれるだけではなく
かの古代人から受け継がれているヨットマンの「勇者の気風」に触れ、
この不安な時代を乗り越えて行く勇気がいつしか与えられている。
そのような気がするからである。

(追記) 
最後までお読み頂き、有り難うございます。
写真を撮り続ける為には、一つのイメージを時をかけて熟成していく必要があります。
以上述べたことは、私の写真の中に流れる共通のテーマであります。
歴史的信憑性云々については、保証致しませんのでご容赦願います。

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2001年 6月 9日 寺本 東吾


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