獄寺隼人はやっぱり獄寺隼人だった。
 固唾を呑んで身構えてしまったツナの背後に回った獄寺の手は、ツナに触れることなくベンチの背凭れを掴んでいる。獄寺らしいなと思って笑いそうになり、けれど自分の顔に落ちる影に気付いて、弛緩しかけた身体をまた緊張させる。情況を把握し直すよりも先に、互いの前髪が触れ合うから、ツナは笑っている場合ではないことに気付く。身体の一部、神経も通っていない部分だが、これは手と手が触れ合うよりもよっぽど緊急事態である。
 獄寺君、これ極端すぎるよとツナは思った。まさかこの体勢で紙一枚の距離をやられたら、真剣に困る、本当に勘弁してほしい。
 射抜くように見つめてくるツナだけしか見ていない獄寺の眼差しはかっこいいのかもしれないが、もうそれを通り越してなんかヤバイ感じだった。
 ツナは逃げ場を求めるようにほんの少し身を引いて目を逸らしたが、そうすればツナが開いた距離の分だけ正確に獄寺が詰めてくるからもうどうすればいいか分からなくなる。この調子で行けば、間違いなくベンチに押し倒されることになる。否、身体は一切触れていないのだから、押し倒されるというには語弊があるかもしれない。けれど、その言葉の意味の正しさにどのくらいの価値があるのかとツナは考えさせられてしまう。もちろん考えている場合ではないのだけれど。
 救いを求めるように視線を彷徨わせたツナは、公園に駆け込んできた小さな人影に目を瞠る。バランスの悪いデカイ頭をした、二足歩行の子牛、ランボである。
 うわー、助けにならない、ならないよととりあえず胸中でツッコミを入れて、ツナは自分の不運を嘆くが、そうする一方でそれなら誰なら良かったのかと考えて、全く適任者が浮かばないことにちょっと悲しくなった。
 もうこの際ランボでもいいからと考えて、こっちに気付いてくれ、来てくれという気持ちを込めて、走る子供を目で追いかければその視線の先でランボが躓いて転んだ。それも顔から豪快に。やっぱり無理だ、この子じゃ無理だとツナが悲観していると、正面からちょっと不満そうな拗ねたような声が掛かる。
「十代目……オレのこと、ちゃんと見てください」
「あ、あのね……獄寺君、ランボがそこに……」
 ツナが視線を戻せば獄寺はあからさまに喜び、大丈夫ですと真剣な中にもほんの少し笑みを見せて言う。その笑い方にはちょっとこの男に任せておけばきっと本当に大丈夫なのだと思わせる説得力があって、かっこよくも見えるのだが、今のツナはそこまで夢見がちな思考には陥りきれなかったので結構冷静に、何が大丈夫かと思った。嫌な予感付きだった。さらにその予感が外れない予感もしていた。
「オレ、気にしませんから」
 オレが気にしますからと胸中で即答して、この人やっぱり全然大丈夫じゃねぇと嘆いて、ツナはもう混乱も焦りもすべて超越して悲しくなる。
 頭の中ではいつか見た洋画のなんでもないワンシーン、『気にしないわ』という字幕に余裕たっぷりにちょっと皮肉っぽく笑うちょっとあだっぽい感じだけれどとっても綺麗な女優の顔、ツナの英語力でも聞き取れた「アイ・ドン・ケア」という短いセリフがセットになってこんなときなのに、こんなときだからなのか再生されていて。けれど目の前にはそんな女優も目じゃないくらいとびっきりの美形、少年らしい柔らかな輪郭を持ちながら大人びた秀麗な眼差し、その真剣な瞳で見つめられるとクラリと来そうなほどにとってもカッコイイ、それなのに身に纏っている雰囲気がどうにもおかしい感じの獄寺隼人がいるから、もうどうしていいのかツナにはわからない。
「そ、そうなの?」
 そうなのじゃないだろ、もっと言うことがあるだろうと内心で自分を罵倒する。気にしようよ、気にしておこうよ、ここ結構重要なポイントだと思うよと訴えたいのだが、それを獄寺に理解させる自信は残念ながら皆無である。
