ベンチに並んで座ったままかれこれ十五分。驚くべきことにその間、ほとんど会話がない。二人の人間がいるというのに、その間にあったやり取りらしいやりとりといえば、ため息を零したツナに過剰に反応した獄寺隼人がベンチから落ちた、だから大丈夫かと至極当然のように声をかければ、上擦った声で「このベンチ滑りやすいですね」と訳の分からない受け答えをされたという程度のもののみである。
 なんだかなぁ、とツナは再びため息をこぼしそうになるのだけれど、先刻の獄寺の反応を思い返して慌てて飲み込む。ゆっくりと物音を立てないように、空気さえもなるべく揺らさないようにと、なんで自分がこんな気を使わなければならないのかとは思うのだが、それでもやっぱり気をつけながら視線をベンチの上、座っている二人の間に落として、またため息をつきそうになったツナはやっぱりこらえて、かわりに胸中でぼやく。
 ――なめくじやかたつむりでも、きっともっと速いよ、獄寺君。
 少しずつ、動いているのかどうかも分からないスピードで近づいてきている獄寺の手。
 握りたいなら握ればいいし、こっちから握ってやっても全く構わないと思うのだが、後者を想像すれば、蛇にでも噛まれたかのように過剰に反応する獄寺を容易に想像できてしまうからやめておいた。
 ツナはあらためて、早まったかな……と思う。
 ほんの三十分ほど前に、二人は手を繋ぐくらい全然オッケーな関係になったのに。

*****

 放課後のことだった。
 さぁ帰ろうかといつも一緒に帰っている相手、獄寺を振りかえったツナは思わず一歩後退してしまった。妙に思いつめた表情をした獄寺が、振り返った瞬間に顔と顔がぶつかりそうなくらいの至近距離に立っていたからだ。
「十代目、折り入って重大なお話があります。三時三十四分に、体育館裏の右からニ番目の木の下に来てください」
 小さくボリュームを絞られた獄寺のハスキーな声は妙に色気があって、ツナはほんの少しだけドキリとしたけれど、意識の大半を占める十分に冷静な部分で異様に半端な時間指定をいぶかしみながら現在時刻を確認し『なんでこの人ってば十分後って言わないの?』と思っていた。
「あの、右からってのは向かって右ですからね。それじゃ……、あ、オレ、いつまでも、いつまでも、ずっと、絶対待ってますから!」
 いきなり駆け出す獄寺隼人。
 ツナは唖然としてその背中を見送ってしまう。
 ずっと待ってるって、今から移動したら、普通に十分すぎるほど余裕をもってその時間に着けるのに。
 右からなんてわざわざ言わなくても、確認までしなくても、体育館裏まで行けば、木なんて数えるほどしか植えられていないのだから嫌でも分かるのに。
 っていうか、もう根本的になんでわざわざ呼び出しなのか、一緒にいけばいいだろうに。
「あー、もうツッコミどころ満載過ぎて、リアクション採れなかったじゃないか」
 ひっそりとぼやいて、ツナは自分の鞄と、当然のように置き去りにされた獄寺の鞄を拾って、指定の場所へ向かった。
 のんびり歩いても十分はかからない距離だから、ツナがそこについたのは、獄寺の姿を再び見たのは指定時刻の五分前であった。声を掛けようとして、その肩を後ろから叩こうとして、ツナは言葉を飲みこみ、中途半端な位置まで持ち上げた手を慌てて引っ込めた。
「好きです……ちがうな、もっとこう……十代目、愛してます? いや、暑苦しくねーか? えっとなんだっけか、夜明けのコーヒーを……ってオレはいつの時代の人間だ! つうか、夜明けのコーヒーってことは、オレと十代目が? え、まさか……や、やべ……何考えてんだ!」
 うわー、気が合うね、オレもまさに今心の中でそうツッコミをいれたところだったよ、とツナは胸中で獄寺に同意した。
 今、ツナはとても驚いてはいるが、ちょっとだけ予測はしていたので取り乱すほどではなかった。ああ、もしかしてやっぱり、本当にそれなの?という心境なのだ、正直なところ。
 案外俗っぽいものが嫌いではないツナは、体育館裏のこの場所がジンクスつきの告白の名所であることを知っていた。自分にとっては無縁な場所だと思っていたが、獄寺に言われたときに真っ先に連想したのはやっぱりそのことで、けれど、獄寺に限ってそんな少女趣味なはずがないと一応は結論付けた。
 だがなんてことはなかった。獄寺隼人はツナの想像を凌駕するほどに少女趣味だったのだ。
 もしかしたら、と思ったのは場所が告白の名所だったからだけじゃなかった。獄寺の普段の態度、言動、常軌を逸した好意。うぬぼれてるかななんて思ったのは本当に最初の頃だけで、これで気づかなければ自分こそただの馬鹿だろうと思うほどに、獄寺の身からは、いつだってツナへの『好き』が溢れていた。
