昼休みになって、今日は天気もいいからと三人、獄寺、綱吉、山本の間では定番にもなっている屋上に移動して昼食をとった。
「あれ? ツナ、もう終わりかよ? 少ないんじゃねぇ? しっかり食えよ」
 真っ先に食べ終わった綱吉に山本が声をかける。
「オレわりと食うほうだよ。弁当のほかにも、三時間目終わってからパン一個食べてるし」
「あー、そういえばそうだな。見てたぜ、女子から貰ってたの」
 冷やかし気味に告げる山本に綱吉は変な言い方するなよと唇を尖らせる。
「余ってるからってくれただけだって」
 綱吉の言動や仕草はあいかわらずとても好ましく魅力的だと思うのに、獄寺はまたあのどこか苦々しいような気持ちになってしまう。  それは獄寺と一緒にいるときにパンを受け取り、その女子に向かって礼を言ったときの綱吉のもったいないくらいに可愛いかった笑顔のせいかもしれないし、今山本に向けている拗ねていても魅力的な表情のせいかもしれないけれど、獄寺自身にもよく分からなかった。どうしてここまで狭量なのかと、我ながら情けなくなってしまう。
 もしかしたら、と獄寺は考えて、それが結構しっくりと来てしまうからさらに嫌な気持ちになる。
 そう、もしかしたら、貰ったそのパンを半分ずつ食べようと他意もなく言ってくれた綱吉に、そのパン一つに込められた想いについて考えさせられて、結論として達した答えにもそんなことを考えてしまう自分にも酷く嫌な気分になり、結局固辞してしまった自分の偏狭さを思い出してしまうからかもしれない、なんて。
「でも、実際最近そういうこと増えただろ? 」
「……オレ自身は大して変わってないのにね」
 綱吉のその言葉は、山本の質問への肯定だった。綱吉は居心地悪そうに肩を竦め、視線を床の上で彷徨わせてから見下ろす町並みへと逃がした。零される小さなため息。気のせいでは済まないほどに明確な周囲の態度の違いには綱吉自身も戸惑っているのだ。
 綱吉に向けられる視線や好意に過敏になってしまう獄寺だが一番近いところで綱吉を見ていて、もしかしたら綱吉本人も困惑しているのかもしれないと漠然と感じることはあった。綱吉自身は今の情況をどう思っているのかはやっぱり気になるから、何度となく考えたが綱吉の様子からだけでははっきりとは分からなかった。聞いてみればそれで済む話なのかもしれないが、どうしてかそれは躊躇われた。
 そんな中で綱吉がここまではっきりと戸惑いを態度や言動で示したのは初めてのことだから獄寺はその心境が気にかかってしまう。
「ハハハ、オレ、昔っからツナに赤丸チェック入れてたからな。オレに言わせりゃ、今の方が正当な評価って気がするぜ。なぁ、獄寺、おまえもそう思うだろ?」
「あぁ? いや……まぁ……」
 綱吉の気持ちも気にはなっていたが、周囲の態度の変化に綱吉とは違う意味で複雑な気持ちにさせられている獄寺の返答は心境のままにあいまいなものになってしまうが、山本はそれを気にした素振りはみせない。むしろ獄寺の言動にいくらか反応をみせたのは綱吉の方だった。
 綱吉はそれまでとくに見るともなく景色を眺めていた視線を獄寺へと向けてきた。けれどそれには気付くものの獄寺はなんとなく後ろめたくて、その視線を正面から受け止めて綱吉の顔を見ることはできなかった。
 そんなどこかぎこちない空気にもやはり気を止めた様子のない山本がいつもの明るい調子で会話を続ける。
「でもツナ背伸びても体重変わってねーだろ?」
 綱吉は一瞬の不自然な間の後で、何事もなかったかのように山本に答えた。
「食っても食っても身につかないんだよ……飯も食ってるし間食とかしまくってるんだけど」
「それ女子に言ったら殺されるぞ、ツナ」
「ああ、この前うっかり言っちゃって、ハルに延々と文句言われたよ」
「だろーな。ツナは運動しろよ、運動。そっちのが効くんじゃねーか?」
 苦手意識が薄れたとは言え、基本的にスポーツ全般に好んで取り組もうとは思わない綱吉はただ苦笑して、話題を逸らそうとする。
「そういえば獄寺君、今日食べるの遅くない? どっか悪いの? 大丈夫? さっきからあんまり喋ってないし」
「いや、そんなことないっスよ」
 綱吉に指摘されるまで、自分の手の中のパンがほとんど減っていないことに気付いていなかった獄寺は慌てて首を振って、パンに齧り付いたがそれは驚くほど味気なかった。
「獄寺もしっかり食えよ。気を抜いてたらオレらもそのうちツナに抜かされるかもしんねーな」
「身長なんて努力でどうなるもんでもねーだろ」
 なかなか減らないパンを無理に咀嚼して飲み込みながら、獄寺は本気なのか冗談なのかわからない山本の言葉に冷静に返した。
「ハハ、そこまで伸びたら嬉しいけど、残念ながらチビな家系だからオレそんなに大きくならないと思うよ」
「確かに十代目のお母様は小柄な方ですよね」
「言われてみれば、ツナって背が結構伸びた気がするのに、並んでみるとそんなに変わってないんだよな。細身の奴ってそれだけで背が高く見えるっていうけど、それか? 実際どんくらい伸びたんだ?」
「測ってないからわからないなぁ」
 山本は名案を思いついたように満面の笑みになるとふいに獄寺を指差してきた。
「獄寺、ちょっとツナの横にならんで立ってみろよ、ものさし代わりに」
「オレだってまだ伸びてんだ。基準になるか」
