体育館の裏手を通って、校舎からも体育館の出入り口からも死角になる飲み物の自動販売機前のベンチへと移動した。
 休み時間になれば生徒が溜まるこの場所も授業中の今は無人である。
 綱吉がベンチに座るのを見て、獄寺もその横に腰を下ろした。
「あー、気持ちいい。今日みたいな日に体育館で授業なんてもったいないね」
「女子の授業がバレーボールだから、それに合わせて男子の自習は体育館でってことになったんでしょうね。体育の授業なんかとくに一応教師がついてなきゃいけないってことになってそうですから」
「だろうね。……ああ、でも恥かかなくてよかった。シュートもなんとか入ったし、チーム分けで獄寺君と一緒になってよかったよ」
 嬉しそうに言ってくれる綱吉には、獄寺も嬉しくなってしまう。
「オレが十代目と別のチームなんてありえませんから! そうなったら、脅してても十代目のチームの奴と変わります」
「…………その辺の意味も含めて、獄寺君と最初から同じチームでよかったと心から思うよ」
 綱吉の顔に浮かんでいるのは苦笑。分かってはいるけれど自分の思いの強さを呆れられるのは少しばかり寂しいものがあるから、格好悪いとは思いつつも唇を尖らせて拗ねた態度を取ってしまえば苦笑は優しい笑みに変わるから、甘やかされているなと思う。
 大人びた笑い方も好ましく思うのだけれど、そう思ったすぐ後で、綱吉が今度は投げ出すように伸ばしていた脚を引き寄せてベンチの上に上げ、そこで脚を抱えるから、そんな姿は妙に幼い印象でそれも可愛く魅力的だから気がつけば見とれている。
 仕草、表情、言動、どれをとっても獄寺には好ましくて、何度でもやっぱり好きだと、こんなに好きなのだと、再確認させられてしまう。見つめていれば、一瞬ごとに好きだという気持ちが強まる気がした。
「膝、平気ですか?」
 訊ねれば、今度は綱吉が拗ねたような表情になる。
「大げさだってば。本当に平気だよ。気付かなくていいのに、なんで気付くんだよ」
「誰に言ってんですか、十代目。オレが見落とすわけないでしょう?」
「気付いて欲しいときには気付いてくれないんだよね。どこでもダイナマイト持ち出すし……あれはほんっとカンベン」
 不満そうに突き出された唇が可愛くて、そこにキスをしたくなるけれど、それを実行してしまうのはまずいと思うから堪えて、代わりにほんの少しだけ身を寄せる。
 近付いても綱吉が気にもせず普段どおりのペースを崩さない距離。けれど、それは相手が自分だから、許されている距離だった。
 人間には人と一緒にいるときに保っておきたい物理的な距離が存在する。個人差があり、知り合いならこの距離、友人なら、家族なら、と相手によっても代わる。基本的にここから内側には侵されたくないと無意識に感じているテリトリー。長い間、特に親しい友人等を側においていなかったせいか、綱吉のそれはわりと広い。綱吉の周りには比較的スキンシップの激しい人間が多いが、別に対人恐怖症でもなんでもないから綱吉はその領域に踏み込まれても怯えたり不快感を露わにしたりすることもなく、ただほんの僅かに戸惑った表情をみせる。
 自分が許されている距離は一番近い。それが嬉しくて、確認するように距離を詰めて、そうすればキスをしたいという気持ちが結局は強まってしまうから、失敗したかなとも思う。愛しくて、本当に好きだと思って、見つめれば見つめ返してくれる表情が綺麗で可愛くて、膝を抱える腕の細さや小さく丸めた背中、髪の毛に見え隠れする白い項の艶かしさに自分が知るさまざまな綱吉の姿を頭に過ぎらせてしまえば、自制しようという気持ちが弱まっていく。
 さらに身を寄せれば綱吉の表情から拗ねた雰囲気が消えて、反応に困って選べないように無表情にになって、けれど見つめる瞳がそらされることはなく微かに揺れた。
「獄寺君?」
「嫌だったら、殴って逃げてください」
 今まで一度だってそれを実行されたことはないけれど。
 万一、ベンチに引き上げている脚を下ろされたりすれば、その瞬間にも脚や腕を掴んで引き止めてしまいそうな自分がいるけれど。
 そんなことを考えながら、嫌なら逃げてくれと逃げ道を残している、相手に選ばせているスタンスを取り繕っている自分は相当嫌な男かもしれないと思うけれど、獄寺は綱吉を手に入れるため――綱吉の立場上すべては無理だけれど、それでも綱吉の中に少しでも多く獄寺だけのものでいる部分を作ってもらうため――なりふり構わずやってきたのだ。そして結果はちゃんと出ているから、今だって少しぐらい卑怯なことは躊躇わない。
「獄寺君……授業中だよ」
「休み時間の方がヤバイっすよ。ここ絶対誰か来ますから」
