『年末、深夜』の後日談です。
未読の方はできるだけ→『年末、深夜 1〜3』からお読みください。
どんどん捏造度とホモ度が激しくなっていってます。




+++年があけて 1+++


 年明け早々、年末に飲んで騒いだ面子とまた顔を合わせている。
 さすがに立て続けの飲み会という事情もあって、全員は集まらなかった。しかし、あの日は参加していなかった者が数名加わった。
 夕方、早い時間からの飲み会に参加したのは、栄口、阿部、三橋、西広、巣山、それに前回はいなかった水谷、篠岡、浜田の計八名。
「年末の飲み会も呼んでくれたらきたのに! みんなヒドイよー!」と拗ねたのは篠岡だ。彼女の左手の薬指には指輪が輝いている。前回はみんなが婚約者のいる彼女を男ばかりの飲み会に誘うのはどうかと言うので控えたが、今回は時間が早いから大丈夫ではないかと栄口が声をかけた。
「ダンナ、こんなとこ来て怒んねーの?」水谷が篠岡に聞く。
「おいおい、こんなとこって自分で言ってて空しくねーか」と浜田。
 篠岡は「まだダンナじゃないよ」と笑ってから「みんなかっこいいよ。世の中にこんなかっこいい男の人がいっぱいいるのに、早まっちゃったかなって思うもん」と、幸せいっぱいの笑顔で思ってもいないことを言う。
「こ、婚約! おめでとっ!」
 突然声を張り上げた三橋に、隣に座っている阿部がぎょっとした顔をして「いきなりデケー声だすなよ」と怒鳴る。
 その阿部の声の方が大きいのだが、今さらなので誰も指摘しない。
 三橋は条件反射で、頭を庇うように中途半端に腕を上げて身を縮めていた。
「こいつら相変わらずだな」と、こそっと耳打ちしてきた巣山に、栄口は「だなっ」と笑い返す。二人は目ざとく気付いた阿部ににらまれることになった。
「だ、だって、オレ、まだ……お祝い、言ってなかった、から」
「アハハッ、ありがと、三橋君! 三橋君こそ就職決まったんだよね、おめでとお!」
 三橋は困った顔で視線をさまよわせる。前回の飲み会参加者は、三橋の就職先がコネで決まった三星の縁の会社であり、それを三橋本人が喜んでいないことを知っているので少々気まずい気持ちになる。
 事情を知らないなりに、何か察したらしい浜田が明るい声を上げる。
「あーっ! そうだ。オレ、自分の役目忘れるとこだったよ。オレ今日は泉の代理なんだよな。前回すっぽかしたっつー水谷への伝言が……」
「うわぁ! 何言われんのか分かってっからいいよぉ!」
「おお、もうすごかったぜ、延々と罵詈雑言。……ま、長すぎてオレも記憶できてないんだけどね!」
「それ、伝言になってないじゃん!」
 水谷と浜田のやり取りに笑い声が上がる。「じゃあ、代わりにオレが言ってやろうか。幹事のオレが嘘吐いたみたいになっちまったんだよなぁ、おまえのせいで」と阿部が低く言うと、水谷の悲鳴とひときわ大きな笑い声が貸切の個室に響いた。



 やはり年始から帰りが遅くなるのは好ましくないらしく篠岡が抜けることとなり、ひとまず全員で店を出た。浜田も翌日に朝から予定が入っているため帰るというので、残りの六人で浜田と篠岡を駅まで送った。その後は、飲み食いは散々堪能したので飲みなおす気にもならず、カラオケになだれ込んだ。
 それぞれ思い思いに歌いたい曲を入力して歌いだす。
「三橋、寝ちゃった?」
 部屋に落ち着いて三十分ほど経過した頃、不意に肩に重みを感じた栄口は、身を預けてきた隣の友人の顔を覗きこむ。返事はない。三橋は口を半開きにして、気持ち良さそうに眠っていた。
 この音量でよく眠れるなあと感心してしまう。
