「なんで惚気合いなんてやっちゃってんの、オレたち」
 クスクスと笑う綱吉に「十代目が始めたんですよ」と指摘すれば睨まれて、その顔が可愛いからさらに笑ってしまえば、綱吉が拗ねた態度で立ち上がろうとするから獄寺は慌てて引き止める。
 これも恋人同士の、とびっきり甘い、ただのじゃれあいだった。
「あ、十代目……ネクタイ」
 獄寺は自分の首にかけられたままのそれに気付いて外しながら、綱吉からされたキスを思い出してまた胸を高鳴らせる。獄寺を酷く驚かせあせらせた綱吉の行動や態度には、もしかしたら綱吉なりの獄寺への、獄寺にだから見せる甘えが混ざっていたのかなとあらためて思い返すと少しくすぐったいような幸せな気持ちになった。
 ネクタイを受け取ろうと手を伸ばしてくる綱吉の目元が一際赤く染まる。綱吉も思い出しているのだろうかと思えば、それも獄寺を喜ばせる。
 無性に綱吉に触れたくなって、もっとじゃれつきたくなって、獄寺はその気持ちのままに伸ばされた手にはネクタイを返さず、替わりにそれを自分が綱吉にされたように、首にかけて返す。
「獄寺君?」
「オレに結ばせてください、十代目」
 いいよ自分でやるからと答えながらも綱吉が逃げようとしないのを幸いに、獄寺は勝手に進める。襟の下にネクタイを潜らせながらわざと首筋に指を這わせれば、途端にピクリと跳ねる敏感な、いっそ敏感すぎるほどの身体。
「っ、…………」
 即座に獄寺の意図に気付いたらしく、綱吉がまた睨み付けてくる。けれど、困ったように眉根を寄せながら、目元を赤く染め小さく唇を噛み締めた姿を見れば、もう獄寺にはやっぱり可愛い人だなとしか思えない。かわいいを通り越していっそ艶かしい。
 自分の行動が、触れた指がこんな表情を引き出しているのだと思うと、ゾクリとした快感が背筋を抜ける。
 細くて色も白いが女とは違う、健康的な少年らしいしなやかなラインを描く首筋。
 指先で触れるどころかキスをしたことも、舌を這わせたことも、唇を押し付けて強く吸って痕を残したことだってあるのに、さらに仕掛けたのは自分であるにもかかわらず指先が震えてしまえば、それにしっかり気付いた綱吉にここぞとばかりにこれ見よがしに意地悪く笑われる。けれどそれは悪戯っぽくて意趣返しのように強がっているのが分かる仕草で、それに気付いてしまうから獄寺はその小馬鹿にするような笑い方にも欲情する。
 鼓動が頭の中で煩く鳴り響いて身体が熱くなって、また指先が震える。ネクタイを結ぼうとする手がもたついてしまえば、やっぱり綱吉に吐息で笑われた。
「ド下手だねー、獄寺君」
 何も『ド』までつけることはないだろうと思うけれど、指摘は至極的確だった。綱吉は駄目押しに、「結ぶより解く方が上手いよね」なんてきわどい発言を楽しげに投げかけてくるから、形勢は殆ど逆転してしまう。綱吉の言動に動揺してしまうのは否めない。結ぶのも今が初めてではないけれど、解いた回数の方がずっと多かった。実際にこのネクタイを解いたときの情況が勝手に、それもかなりリアルに頭の中に再現されていくから、獄寺の身体にはその情況に直面しているときのように顕著な反応が現れていた。
 けれどそれは獄寺の綱吉を思う気持ちの強さのせいなのだ。それを笑われてしまうのはちょっと悲しくて、拗ねたように言い返してしまう。
「オレが十代目のことめちゃめちゃ好きだってのが、そんなにおかしいですか。オレ別に下手なわけじゃないっスよ。相手が十代目だと思うとどうしたって緊張するんで、そつなくこなせないだけっス。ほかの相手なら適当に上手くやれますよ、多分。もう、これは……仕方がないでしょう」
