膝をつき合わせて座って、落ち着きなく視線をさまよわせる。 何を探しているわけでもないのに、天井を見て、壁を見て、自分の膝、シーツ、床と目を動かしながら、栄口勇人は向かいに座る男だけはまともに見ないようにと細心の注意を払っていた。 うっかり目を合わせてしまったら、自分がどうなってしまうか、十分に理解している。 栄口の向かいでは、水谷文貴が栄口と大差ない行動を取っている。その水谷が意を決したように、すっと息を吸い込んだ。 「あ、あのさぁっ」 出だしが裏返った水谷の声を聞いて、栄口は本格的にヤバイと思った。 強く奥歯を噛みしめ、身を強張らせながら俯く。大丈夫、と自分に言い聞かせる。膝の上に拳を握って置いた手が小さく震えて、まずいと思ったら今度は肩が震えてしまう。 下げた視線の先で、水谷の手が動く。ゆっくりと近づいてきた手は栄口の手に重なった。 「栄口、緊張してる? 怖い? オレもっ……初めて、だし……栄口を傷つけちゃったらどうしようとか、上手くできなかったらとか、考えると怖いけどっ……でも」 やっぱりダメだと栄口は思った。 水谷の声を聞いていたら、肩の震えが止まらなくなった。 今日は、二人の大切な日だと、ちゃんと理解しているつもりだった。 風呂を借りてこの部屋に戻ってきて、この水谷のベッドに上がるときだって、ちゃんと心の準備はしていた。 けれど。 栄口はぎゅっと目を閉じる。 「ごめんっ、水谷、無理かも」 栄口の声はか細く震えた。 「えっ……そ、そんな、あやまんなよ。気にしなくていいから。そりゃ残念だけど、でも、こういうのは合意じゃないと……」 栄口は俯いたままゆっくりと目をあける。そっと左右に首を振ると、水谷が気遣うように伸ばしてきたもう一方の手が視界に入る。その手が肩に触れた瞬間、栄口は思わず飛びのくように身を引いてしまった。 宙に浮いたままビクリと竦む水谷の手。 しまった。栄口は慌てて謝罪の言葉を口にしながら顔を上げて水谷を見る。 そこで栄口は息を詰まらせ、ぐっと喉を鳴らした。 もう限界だった。 栄口は両手で顔を覆って背中を丸めて叫ぶ。 「ゴメンっ、水谷! オレ、やっぱ、ダメ、こういうのっ」 「え?」 「くッ……ふはっ、あははっ、はははっ」 水谷のやや間の抜けた声に、吹き出して笑った栄口の声が重なる。 「栄口?」 「ごめっ、ハハハッ……オレ、こういう緊張感、ほんっと、ダメで」 「ビビってたわけじゃないの?」 「こんなんでも瞑想の成果でんのかな? 自分でも驚くくらい緊張はしてない……けど」 「けど?」 「……なんか照れくさくて、すげー笑える」 「なんだよ、それ」 不安そうな顔つきから困惑顔、そして不満顔へと表情を変化させていった水谷は、しばらく拗ねた目で栄口を睨みつけていたが、ふっと息をついて頬を緩ませる。 「ま、気持ちは分かるけどね。オレもぶっちゃけちょっと笑いそうっていうか、ニヤケてたけどさぁ……でも、栄口が震えてんの見たら、すげー焦って、全身から一気に血の気引いたよ。マジで心配したんだぜ。あんまりビックリさせないでほしーよ」 「ゴメンっ、マジでごめん。なんか、おまえがすげぇ真面目だと余計笑えるんだよな」 「うっわぁ! なにソレ! それはちょっと本気で拗ねていい?」 水谷はベッドに倒れこんで枕に顔を埋めてしまう。 やりすぎたかなとちょっとだけ反省して、栄口はベッドの上を這って移動し、猫が毛糸球にじゃれるような手つきで髪を撫でてやる。洗い立ての水谷の髪の匂いが、栄口の鼻先を掠める。栄口の短い髪も、今日は同じ匂いだ。 しばらくそうして髪を撫でていると、水谷はさっきの栄口と同じように肩を震わせだし、ついには喉を鳴らして笑いだした。 「確かに、照れくさいとなんか妙に笑えるよな」水谷はそこで栄口の手をとらえて、ごろりと寝返りを打ち、仰向けになる。