 今はアップテンポの曲を、巣山がそつなく歌いこなし、酒の抜けていない西広と水谷がハイテンションでタンバリンを鳴らしたりハンドクラップを入れたりして盛り上げている。
 三橋の向こう側に座っている阿部と目が合い「寝ちゃったみたい」と唇の動きだけで伝えると、阿部は少し呆れた顔で同じように「よく寝れんな」と返してくる。
 曲が終わり、マイクの電源を切りながら巣山が「三橋、今日はかなり飲んでたよな」と苦笑すると、西広が「いつもはどっちかっつーと食う方専門だもんな」と相槌を打つ。
 次の曲のイントロが流れ始める。
「お、懐かしい。コレ入れたの誰?」と水谷。
 栄口は嫌な予感に見舞われながらちらりと西広を見る。予想どおり、こちらを見ていた西広に清々しいほど明るく笑いかけられて、ぐっと息を詰まらせる。
 西広はテーブルの上のマイクに手を伸ばしながら、巣山に「そのマイクは栄口に渡して」と声をかける。
「西広、頼むよ! オレもう二度とやんないって言ったじゃん」
「今日は合コンじゃないからいいだろ。オレ、栄口のハモリ聞きたい。あれ好きなんだよ」
「ネタにしたいだけだろ!」
 言っているうちにAメロに入り、西広が歌いだす。他のみんなはなんだなんだと、きょろきょろと視線を動かしている。
 Bメロの歌詞がモニタに表示されると、西広が歌い続けながらじっと栄口を見つめる。
 西広につられるように、ほかの目も栄口へと向けられた。
 モニタに表示された歌詞の色が、頭から順に変わっていく。その直ぐ下には括弧でくくられたワンフレーズ。
 栄口は半分泣きたいような気持ちで自棄になって、マイクを口元に持って行き、目を閉じて、コーラスを入れた。
 一瞬の間。
 西広さえ歌うのをやめ音楽以外の音が一切なくなった部屋で、最初の一人が、ぷっと吹き出す。
 途端に、部屋中に笑い声が溢れかえった。
 西広の笑い声がスピーカーから響き、本人が慌ててマイクの電源を切った。
「ははっ! うそだろ! なに、今の! 栄口、おまえっ! いま、どっから声だしたっ」素で驚きながらも、脇腹を押さえながらウケている阿部。
「栄口の裏声ってすげーなぁっ! もとの声も高めだけど」と拍手をしながら笑う巣山。
「サビんとこはもっとすごいぞ」と西広は自慢げに主張する。
 分かってたけどね。
 栄口は唇を尖らせて、壁の方へ拗ねた目を向ける。
 大学の先輩を交えた合コンで、引き立て役として何度これをやらされたか分からない。栄口のファルセットはよく通り、声量も大きい。大学に入学して初めての新歓コンパで、先輩に同じことをやらされた栄口はなめらかに歌いきって予想外に笑いをとる結果になった。歌えずに笑われて恥ずかしい思いをする方がよっぽどマシだった。その瞬間から栄口は場を盛り上げるだけのためのネタキャラ扱いされ、合コンでも同じ役回りとなり、甘い出会いなんて一切望めない身となった。馬鹿にする者ばかりではなかったし、すごいねと好意的に声をかけてくる女も少なくなかったが、栄口の方が気が引けてしまうのだ。
 正直に、栄口にとって自分の声はコンプレックスだった。それもかなり根強い。
 みんなが笑っているうちにBメロが終わり、サビに入る。
 まだ笑っていてくれたらいいのに、西広は持ち直してマイクを口元に構える。
 頭をかきながら、栄口もマイクを口元に持って行く。嫌なら嫌だと跳ね除けてしまえばいいのに、ここで「まぁいいか」となってしまうのが栄口だ。
 声を出しやすい姿勢をとり、息を吸い込んで高音を身体で響かせる。