 視界の隅に身の丈に合わないどこに隠し持っているのか不思議でたまらない――それは今目の前にいる男のダイナマイトについても同じことが言えるのだが――バズーカを取り出す子牛。いつものアレか、と思ったところではたとツナの思考が止まる。
 子供ランボならまだいい、大人ランボにこの情況を見られたらちょっと流石にまずくないだろうか。子供にはどういう状況か分からなくても、大人なら、それももしかしたら色恋ごとには強いのかと思わせる片鱗を言葉の端々に見せているとっても優男っぽいあの大人ランボになら見抜かれてしまうかもしれない。
 一緒にホモになってやろうと決心したツナだが、公言するのは、カミングアウトするのはちょっとごめんこうむりたい所存である。だって、きっと報告される方だって困るのではないかと、言い訳ではなく思うのだ。そう、言い訳でなく。
 そんなことを考えているうちにツナと獄寺の距離はまた少し詰められている。そしてランボの十年バズーカはしっかりと固定されている。そこでツナはぎょっとして目を瞠った。
 バズーカの向きが逆だ。銃口がこちらを向いている。しかも、その状態にランボは全く気付いていないようだった。
 向けられて初めて気付いたのだがリボーンの扱うハンドガンとは桁違いの大きさのバズーカの銃口は、その武器に殺傷力がないと分かっていてもかなりの迫力だった。本能的な恐怖心で身がすくんで動けなくなる。
 トリガーに掛けられた紐をランボの小さな手が引く。たわんでいた紐がピンと張って、次の瞬間。
「十代目に何しやがる、このアホ牛が――果てろっ!」
 爆音。
 熱風。
 強い衝撃が身体に来て、身体が宙に浮く。けれど撃たれたとか爆風に見舞われたとかではなく。砲弾を避けるために突き飛ばされた体。けれど、ただ突き飛ばされただけではなく、ツナの身体はしっかりと獄寺の腕に包み込まれていて。
 地面へと倒れこみながら、肩を抱くどころか手も握れなかったくせに、とちょっと泣きそうになりながらツナは思った。小一時間かけても、触れることもできなかったくせに、どうしてこの男は。
 何度も馬鹿にしてゴメンと、今日もう何度謝ったかわからないけれどツナはまた謝っていた。公園でダイナマイトをぶっ放すのはどうかと思うけれど、何も見えてなさそうな素振りだったくせに、ここでちゃんとツナに向けられた銃口に気付いて守る行動を取れてしまう獄寺隼人はめちゃくちゃカッコイイ、映画のヒーローみたいな男だと思った。そりゃ褒めすぎだ、なんて思わなかった。本当に格好よくて、マフィアのボスの右腕も獄寺ならこなせるだろうと思った。ツナのどこか冷静な部分が自分はボスになんてならないけど、と小さく付け足していたけれど。
 背中が地面について、けれど強い腕に完全に守られていたおかげで強く打ち付けるようなことはなく、身体のどこにも痛みはなかった。
 爆発に思わず閉じてしまった目を開ければ、空から塵が降ってくるのが見えて、ツナはまた目を閉じた。砂場の方から、数名の子供の泣き声、その親らしい大人の話し声が聞こえてくる。冷静になり始めると、この事態の収集をどうつけるかが気になってくるけれど、とりあえず逃げるが勝ちかなとのん気に考えながら身を起こして、目にごみが入るのを警戒しながら慎重に目を開ける。
 公園は結構酷いことになっていた。けれど慣れもあるから苦笑一つでとりあえず忘れてしまうことにして、ツナは獄寺に声を掛ける。
「ありがとう獄寺君。バズーカってあれ、向けられるだけでめちゃくちゃ恐いね。どうしようかと思った……けど、なんか凄いことになってるから逃げた方がよさそうだよね」
 威勢の良い返事が帰ってくることを疑わずに傍らを見ればそこに獄寺の姿はない。
 ツナは慌てて立ち上がり周囲を見回した。
 数メートル先にはランボと十年バズーカが転がっている。