「……言葉だけ聞くと妙に卑猥だよ、それ」
 ネクタイを結ぶのとは別の行為に置き換えられると指摘されて。
 そっちも、そんなに下手ですかと拗ねたくなる気持ちはとりあえず堪えておくことにして。
「そうきますか? でも、それだとオレはほかの相手じゃできないっスね。十代目命令だとしても、絶対聞きませんから」
 笑いながら告げられた言葉になるほどと考えさせられ、これもまたきわどい発言だなと思いながらも素直に受け止めて率直に事実を答えれば、不意に綱吉の頬の赤みが増す。
 今度は綱吉が動揺する番だった。綱吉にとっては咄嗟に口をついてでた言葉であり、それ以上の意味はなかったのだろう。
 獄寺の返答にあらためて自分が何を言ったのか気付き、そして動揺してしまった綱吉。今さらのように恥ずかしくなったのだろう、頬を紅潮させて、けれど同時に具体的に考えてしまったことによって嫌な気持ちにもなったのかどこか苦々しいものをその顔に浮かべて「しなくていいよ」とぼそりと愚痴るような言い方で零すから、獄寺はそんな一連の態度に、言動にまた逐一可愛いと思わされる。
 そして。
 こんなに幸せでいいのかという気持ちにされる。
 今さらのように恥ずかしくてたまらなくなってしまったくせにわざわざしなくていいと言葉にしてくれたのは、綱吉のささやかな独占欲なのだと思えば何より嬉しい。そんなことそんなに恥ずかしい想いまでして言葉にしなくたって、綱吉しか見ていないのは一目瞭然の男なのに、それでも言葉にする綱吉の気持ちが愛しくてたまらない。
 言ったことを後悔したように一際頬を染め首まで赤くしている綱吉を見て、それがとても獄寺に好ましくみえるからいつまでも見ていたいような気にもなるのだけれど、大好きな人を本気で困らせるのは本意ではないから、助け舟を出すような気持ちで話題を変える。
「意外と難しいんスよね。こう向かい合った相手のネクタイを結ぶのって。自分でやるのとは逆になるじゃないですか。あと……、なんか向かい合ってこういうことするのって、照れくさいものがありますからね」
「あ、それならさ……」
 獄寺が向けた話題に、ほっとしたように綱吉が乗ってくる。そこまではよかった。
 けれど次の瞬間、綱吉の意外な行動に獄寺は息を呑むことになった。
「こっちの方がやりやすいんじゃない?」
 壁にもたれかかる体勢で座っていた綱吉はひょいと腰を上げ、背中を獄寺に向けて座り直した。
 宙に浮いたまま行き場をなくした手。目の前には、白いうなじ。
 獄寺の劣情を煽ってやまない、とてもよい匂いを綱吉から感じ取ってしまえば、急激に喉の渇きを意識させられ喉を鳴らしてしまう。無防備に向けられた背中に頭がくらりとするほどの酩酊感を覚える。  誤魔化せないほどに強い欲望が急激に沸き上がった。
 ネクタイを結ぶための位置で止まっていた手をどう動かせばいいのか分からなくなって、少しの間葛藤し、獄寺は抗いがたい欲に素直になることにして、その手で綱吉を抱きしめた。
「っ、獄寺、くん?」
「十代目は読みが甘いのか……それともこうなることが分かってて、こんな行動を取ってるのか、どっちなんですか?」
 密着する胸と背中。
 熱くて鼓動は酷く速くなって、けれどその熱も鼓動もどちらの体のものかなんて分からないくらいにぴたりと重なっている。
 抱きしめるとさらに、よく知っている――知っているけれどけして慣れたりしない、優しくて無垢な印象なのに酷く艶かしく思えてしまう綱吉の匂いを意識させられる。即物的で情けないとは思うのだけれど、そう自覚したところで欲情してしまう身体には歯止めが利かない。
