ツナは小さく息を飲む。
 試されているのだとツナは思った。獄寺への愛を試されている。
 大人ランボが咄嗟に伸ばした手が獄寺の頭を押さえつけていた。獄寺はランボを殴ったり蹴ったりしたくて暴れているが、その手足は届かずに空を切っているというまさに空回り状態。どうかんがえてもリーチ的にアレな感じだった。それなのにどうしてランボは素でチビ獄寺の剣幕にビビっちゃってたりするのか。
 もう言葉なんて選ばずに表現すれば、それは滑稽以外の何ものでもなかった。でも笑っちゃまずいのだろうと思うから、ツナは息と一緒に飲みこんだ笑いをなんとか喉の奥に押し留める。ちょっと喉や胸、腹が痛くなるからなんでこんな苦労をしなければいけないのかと正直思うのだが、きっとこれは恋人の務めなのだと思って耐えた。
「す、スミマセン。落ち着いてください、小さきスモーキン・ボム」
「ちいさい言うな!」
 せめて誰かとこの笑いを、笑いを堪える辛さを共有できればよかったのにとツナは思った。残念ながらここにはツナ以外には当事者の二人しかおらず、獄寺はもちろん、傍目には余裕な情況であるランボも必死だった。その真剣さが、そう、本人たちが真面目であればあるほど、さらにそれを見せられるツナが苦しめられることになるのである。
 普段の獄寺の怒声にはツナだって、それが自分に向けられたものでなくとも未だにビクビクと反応してしまう。けれどそんな自分を鑑みてもやっぱり、かわいい子供にボーイソプラノで罵倒されて本気でビクついている大人ランボはどうしようもなく情けなくておかしかった。
 そんなやりとりを特等席で観覧していると、体力の消耗が激しい小さな身体でわめき続けたせいで疲れたらしい獄寺の一瞬の隙をついて逃げ出したランボが――比喩表現ではなく、大人ランボは本当にチビ獄寺に背を向けて一目散に逃げた、これもなかなか凄まじい光景である――ツナの背後に隠れる。
 身体のサイズ的にチビ獄寺とは比べるべくもないが、ツナの身体もランボに比べればうんと小さいので、頭隠して尻隠さずなんてレベルではないほどに隠れられていない。
 だが対獄寺に限っていえばなかなか効果的な隠れ場所だった。ランボって案外頭よかったのかなと、ちょっとばかり失礼なことをツナが考えてしまうほどに。
 獄寺は明らかに怯んだ様子を見せている。
「じゅ、十代目……そのアホ牛をこっちにひきわたしてもらえませんか。十年後にかえるまえに地獄におくりとどけて……」
「獄寺君、落ち着いて。ランボをどうこうしても何にもならないよ。今は対策を考えようよ」
 身長差のせいかどこか言い聞かせるような口調になってしまえば、獄寺は口を閉ざし悔しそうに、そしてどこか少し悲しそうにツナを見上げる。それは叱られた子供の顔だった。その顔まで愛らしいからツナはやっぱり見とれてしまい、そしてやっぱり背後からのランボの声で我に返る。
「お優しいですね、若きボンゴレ十代目は。ありがとうございます。そろそろ戻る時間なんですがお礼に、一つだけ……本当はルール違反なんですけど特別に教えてさしあげます」
 ランボの声は途中から、本当にツナにしか聞こえないような極小さな囁きになった。吐息が耳元を掠めるのがくすぐったい。
「ランボ?」
「こちらに呼ばれた瞬間に本当に一瞬だけ見えたんですが、とっても不安そうな表情をしていましたよね。その理由、オレの読みが正しければですけれど……その心配は不要ですよ。これ以上は何も言えませんが。あまりに辛そうな顔をしてましたから、庇っていただいたお礼にちょっとだけルールを破ります」
 ツナの両肩に背後から置かれた手。耳元を掠める吐息。ツナは思わず身をすくめた。けれどそれはくすぐったかったからではないし、肩を掴まれて驚いたとかそんな理由じゃなかった。