 西広は主旋律を力強く歌いだしたが、途中でその声が震えだした。笑いを堪えているせいだ。そろそろだなと栄口が思った、まさにそのタイミングでとうとう吹き出して笑い出す。栄口はマイクの電源を落とした。
「西広、もう満足しただろ? 切るぞ。オレもうおまえとはカラオケ来ないからな」
 この程度で本気で怒ったりしないし、言葉も本心ではないけれど、大げさに拗ねて言えば、西広は片手で苦しそうに腹を抱えながら片目を閉じて「ゴメン! ありがとな! すごいよなぁ、栄口は」と悪びれずに笑う。西広がからかうばかりではなく、同時に本当にすごいと感心してもいるのが分かるから、栄口も怒れないのだ。
 曲を止めるために栄口がリモコンに手を伸ばすと、指先がリモコンに触れるより先に、突然伸びてきた別の手に手首を捕らわれる。
 ビクリと心臓が跳ねた。
 驚いて顔を上げる。栄口の手首を掴んできたのは水谷だった。つい先日同じように掴まれたのを思い出して、栄口はその指の感触を意識してしまう。
 あれ、と思った。
 水谷はにっこりと笑って栄口の手首を捕らえたまま、もう一方の手でリモコンを取り上げ自分の背後に隠した。
「西広! 歌わないなら、オレが続き歌ってもいい?」
 西広は水谷と栄口の間で視線を往復させたあと、コクリと頷く。
 嬉しそうに笑みを深めた水谷は、西広からマイクを受け取り、栄口に「コーラス入れてね」と告げ、ちょうど間奏が終わった曲に合わせて歌いだす。
 唐突な水谷の行動に全員がどこか呆然としていたが、水谷が歌いだした途端に阿部が顔をしかめ「水谷、声でけぇ」とマイクの音量を絞る。水谷は歌い続けながら、得意げな顔つきで僅かに目を細めると、完全にマイクをオフにしてテーブルに置く。
 そのままでも水谷の安定した歌声は狭い個室に収まりきらず響き渡った。
 阿部が嫌そうに眉をひそめる。
 再びBメロに入ったところで、栄口の手首に微かな圧迫感が掛かる。その刺激で、栄口は自分の手首がまだ水谷に握られていること、Bメロのコーラスを入れ忘れたこと、そして水谷の声に聞き入っていたことに気付いた。
 コイツ、そういえばさっき、笑ってなかった――栄口は今になって気付く。
 腕が軽く引かれる。
 曲は再びサビに入る。
 催促されている。
 栄口はほとんど何も考えずに、マイクの電源を切ってテーブルに置き、手に感じる水谷の体温と、自分に向かって歌われている水谷の声だけに集中して、そこに自分の声を溶け込ませた。
 一瞬にして、腕に鳥肌が立った。
 ぞくりと背筋が震える。
 サビの繰り返しの間のごく短い間奏を聴きながら、ちらりと水谷を見れば視線が絡んだ。
 カッと身体が熱を帯びる。
 水谷はちらちらとモニタを見ては栄口に視線を戻す。
 逆だろとつっこみたくなるのを堪えて、栄口はまた水谷の声に自分の声を重ねる。
 頑なにモニタを見つめながら右の頬に水谷の視線を感じる。歌詞を確認する以外、水谷は栄口から目を逸らさない。右側の頬の熱が増した気がした。
 不意に水谷の声がひときわ強くなる。
 大丈夫、対応できる。栄口は半ば無意識にそれに合わせ、柔軟に自分の歌い方も変えた。
 輪郭がはっきりとしているのに、深みもある水谷の歌声。やや軽めではあるけれど、それを長所にして伸びやかに広がっていく。
 その声を生かすために栄口は全身で水谷を感じながら、声を重ね響き合わせる。
 歌い終わって曲がフェードアウトしていく中、パチパチと乾いた拍手が響いた。
「みっ、みずたにくんも、さかえぐちくんも、すごい、よ! オレ、感動した!」