 引き寄せられるように、その首筋に顔を埋めれば、また欲望が強くなって、細くて成長を見せはじめてもなお小柄な身体へと回した腕には無意識にも力が入って、きつく抱きしめてしまう。きっと苦しいと思わせてしまっているだろうと思うけれど、腕の力を自分の意思で抜くことは難しかった。匂いとぬくもりに劣情が一瞬ごとに高められていくのが自分でもはっきりと分かる。
 獄寺の唇が首筋に触れたその瞬間こそ、綱吉はビクリと身をすくめて腰を浮かせるほどに過剰な反応を見せたが、すぐに獄寺に身を任せるように強張った身体から力を抜いた。
「獄寺君だと思うから……」
 甘えてるのかもしれないね、なんて告げるこんなに近くにいるのに聞き取りにくいくらいの小さな声。
 甘えているのは自分の方だと思うのに、そんなふうに少し掠れた声で吐息混じりに囁かれてしまえば、もうどうしていいか分からなくなる。
 どこまでなら許してもらえるだろうか、なんて考えてしまう自分を酷く嫌な男だなとは思うけれど開き直って、唇を押し当てた首筋に舌先を触れさせた。
「んっ、」
 打てば響くように反応されて、嬉しいと感じるのと同じに下肢に重く溜まる熱。背筋に甘い痺れが走る。
 結びかけのネクタイを緩めて襟元に鼻先を突っ込みながら、綱吉のシャツのボタンをもう一つだけ外して、それで届く一番奥のギリギリの位置に唇を押し当てて強く吸えば、綱吉の吐息には甘い声が混ざって投げ出された脚が小さく跳ねて壁を蹴り、獄寺に綱吉の快楽の度合いを伝えてくる。
「……っ……ぁ、…………ふ、」
 ボタンを一つ外しただけで、綱吉から感じる劣情を煽る匂いが増した気がした。
 さらりとした肩口の素肌に唇を擦り付けるようにして滑らせ、同じ場所を今度は舌で辿り、首筋を通って耳の裏側までをゆっくりと嘗め上げれば腕の中に納まったしなやかな身体がビクビクと震える。
「っ、……獄寺君っ」
 調子に乗って乱したシャツの裾から手を滑り込ませようとしたのと同じタイミングで名前を呼ばれて、そこにどういうニュアンスを含まれているのか理解できる判断力を完全に失う一歩手前だったから、獄寺は慌ててその手を引っ込めて、さらに降参の意を示すみたいに両手を挙げてしまう。
「す、すみません。こんなとこですることじゃなかったっス」
 ちょっとじゃれつきたかっただけなのに。
 触れてしまえば、軽いじゃれあいで済ませようなんて意識は掻き消えてしまうのだ。けれど、毎度そうなることが分かっているのに、触れたいと思う気持ちには抗えない。遊びの触れ方なんて、分からない。
 そう思って焦れば綱吉が肩越しに振り返るから、さらに動揺させられてしまうけれど、驚いたように半ば目を瞠るようにして見つめてきた瞳に、困ったような笑みが浮かぶから、それは一番綱吉らしい等身大の笑い方で、綱吉の表情はどれも大好きだと思う獄寺にとっても抜群に愛しいと思う表情だから、愛しいと思う気持ちだけがしみこむように胸に広がって、ただ見惚れてしまう。
「獄寺君は……ほんっとに……、いつだって本気なんだよね。でも、オレ獄寺君のそういうとこ、実はすっごく大好き。困ることもあるけど、そんなの霞んで吹っ飛ぶくらい好きなんだ」
 綱吉の言葉は、もう獄寺にとっては泣きたくなるほどに幸せで満たしてくれるもので、けれど現在の情況が情況だから嬉しい中にも少し困ってしまえばそれに気付かないのか、気付かないふりをしているのか、綱吉はまた警戒せずに正面を向いて獄寺にうなじを見せるから、鼓動が跳ね上がって、自分がこれからとるべき行動を考えようとするのに思考が纏まらない。