 これはマズイ、本当にマズイ、ヤバイとツナは焦る。焦って必死に考えるけれど名案は思いつかず、頬が熱くなるのを自覚すれば焦りはさらに募る。身体まで熱くなってくるからツナはもうどうしていいか分からなくなる。
 ツナをそんな状態に陥れてくれたのはランボの言葉。
 ――不安そうな表情。
 ツナは確かに、不安でたまらなかった。十年バズーカに当たったなら当然現れるはずの十年後の獄寺が表れなかったから。正しく作用しなかったせいでこんなことになったのだろうと言われもまだ安心はしきれなくて、けれど考えるのが嫌だったから大丈夫なのだと、元々安定していない十年バズーカの不良のせいなのだと無理やり考えて、一番恐ろしい可能性から必死に思考を逸らしていた。自分がわざと考えないようにしているという事実からさえ、意識を背けていた。
 けれど、心配しなくていいと告げられて、ようやくそんな現実を急に飲み込まされたみたいな気持ちになった。自分がどれほど恐ろしく思っていたのか自覚させられて、けれど自覚させられたのと同時にその恐怖が取り除かれていたから、よかったと思ったら安堵にじわりと涙なんか滲んできそうになったりもするから慌ててそれを堪えれば、今度はランボに自分の感情を悟られてしまったという現実に目を向けさせられることとなった。
 それほど表情に出てしまうものなのか。
 もしかして、否、もしかしなくたっていろいろと気付かれたってことなのかと思えば一気に頬が熱くなった。ただ最悪の事態を想定して不安がっていることに気付かれただけなのか、それともそれ以上の感情まで読み取られてしまったのか。前者ならいいのにとツナは祈るような気持ちになった。
 そうしてツナが焦っているところで、獄寺の怒声。
「おい……十代目に何しやがる。馴れ馴れしく触ってんじゃねーぞ」
 いくらでもその機会があったのにこの身の手も握れなかった男が、他の男が同じ体の肩を掴みながら耳元に唇を寄せているのを見て激昂する。
 それは自分のものだから触れるなと主張するように。
 姿は幼くてもそれは完全に雄の行動だった。
 自分が触れなかっただけのくせに、そんなふうにあからさまに態度に出したら余計に感づかれてしまうだろうとツナは少しだけ獄寺を咎めるように思ったが、その気持ちはすぐに掻き消える。
 獄寺の視線は今ツナの肩越しにランボを射抜いている。
 ツナに触れて身を寄せたランボを見る目は、同じ上目遣いなのにツナに向けられるものとは明らかに異なる。幼い表情に似合わない鋭く冷たい眼差し。空気がピリピリと皮膚を刺すような感覚。その瞬間、ツナの肩に触れていたランボの手は圧倒されたかのように強張った。今度はツナもそのランボの反応を滑稽だなんて思わなかった。
 だって、とツナは思った。だって、それを言うなら自分の方が滑稽だった。
 馴れ馴れしく触るななんて言葉、初めて聞かされたわけじゃない。獄寺は今までだってツナに気軽に抱きついたり頭を小突いてきたりする人懐っこい山本に、同じような罵声を浴びせていた。それなのに今、獄寺の言葉にツナの鼓動は跳ね上がっていた。同じ言葉なのに違うように聞こえるのは、二人の関係が変わったからだろうか。
 チビなのに、獄寺なのに、素でカッコイイとか思ってしまったのだ。
 思わず見惚れてしまった大人の男みたいな真剣な表情を見せた獄寺と同じくらい、かっこいいかもしれない。
 チビなのに。
 幼い獄寺相手にそんなことを考えてしまう自分を滑稽だ、なさけないと思ってみても鼓動は収まらない。鼓動が大きすぎて、これでは背後のランボに気付かれてしまうと、さらにより一層焦り始めたところで肩に掛かっていた負荷が消える。