 ほんの一瞬、思考が真っ白になったツナだったが、至極冷静に十年バズーカを拾い上げた。予想以上に重かったが、なんとかよろめくこともなく担いで狙いを定める。たぶん、これなら外したくても外せないくらいの距離だろうと思いながら、扱い方なんて分からないけれど当てずっぽうにトリガーに指をかける。
 銃口が向けられていることにも気付かずに、のそのそと顔を上げる子供めがけて、ツナは躊躇いもなく引き金を引いた。
「ぐぴゃああっ!」
「ゴメンな、ランボ。説明役が必要なんだよーっ」
 取り乱しこそしないが、ツナは実のところかなり本気で焦っていた。
 消えた獄寺。もし十年バズーカに当たってしまったというなら、今ここに十年後の獄寺隼人が表れるはずで、けれどそれが現れないということは。
 一番考えたくない事態から気を逸らせながら子供ランボと大人ランボの入れ替わり完了を待つツナに、背後から声が掛かる。
「十代目! 渋いっス。めちゃくちゃカッコイイっス。オレ、感激しました。さすが、十代目です。十代目が銃火器を扱うところ、初めて見ましたが……シビレました。惚れ直しました! 素晴らしいです、おみそれしました!」
 大真面目に不安になって、真剣にどうしようかと、銃口を向けられたときよりもよっぽど恐怖心に駆られていたツナの背中に飛んできた、もう聞き飽きたような類のセリフ。
 それが誰のものかなんて、疑いようもないのだけれど。
 ツナはそれでも、誰だお前はと思いながら振り返ってしまう。
 だって、ツナの知る声とは全然違ったのだ。セリフや言葉のイントネーション、端々に含まれる聞かされている方が恥ずかしくてたまらなくなってしまう甘ったるさまで全く同じなのに。ほかの誰かの声ならともかく、絶対聞き間違えるはすのない声だから、ツナは激しく困惑していた。
 振り返ったツナの目の前には。
「十代目、おけがは……なさそうですね! ごぶじでなによりです」
 ツナは思わず口をパクパクさせながら、胸中であらん限りのツッコミを入れる。
 ご無事じゃない、全然ご無事じゃないよ。君がご無事じゃないよ。声だけじゃなかったのか。一体何が起きているのか? なんとかしてくれ、早く来い説明役。
「十代目、どうしたんですか?」
「獄寺君、だよね?」
 どうして。
「もちろん、あなたの獄寺隼人です」
 ちょっと頬を染めて、気恥ずかしそうに答えるその表情まで同じなのに。
 どうしてその声がボーイソプラノなのか。
 ツナはがくりとその場に膝をついた。
 どうして、その姿が。
「十代目! だいじょうぶですか?」
「獄寺君……オレが膝を付いて、それでお互いの目線が合うことに何か疑問を感じたりしないのかな?」
 きょとんととても可愛らしいあどけない顔でツナを見つめる、『自称』獄寺隼人。本物なのだろうとツナは悟ってしまう。だってもう面影なんてレベルじゃないくらい同じ表情に同じ仕草なのだ。
 その姿は。
 ついさっきまでそこにいた獄寺隼人と比較して、目測で五年は幼いだろうというのに。背丈もツナの胸ぐらいまでしかないのに。
 そう、そこにいるのは獄寺隼人のミニチュア版。
「ぎゃーっ! なんだ、こりゃ! うわっ、十代目、オレ、オレ、これ、なにが……」
 自分の手足を確認してパニックを起こしているチビ獄寺。頻繁に自分の身に降りかかる多種多様な事件のせいで妙に順応性だけは高いツナは、あらためてその姿を見て素直に純粋に可愛いなと思ってしまう。小さな手足をばたつかせて全身で『緊急事態』を表現している獄寺隼人はとても、そう、とても素晴らしく可愛い子供だった。
 十代目ーどうしたらいいですかと涙目で見上げられて、ツナにはどうにもできないのだが、抱きしめてやりたくなってしまう。
 というか、本当に、かなり本格的に、半端なく可愛い。しゃれになっていない。その可愛さだけでなんとでもなるんじゃない、みたいな気分になってしまう。
「やれやれ、また何か新しい遊びですか――こんにちは、若きボンゴレ十代目」
 声を掛けられて、やっとツナは自分が困った事態に直面していることを思い出した。