「そういう問題じゃ……ああ、もうっ」
 自棄になったように閉ざされる瞳。色気なんて欠片もない仕草にも見えるけれど、きゅっと結ばれた唇や、閉じた瞳の睫の先が微かに震えていることに気付いてしまえば、それが羞恥や照れを誤魔化すための投げやりな仕草であることが分かってしまうから、獄寺にはかえって酷く艶かしく思えて、愛しいと思う気持ちばかりが強まる。
 目の前で自分が惚れこんだたった一人の特別な人が、自分のキスを待っているのだと思うと体が熱くなる。
 欲情した。
 肩を抱き寄せて、もう一方の手では綱吉の手首を掴んで引き寄せて唇を寄せれば、ベンチから下ろされる綱吉の脚。逃げるためではなくて、ただ獄寺を受け入れるため唇を重ねやすい自然な体勢を取ってくれたのだと、受け入れられているのだと思うと嬉しくて、時間と場所をわきまえて掠めとるだけ、軽く触れ合わせて唇の感触を確かめるだけに留めようと思っていたキスは、目を閉じて触れた瞬間から濃厚なものになってしまう。
 ぴたりと押し付けるようにして重ねた唇が、二人の関係を思えばキスなんて実のところ今さらの感さえあるのに、互いに僅かに震えていることに気付いてしまう。頭の中で鳴り響く鼓動。上昇する体温。いつまでたっても慣れなくて、当たり前みたいに軽いキスなんてできない。肩を掴んだ手には必要以上に力が入り初デートで初めてキスをする少年みたいな触れ方になって、綱吉の体はかすかに強張っていて、けれど本当に初めてではなく触れるだけじゃないキスの快楽も知っている二人だから躊躇いがちに唇を開いて舌を絡ませてより深い快楽を求める。
 呼吸が止まるくらいに緊張してぎこちなく舌を滑り込ませれば、綱吉の舌がやっぱりどこかたどたどしく触れてきてくれるのが泣きたくなるほど嬉しい。
 本当は知っているくせに、ちゃんと分かっているくせに、どうしていいか分からないみたいな触れ方になって、けれど触れ合った舌を絡ませて擦り合わせて、その感触に喉を鳴らし啜りながら、僅かに浮かせた唇で角度を変えて重ねなおせば、少しずつ求める動きが滑らかになっていく。
 そうすればもう、肩を掴む手と手首を掴む手で綱吉の体を撫で回したくなっている。
 つかの間葛藤して、獄寺が手首を掴んでいる片手だけを離してその手で綱吉の脚を撫でれば、敏感な身体はすぐに反応して、触れた足と絡めあっている舌が小さく跳ねるからたまらない気持ちにさせられる。擦り付けるようにしてまた角度を変えて重ねなおせば、それでできる僅かな間に綱吉の吐息が零されて、そこには聞き漏らしそうなほど微かに甘い声が混ざっているから、綱吉に触れる手が勝手に震えてそれを誤魔化すみたいに少し力を込めて脚のラインを確かめるように撫でれば、また即座に返される反応に頭の中に熱が溜まっていく。零れる吐息まで愛しくて空気に溶けていくのが惜しくて、深く貪りつくすように深く重ねれば息苦しそうに身を捩るから、それも許せないみたいに肩に回した手で強く強く抱きしめて拘束し、気がつけば腰を浮かせて殆ど覆いかぶさるように口付けている。
 不意に肩に手を置かれて、綱吉の苦しそうな息遣いに今さらのようにがっつきすぎている自分を自覚して、引き剥がされるのかなと思うけれどそれなら寂しいなと身勝手にも感じてしまって、けれど綱吉の腕は獄寺を引き剥がそうとはせずに、しがみつくように体操服の柔らかな布地を握り締めるから、その行動が愛しくてまた意識が揺れて欲望が高まってしまう。
 脚を撫でている手が、また別の場所に移動しかけたときに鳴り響くチャイムの音。
 獄寺は慌てて唇を離し、少しの距離を置いて綱吉を見つめるが、そうすれば口元だけではなく喉まで零れた唾液で濡らしているひどく扇情的な姿に鼓動がまたさらに跳ね上がってしまう。
 ひどく混乱する頭でどうしたらいいのかと考えて、口元を拭ってやりたいのだけれど拭くようなものは何もないから咄嗟の行動で喉元に唇を寄せてそろりと嘗め上げればとたんに上がる非難の声。
「ご、獄寺君! ストップ! ダメ、それ……」
 今度こそ肩を押して引き剥がされて、自分が何をしたのか気付かされて、酷く恥ずかしい気持ちになって、地面に額をこすりつける勢いで謝罪すれば困った顔で笑われて。見つめた先で綱吉が手の甲で口元と顎の下辺りをごしごしと擦って拭うから、より一層恥ずかしくなる。
「あ、あのスミマセン。苦しい思いばっかりさせて……」
「あのね、獄寺君……苦しいだけだったら、オレ、逃げるてるよ……さすがに」
 俯いてしまった視線を上げて見つめれば、気恥ずかしそうな顔で微笑まれて見惚れてしまう。
 馬鹿、と声もなくその動きだけで告げる唇に、また欲情した。