獄寺は正面を向いたまま微動だにせず前方を見据えている。ただ座っている姿にも妙な緊張感が漂っていた。 それをちらりと盗み見て、とっても居心地よろしくない気持ちになりながらツナは空腹感と戦っていた。 おなかがすいた、早く帰りたい。 そうすれば願いが叶う呪いのように、その言葉を何度も胸のうちで繰り返している。 何度も確認している公園に設置された時計の長針は、何もしないうちにまた三十度も進んでいる。 横で石像と化している獄寺を見れば、こっそりこの場から立ち去っても一時間は気付かないのではないかという気もするのだが、それは見当違いなのだろうということも何となく悟ってしまう。 なぜなら妙な空気がねっとりと身体に絡みついてくるような感覚が、ツナの精神を蝕んでいたからだ。それこそが自分に向けられている獄寺の感心なのだと不本意ながらもツナは理解してしまう。 正面しか見ていないくせに獄寺隼人は、間違いなくツナの気配に全神経を集中していた。それほどまでに真剣に思われているのは本来恋人どうしであれば、相手が髪を切ってきても気付かないことが原因でケンカなんてカップルもいるというし、喜ばしいことなのかもしれないが、溜息一つでベンチから転げ落ちられていたのではたまらない。髪を切っても気付かれない方が百倍いいじゃないか、あこがれるなそういうの、とツナは思ってしまう。 さらに、もし今ここでこの身がくしゃみなんてしようものなら、溜息で転倒してくれるこの男の心臓は止まってしまうのではないかなんて投げやりに思って、けれどその情景が頭の中で結構具体的なリアルな笑えない映像に構築されてしまうからちょっとそこそこ本気に泣きたくなってくる。くしゃみか、と考えてしまえば鼻がむずむずしてくるような気がして、この場で獄寺に死なれても困るので思考を切り替えた。 どうせなんの変化もないのだろうと思いながら何気なく二人の手元を見てツナはもの凄く胸が苦しくなった。獄寺が死ぬ前に自分がこの痛みで死ぬかもしれないと思うくらい、胸がキュッと締め付けられた。 獄寺君とその名前を心の中で呼びながら、その胸の痛みに耐える。獄寺の名を声に出して呼ぶことはしないけれど、今はきっと声にならない。そのくらい胸が苦しい。 そんな状態ではあるが、残念ながらその痛みはときめきや切なさで胸が締め付けられるような気持ちになったという慣用句的意味合いではなかった。もしそっちだったら歓迎したのにとツナはその息苦しさと格闘しながら妙に冷静に思った。恋人同士になったばかりの二人にはおあつらえ向きのとってもステキな感情ではないか、と。けれど悲しいことにツナの身に降りかかったのは、トキメキやセツナサとは無縁の文字どおりの純粋な痛みだった。 その原因は一体何なのかといえば、ふきだし転げまわって笑いたくなるのを必死に堪えているからだったりするからもう最悪である。ツナにそんな苦行を強いるのは獄寺の手だった。なぜかさっきまであった位置から真上へ移動し、宙に浮いている不自然極まりない獄寺の手。 それを見てまずは不思議に思い、それからすぐにツナはクレーンゲームを連想してしまった。平面の移動の後は上下だからと考えて、けれどまるで見えない壁に阻まれているかのようにツナの手の上には来ないから、獄寺の手というクレーンにプライズ、ツナの手は掴めそうにないななんて考えて、失敗する獄寺の顔を思い浮かべたらさらに笑いがこみ上げてきた。同時にこれが本当にクレーンゲームなら、自分が店員になってちょっぴりズルイサービスをしてもう引っ掛けただけでストンと落ちる位置にプライズをずらしてあげるのに、とツナは思った。いやそれでもきっとアームが弱いというレベルとは訳が違う獄寺にはきっと無理だから、もう取り出して押し付けてやってもいい。 だから、これ以上おかしな行動を取らないでほしい。身が持たない。忍耐や腹筋を鍛えるために恋人同士になったわけじゃない。 この人おかしいよ、とツナは本当に真剣に心底思う。思ってから、今さらだろと自分に呆れ、けれどさらに楽しくていいじゃないかと自分を慰めてみて、結局、でももういい加減帰りたい、暖かい夕飯が待っているおうちに帰って良いかなと自分の本音に向き合った。 「……十代目」 聞き漏らしそうな小さな小さな声。獄寺は正面を向いたままだった。ツナは返事をする前に時計を確認し、頭の中で観察日記でもつけるみたいに経過時間と行動にチェックを入れてしまう。 「なに、獄寺君」 獄寺が自分へと顔を向けてくるのを視界の隅で確認し、まだ自分は正面に顔を向けた状態を保ちながらツナは内心ちょっとだけ驚き、ちょっとだけ焦り、けれど冷静な残り大部分でこれから何が起こるのかと期待してワクワクした。