 振り返ればそこには子供ランボが居て目が合った。小さなランボはツナを見て、次に獄寺の姿を確認して、それから一目散に駆け出す。
 獄寺はそれを追いかけようとしたが、一歩踏み出した脚をすぐに止めてツナを見下ろす。
 そう、小さな獄寺がツナを、見下ろした。つまり、ツナはその場にへたり込んでいたのである。大人ランボの支えがなくなって立っていられなくなるほどにチビ獄寺の男前っぷりが腰に来ていた。
「っ、十代目! どうしたんですかっ! まさか大人ランボがなにか……」
「ち、違うよ!」
 ――何かしたのは獄寺君なんだってば。
 そんなことは恥ずかしくて言えない。もう今のこの状態でさえ恥ずかしくて、バカみたいだと自分で自分を笑い飛ばしてやりたくなるのに、ツナは結局俯いてしまう。
 一度速くなった鼓動はなかなか収まらない。気遣うように顔を覗き込んでくるのはもう可愛いばかりの子供の姿をした獄寺なのに、今はその顔もまともに見られなかった。


*****


 公園でのことを思い出せばまた少し頬が熱くなるからツナは半分照れ隠しに、これは一生の不覚だな、なんて思った。チビ相手に、チビ獄寺相手にクラリと来てしまったなんて。
「じゅ、……あ、あの、どうかしましたか?」
 間接キスの余韻から復活した獄寺は、箸を止めてしまったツナに気付いて心配そうに見上げてくる。その顔だってとても可愛かった。とても可愛いのにランボを威圧したときみたいなあんな表情だって、この身のためなら見せることができるのだ、中身はやっぱり獄寺なのだ、ツナのことを一番に想って行動する獄寺隼人なのだと思えば、また鼓動に影響が出そうになるからツナは慌てて思考をそこから引き離した。
「ちょっとね、考えごと。大丈夫だよ」
 今横で座っているのは「ツナとかツナ兄とか好きに呼べばいいけど、十代目はやめておいたほうが無難だよ」と帰り道の話し合いの結果落ちついたのに、結局何度も十代目と呼びそうになって踏みとどまり未だ一度もツナのことを呼ばない、呼べない獄寺隼人。公園から家への道のりでも、歩幅の違いに気付いて手を繋ごうとしたツナに固辞して結局ツナの袖の布をほんの少し小さく掴むだけだった獄寺隼人。
 もっと気軽でいいのにと思うけれど、なんだかんだ言ってもツナだって獄寺のそんなところが嫌いではなかった。今始まったことではないし、獄寺がこんな男だとちゃんと分かっていた。分かっていて、好きだから付き合おうと思ったのだ。
 帰り道で一生懸命考えた後で、躊躇いがちにツナの袖を掴んできた獄寺に、よくがんばったねと、告白されたときみたいにドキドキして暖かい気持ちになった。
「かんがえごとってやっぱり……」
 奈々が席を立ちキッチンに行くのを見て、獄寺が声を潜めて言う。俺のせいですよね、と言外に含ませながら獄寺は自分の小さな手を見下ろした。
「それは大丈夫だよ。時間が経てばってランボも言ってただろ?」
 いざとなればリボーンに聞けばなんとかなるだろうとも思う。今はまだリボーンに引っ掻き回される方が迷惑だし、今夜家に居なかったことはむしろよかったと思ってしまうけれど。
 ツナが大丈夫だと言ったからなのか、獄寺が笑顔を見せる。
 けれど次の瞬間その笑顔が固まった。
「あっ、そうだわツナ! ご飯食べたら、ハヤトちゃんと一緒にお風呂入っちゃいなさい。もうすぐ沸くから」
 キッチンからの奈々の声。
 うわっ、これはアウトだろとツナは思った。その内容に対してではない。
 やっぱり、と隣を見れば。
 ツナの予想を裏切らずに、子供は椅子から転げ落ちていた。