 いつの間にか起きていた三橋が、興奮気味に手を叩き続けると残りの三人も少しぼうっとした顔つきでパラパラと手を叩き始める。
「いや、素で驚いた。びびったっつーか……上手すぎて逆にちょっと引いたっつーか……おめーらマジですげーよ」巣山は目を大きく瞠って二人の顔を交互に見る。
 西広はうっとりとした顔つきで頬を緩ませている。「オレ実はほんとに上手い奴と合わせたときの栄口の声聞いてみたかったんだよね」
「オレ、水谷の声ウゼーと思ったけど」阿部はちらりと水谷を見てから目を逸らす。「やっぱ、やめとく。オレそんなに歌とか聴きこんでねーし」
 ふいっと横を向いた阿部に、水谷が「何だよ、最後まで言えよ。気になるじゃん」と食って掛かるが、阿部は顔の横で手を振っていいから忘れろと繰り返す。
「あべ、くん……オレも、聞きたいっ」
 三橋が阿部の腕を掴んで強く引く。高校を卒業して数年経った今でも、三橋がここまで積極的に阿部に主張をするのは珍しかった。阿部は眉間に皺を寄せて三橋を見たが、それも三橋が怯まずに見つめ返し続けると、ゆっくりと重たそうに口を開く。
「水谷の声はでかいとしか思わなかったし、栄口の声も笑い飛ばしちまったけど……一緒になるとなんか全然違う別の音に聴こえた」阿部は水谷と栄口の顔を順に見た後、自分の膝の上に視線を落として、言いにくそうに続ける。「よく分かんねーけど……おまえらの声、オレは好きだよ」
 阿部の声を聞いて、水谷は満面の笑みを栄口に向けてくる。栄口は気恥ずかしくて上手く笑い返せない。
「分かる! 分かる、よ! オレも、二人の声、好きだ!」三橋ががしっと阿部の手を握る。
 三橋と阿部は高校三年間で培ったバッテリー同士のお互いにしか分からない言葉で、栄口と水谷の声についてああだこうだと言い合っている。
「阿部の奴、ちょっと泣いてね?」「うん、だよね?」と、巣山と西広が話しているのが聴こえてしまい、栄口は無性に居たたまれない気持ちになった。取り返しがつかないくらい恥ずかしいことをやらかしてしまった気がする。
 でも、面白かった。
 歌うのが気持ち悦いと思ったのはどのくらいぶりだろう。
 歌っている間にもどんどん変化していく水谷の声に、自分の声を対応させて重ねるのが、たまらなく楽しかった。声同士でじゃれ合わせているみたいで、夢中になって相手の声を聞き、自分の声を躍らせた。
 聴覚を研ぎ澄ませながら、水谷文貴の声が一番よく聞こえるように、一番かっこよく、キレイに響くように、無意識にそれを最優先して歌った。
 深夜の駅前で、ギターをかき鳴らしたときも同じ気持ちだった。
 水谷の声が好きだ。
「栄口! 次の曲、オレが入れたやつなんだけど、また一緒に歌ってくんね?」
 照れくささでいつの間にか俯いてしまっていた顔をあげると、水谷が幸せそうに笑っている。
 歌いながら握り締めていた栄口の手を、水谷がじゃれるようにちょいちょいと指先で叩く。じんと痺れるような感触がそこに残っている。途中から体温しか感じなくなっていたけれど、かなり力いっぱい握られていたみたいだなと思って、栄口はまた恥ずかしくなった。
 モニタに文字が表示され、イントロが掛かる。
 水谷と栄口、二人の好きなアーティストの曲だった。
 一緒に聴いたことが何度もあった。歌詞なんて見なくても分かるくらい聞き込んでいる。昔、気がついたら一緒にハミングしていて笑いあったこともあった。
 覚えているだろうと、水谷の眼差しが悪戯っぽく問いかけてくる。
 今の二人には、いかにもあつらえ向きな男性デュオの曲。
 心地よい高揚感が冷めて行く。よりによってこれかよ、と栄口は思った。