 続きを――行為ではなくネクタイを結ぶことの続きを促されているのだろうか、とは思う。けれどそれをこなす自信は、今となってはもう欠片もない。手を伸ばして触れてしまえば、今度はボタン一つじゃ済まないくらい綱吉の服を乱してしまうだろうと確信してしまう。
 けれど。
 自覚して、獄寺は分かっていたけれどでもそこまでなのかと思わされる。それは、では綱吉が今すぐ立ち上がって、何事もなかったように自分で服を直して、ネクタイを結びなおしてくれればそれでいいのかといえば、それはちょっと寂しいなと思ってしまう自分に気づくからだ。好きだと思う気持ちが強すぎて、本当に、いまさらに、分かってはいたけれどここまでかと思わされる。わがままで駄々をこねる子供みたいだと気恥ずかしくもなるのに、上手に器用に気持ちに折り合いをつけることができない。
 問題は、綱吉の指摘みたいに、自分だって、そんな自分は案外嫌いではないこと。情けないとは思ったりもするけれど、どうしようもない男だなと思う一方で、それだけ惚れこんでいることはやっぱり誇らしく感じたりもするのだ。
「獄寺君、ネクタイは自分でやるからさ、ボタンだけ留めて」
 これは完全な子供扱いだと獄寺は思った。
 このくらいのお手伝いならできるよねと諭されたような気持ちになって。
 それでも、もういいよと突き放されることなく仕事を任せられたことを喜んでいるのは相当情けないかもしれない。
 けれど、そんなこともどうでもよくなって、上げたままだった手を幸せな気持ちで下ろす獄寺隼人。
 肩越しに覗き込みながら白い胸元に欲情してしまう気持ちを抑えて、もたつく手でボタンを留めれば、褒美のように不意打ちのキスを頬にされるから、嬉しいよりも何よりも先にただとても驚いて、ボタンを留めるために見ていた手元から見上げてくる顔へと視線を移せば、そこには悪戯の成功を喜ぶような凶悪なまでに可愛い笑顔。
 綱吉はすぐに俯いて、上機嫌にネクタイを結び始める。
 熱を増して、そのまま放置されてしまう身体。
「さて、と……教室戻ろう、獄寺君」
「すみません、十代目。先に戻ってください。俺……そのトイレ寄ってから行きます」
 身軽に立ち上がった綱吉を見上げて、素直に自己申告すれば視線を逸らされる。
「え? ……あ、うん。…………ははは」
「……なんですか、その乾いた中途半端な笑いは」
「いや、うん……なんか…………その、生々しいなーって」
 ひどく恥ずかしそうに落ちつきなく視線を動かしながら言われてしまえば、言われた獄寺はもっと恥ずかしい。
 分かっているのに聞いてしまう自分も自分だとは思うけれど、返答にはやっぱり少し悔しくなるから、向けられた背中を追いかけドアへと伸ばされた手を掴んで引き戻し意趣返しに耳の後ろに掠めるようなキスを送る。
「……ん、っ」
 それだけでちゃんと反応してくれる敏感な身体。
「十代目の声の方が生々しいっス。つーか、エロイ」
「っ…………な、何すんだよ、獄寺君っ」
 上擦った声までが魅力的な大好きな人。
 怒っているんだぞと言いたげに睨みつけてくる目は実際には全然怒ってなんていなくて、ただ気恥ずかしそうに潤み、困って照れてしまっていることばかりが強調されているから、こんな情況でも愛されていると実感してしまう。
 今の自分は最高に幸せな男だと獄寺は思う。
 けれど。
 すぐ側にあるその扉を開けたらもう二人きりじゃなくなるのだと思ったら、それだけで少し寂しくなった。