「お前、いつもツナの横にいるだろ? 目安ぐらいにはなるんじゃねーか」
 重ねて告げられた言葉にアホかと返しながらも、少しばかり嬉しい気持ちになってしまうことは否めない。無性に照れくさくなって視線を彷徨わせれば、しっかりと頬が熱くなっているのを感じるから、こんな些細なことで赤面してしまうのかと恥ずかしくなる。綱吉に関わることでは日常にもいくつものキーワードが存在して、それを投げかけられてしまうと相手が山本でも上機嫌になってしまう。今の場合、引き金になったのは常に綱吉の側にいる自分だった。相手が山本だからまだいいが、これが綱吉本人や、綱吉の母親だった場合はさらに顕著になるのだ。
 ついさっきまで感じていた不満や複雑な心境もすべて消し去るくらいに上機嫌になりかけた獄寺に、また漠然とした焦燥感を思い出させたのは突然開かれたドアと、そこから顔を出した存在。さらに正確にいうなら、それに対する綱吉の反応だった。
「ツナ君、やっぱりここに居た」
「っ、京子ちゃん! どうしたの?」
 傍目にもはっきりと分かる焦った様子で、自分の足に躓きそうになりながら立ち上がる綱吉。
「ごめんね、寛いでるところ。もしかしたら昼休みに使うかなと思って。渡しそびれてたから」
 京子が差し出したのは一冊のノートだった。今朝話していた数学のノートに違いない。
「うわーっ、ゴメン。わざわざ持ってきてくれてありがとう、京子ちゃん!」
 獄寺はなんとなくそれ以上見ていたくなくて、手元のパンに視線を落とすが、砂を噛むような味気なさを思い出せば、それを口に運ぶ気にはなれなかった。どうしてこんな気持ちになってしまうのか、獄寺自身よく分からないから戸惑っている。少なくとも綱吉と京子の関係に妬いたりはしていない。そのあたりに関しては、自分の方がずっと強い絆があると自覚しているし、それを疑うことは綱吉に対して自分が不誠実だということになってしまうと、そのくらいにはっきりと気持ちの整理がついている。もう、ずっと前から。
 京子本人に対しても、同年代の女にはほぼ無条件に悪い先入観を持ってしまう獄寺にしては例外的に好印象を持っている。
 それがどうして今さら、こんな気持ちになってしまうのか。
「ああ、ちょうど良かったぜ笹川! ちょっとそこでツナとならんでみてくれよ」
 山本が何をさせたいのかすぐに理解した綱吉は苦笑し、分からずに首をかしげている京子にそれまでのやりとりを説明する。なんでもない会話なのに、照れくさそうに話す綱吉とそれに笑顔で返す京子の様子が、そちらを見なくても気配だけで感じ取れてしまうから、獄寺はすこぶる嫌な気分になった。
「ツナと笹川って確か身長そんなに変わらなかったよな? 今だと明らかにツナのが高いぜ。そうやって並んでるの見るといい感じの身長差じゃねーか、なぁ?」
 お前もそう思うだろうというニュアンスで山本に言葉を向けられて、それに答えたくないと思ってしまった獄寺は、綱吉たちにも山本にも目を向けずに仕方なく美味くもないパンに噛り付き、もごもごと口を動かしながら肯定とも否定とも取れないように曖昧な相槌を打った。山本が獄寺の態度を気にしないことは想像についたし、明確な返答を期待しているわけではないことも分かっていた。
 山本の言葉に動揺してやや上擦った声で文句をいう綱吉に、獄寺は無性に焦燥に駆られた。本格的にこの場所に居たくなくなって、いっそ立ち去ろうかとさえ思い始めた。獄寺が実行に移そうかどうか迷っていると、不意に京子が不思議そうな声を上げる
「あれ? ツナ君そういえばネクタイどうしたの? 朝はちゃんとしてたよね?」
 一瞬の間。
 つられたように顔を上げれば意外にも綱吉と目が合うから、まさか綱吉が自分のほうを見ていると思わなかった獄寺は驚き、息を詰まらせた。
 獄寺が驚いた理由はだた、綱吉が自分を見ていたからだけではなかった。
 声の調子だけなら楽しげに聞こえていた綱吉の表情が、向けられた視線が、明らかに不機嫌そうに見えたから。
 けれど、それは一瞬。
 見間違えただけかもしれないと思うような、本当にほんの一瞬の出来事で。
「あーっ! オレ、ネクタイ体育の後、更衣室に忘れてきた。取りに行ってくるっ」
 叫ぶなり綱吉は駆け出していく。獄寺は条件反射のように腰を浮かせたが、そこで僅かに葛藤し、今見た綱吉の表情、向けられた視線を思い返した。
 確かに勘違いかもしれないと思える程度のものだったが、それでも綱吉に関することだから自分に限って見間違えるはずがないと獄寺は確信する。けれど、その意味が分からないから躊躇してしまう。
「ツナ君、ノート受け取らずに行っちゃった……」
 ノートを手にしたまま困ったように、けれどどこか微笑ましそうに笑いながら言う京子に、山本が手を伸ばした。
「笹川、サンキュな。後で渡しとくわ。……で、獄寺は行くならさっさと行けよ。ここは片付けといてやるから」
 中途半端な体勢でいた獄寺はその言葉に後押しされるように立ち上がると、まだ手をつけていなかったもう一つのパンを山本に投げつける。
「それは駄賃にくれてやる」
「パン一個か、安いな。ま、ありがたくもらっとくぜ」
「アホか、てめーにゃ十分すぎるくらいだぜ」
 獄寺が綱吉を追いかけることを疑いもせず当たり前のように受け止めている山本に内心でだけ素直に感謝して、獄寺は屋上を飛び出した。