猫が警戒しながら好きでもない、むしろどちらかと言えば苦手な部類である幼児に、やめておけばいいのに恐いものみたさで近付いてしまうときの気持ちってきっとこんな感覚だとか、結構失礼なことを考えていた。 「楽しんでますか?」 やめておけばいいのに近付いて、子供に尻尾を掴まれてしまった猫ってきっとこんな気持ちだとツナは瞬時に思って、それからさらに向けられた言葉について考えた。 うわー、この情況でそれを聞くのか、聞いてしまえるなんて勇気あるなぁ、それオレ答えさせるの、正直に答えちゃっていいのと、ツナは怒涛のツッコミを心の中で返す。 楽しんでますかなんて聞かれたら、何をと聞き返してしまいそうになる。何もない、ただベンチに座っているだけの情況だよ、と。そして自分で獄寺隼人観察に決まっているだろうと答えて、でも観察するほど動きないよと反論して。 でも一応悲しませたくないなという気持ちは持っているから、無難な言葉を捜しながら隣を見て、ツナは浮かべていた苦笑を消して、自分を見つめている少年の顔をただ見つめ返してしまう。 ツナの返答をこれでもかというほどに不安に思いながら待っている顔。 今なお緊張に強張っている表情と身体。 それなのに。 どうして獄寺はそんなに幸せそうなのか。 不安そうで緊張した面持ちのまま、けれどそこに幸せで嬉しくてたまらないという抑え切れない感情がむりやりつめこまれてしまっている獄寺の表情は、あらゆる方向に中途半端でとっても微妙なのに、ツナにはそれがとてもとても好ましくみえた。 正直、もうどうしようもなく変な顔だとは思うのだけれど。 告白する直前にみせた、あの幻みたいに嘘みたいに偽者みたいにカッコイイ獄寺隼人がもう一回みたいと思うけれど。 今の獄寺隼人は本当にかなり相当ツナの心臓にクリティカルヒットに良かった。 本当にどうしてと思いながら、ツナはおかしくて、けれどそれ以上に無性に獄寺をいとおしく思って、自然に笑い返していた。もうたまらないなという気持ちになって、泣きそうな気持ちにまでなってしまい、こんな奇襲があるのかと、恋人どうしって関係かなりイイと思った。 楽しめてしまうのだ。獄寺隼人は幸せそうなだけではなく、実際に幸せなのだ。何もない、ただベンチに座っているだけで。恋人と並んでベンチに座っているだけで。ツナが楽しんでいるのかどうかは心配だけれど、それでも自分は幸せで仕方ないのだ。 とんでもない男と恋人どうしになったもんだと、ツナは嬉しくなった。 「めちゃくちゃ楽しいよ、獄寺君」 答えれば、微妙な奇妙な表情から不安や緊張の色が薄れて、より好ましいとびっきりのいい笑顔に変わった。 その笑顔にツナは心の中でゴメンねと謝る。 真剣な恋人を小馬鹿にするみたいに観察しててごめんなさい、いくら面白いからって一生懸命なのを茶化してふざけててごめんなさい、必死な君の隣でずっと帰りたいなんて考えていてごめんなさい、早まったかななんてちらりと考えてしまって本当に本当にごめんなさいとアレもコレも謝った。 空腹なんて気にしていた自分が悪かったとツナは思う。もう餓死してもいいやみたいに考えてから、それはやっぱりイヤだなと考え直して、とりあえず身の危険に迫られない範疇での空腹には耐えるからと冷静に訂正した。 それから獄寺への希望をやっぱり心の中でだが、ベンチから落ちるくらいなら許容するからくしゃみしても心臓止めて死んでしまったりするのはやめてほしい、と付け加えた。心の中で言ったって伝わらないのはツナにも分かっているが、言葉にしてもどうせ伝わらないから同じことである。 そんなことをぼんやりと考えていたから、ツナは獄寺を見つめたまま、微笑みかけたまま、目を逸らすタイミングを逸していた。なんとなく見つめあったままでいて、そこには欠片くらいは甘い雰囲気もあったけれど、それはただ視線を向けたよりは一応それなりに気持ちが篭っているかもしれないといえなくもないんじゃないか、だって恋人なのだから、きっと、多分、そうだったらいいな、ぐらいの微々たるものだったのだが、そこに何を見てどう判断してくれたのか獄寺の頬は見事なまでに紅潮している。 「十代目!」 今度の呼びかけはさっきよりもずっと大きな声だった。 そして、ずっと殆ど動きを見せなかった手がツナの背後に信じられない速さで伸びる。手だけではなく、一気に詰められる二人の間の距離。 「ごく……でら…………、くん? ……っ!」 手も握れなかった男が一体何をする気なのか。 ツナは思わず身体を硬直させ息を飲んだ。 |