「ドキドキ、してるけど……緊張って言うよりは、なんかワクワクしてんだよね」 引き寄せた栄口の手にキスをして、水谷が笑みを深める。 機嫌が直ったのはいいけれど、水谷の言動は何から何まで恥ずかしいぞと栄口は思う。もともと機嫌を損ねたのだって、じゃれあいの延長みたいなものだった。栄口だって本当は分かっていて、機嫌を取りにいったのだ。 ああ、恥ずかしい。くすぐったい。かゆい。 また笑いがこみ上げてくるから目を逸らして、さりげなく手も取り返そうとしたが、腕を引くと水谷の手もついてくる。そのまま口元まで引き寄せると、水谷がキラキラと瞳を輝かせて見つめてくるから、栄口は無性に期待を裏切ってやりたくなって、ただのじゃれあいよりは力を込めて指に噛み付いてみた。怪我をさせる一歩手前ぐらいの強さで噛めば、水谷が目を瞠りひゅっと息を飲む。そこまでは栄口の予想どおりの反応だったが、そこからは予想外に水谷が心底嬉しそうに表情をとろけさせるから、今度は栄口の方が目を瞠ってしまう。 「水谷?」 水谷は自分の手を顔の上にかざして、そこにくっきりと残っている歯形を確認し、上機嫌に目を細める。 「栄口、オレ分かっちゃったよぉ。言っていい?」 「えぇー? 何言われんのか分かんないけど、ヤダ」 「って言われても言うんだけどね」水谷はくくっと喉を鳴らして続ける。「栄口が笑っちゃうのって、緊張感が苦手とかってより、実は今めちゃくちゃテンション上がってるからだろ」 「あー……やっぱり、そんな感じする? オレも、自分でもなんか変だなとは思ってる」 「栄口、酔っ払ってるみたいなんだもん。でも、そんな栄口もカワイイよ」 そんな歯の浮くようなセリフを吐く水谷だって十分酔っ払いみたいだぞと思ったが、栄口はそれを口にしない。得意げに「オレはいつも栄口のことカワイイっていってんじゃん」と返されるのがなんとなく想像についてしまったからだ。 自分の心境はそんなところまで正確に把握されているのかもしれない。考えて、栄口は頬の熱を意識させられた。水谷は妙に楽しそうにニッと悪戯っぽい笑みを向けてくる。トクトクと少し速い鼓動が栄口の体の中で響いている。 ふーっと長くゆっくりと息を吐いて、ぽつりと零す。 「なぁ、真面目な話さ、オレら、この調子で今日ホントにできると思う? 無理っぽくね?」 「えっ? ……よ、弱気はダメ!」 しまりのない顔で笑っていた水谷が、その顔から笑みを消して身を跳ね起こす。一変して心配そうな、不安そうな目をして、それこそ弱気な顔つきになるから、それが妙にツボに入って栄口はまた派手に声を上げて笑ってしまう。 水谷の指摘どおり、自分ではどうにもできないくらいにテンションが上がっているのだ。笑いが止まらなくてすぐに苦しくなる。滲んだ涙を手でごしごしと拭うと、水谷が栄口の両腕をつかんでシーツに組み敷いてきた。 「栄口っ! もしかして、はぐらかすために狙ってわざとやってたりしねぇ? オレやる気十分だかんね!」 「オレだってそのつもりでここにいるんだけどネ」 どうしても収まらない笑いを含ませながら告げれば、真上から見下ろしてくる水谷がいきなりその頬を真っ赤に染める。 おいおい、どうして今さらここでその反応? ちゃかすように心の中ではツッコミを入れたけれど、栄口はただ水谷と見つめあったまま何も言えなくなってしまった。 トクトクトク、鼓動が大きくなる。 栄口の両腕をシーツに押し付けるようにつかんだまま、水谷がゆっくりと身を屈める。 静かに唇が重なった。 すぐに離して、唇に吐息を感じるくらいの距離で見つめあえば、とてつもなく気恥ずかしくなってしまう。栄口はそのやり場のない気恥ずかしさを、笑い飛ばす代わりに水谷に抱きついてごまかした。 |