 獄寺のひとり舞台はまだ続いている。しまいには和歌(しのぶれど〜なんて言われてもツナにはわからないし、古典の授業を始められるのも嫌だ、勘弁してほしい)や文語体(なんとか候ふとか言われても、男としては不名誉なあっちに変換されてしまう)まで出てくるから、ツナは本格的にどうしようかと、一度帰ってそれこそ明日の朝になってから来ても続けられているんじゃないかという気にもなってくるが、その場に腰を下ろして、体育座りの体勢で待つことにした。
 三十分も経つとめぐりめぐって現代語にはなってくれた。ツナはオレって付き合い良いなと自我自賛しながら見守りつづけている。
「オレについて来いっていうよりは、どこまでもついていきますって感じだしな……言ってみてぇけど……守ってやるからオレから離れるな……とか。お? もしかしてかっこ良くないか?」
 うーん、でもそれはらしくないよ、むしろもう獄寺くんじゃないよとツナは胸中で助言する。
「よし、もう一息だな。えっと……オレなしじゃ生きていけない身体にしてやるぜ! ……生きていけない、じゃなくて達けない、とか? うわ、オレ何言って……」
 うわー、もうノーコメントだなーとツナは思う。
「っていうか、それって、十代目じゃなくてオレのことじゃねーか!」
 ツナはもう聞き流しながらあくびを噛み殺していたが、不意に獄寺が崩れ落ちるように膝を地に付き、手も地面について俯く、とっても敗北者っぽいポーズを取るから、我に返って羞恥心を取り戻したのかなと、興味深く見守る。
 が、次の瞬間、獄寺はバシバシと地面を手で打ち始める。
 なんか既視感、とツナは思った。
「イイ! 超イイ! 渋いっス! 最高っス、十代目!」
 ゴメンナサイ、とツナは胸中でポニーテールの似合う少女に謝った。似てるとか、同レベルとか思ってゴメンナサイ、と心の底から深く深く反省して謝罪した。
 ついでに帰ろうかな、とも思った。本当はずっと思っていた。でもなんとなく、ものめずらしさとか、後が恐いとかそんな気持ちじゃなくて、何度ももう帰ろうと思うのに、それを実行に移させない感情がツナの中にあった。
 獄寺は立ち上がって、手と膝についたほこりを払っている。
「ああ、でもアレだな……やっぱり、素直にストレートにびしっと伝えるのが一番なんだろうな」
 そうだ、その方向で行け、がんばれ、と他人事のように、けれど真剣にツナは応援してしまう。
「毎日、一緒に下校してくれませんか……とか」
 いや、それ後退しすぎ、ていうかもうそのラインは超えてるよ、とツッコミをいれるツナの口元には笑みが浮かぶ。もちろん嘲笑系ではない、とびっきりスペシャルに良い感じの笑み。
「オレは十代目が好きです、だな。もうこれしかねえ」
 オレもそう思うよ、と胸中で返して、ツナはそろそろかなと思って、長時間座りすぎてそろそろ痛くなってきた尻を地面から上げる。
 良いタイミングで下校のチャイムが鳴った。
 けれど、良いタイミングだと思ったのはツナだけで、獄寺はいきなり慌て始める。
「げっ! もうこんな時間かよ! 十代目が来ないなんて……いや、何か事件に巻き込まれたのかも……」
 慌てて、慌てすぎて足を絡まらせそうになりながら飛び出していこうとする獄寺に、いつまでも待ってるんじゃなかったのかと思いつつもとっさに手を伸ばせば、まだ中腰だった体勢が災いしそんなつもりはなかったのだが結果的に足を払うことになってしまい、さらにその結果として獄寺が盛大に転ぶ。
「ぎゃーっ、獄寺君! ゴメン! ほんっとゴメン、わざとじゃないよ、ゴメン」
 立ちあがりかけだったツナは、そこからまた座りこんでほとんど土下座のような姿勢で謝る。獄寺のトップシークレットな部分を観察していても欠片も湧いてこなかった罪悪感に今思いきり見まわれていた。
「っ…………十代目っ! ご無事でなによりです」
 獄寺はその綱吉の正面になぜか正座する。
 二人はとっても不自然な場所で、激しく不自然な向かい合い方をしていた。
「いや、ご無事かどうかはどっちかといえば君の方が心配だよ」
「感激です! お気遣いありがとうございます、十代目!」
 本格的にさまざまなことが心配になってしまうが、獄寺は本当に嬉しそうだったからツナはそれ以上踏み込まないことに決めた。
「遅くなっちゃってゴメンね。重大な話って何かな?」
 本当はずっと居たのだが、あえてそう告げれば。獄寺は慌ててもう正座しているくせにさらに居住まいを正した。
「は、はいっ! そ、それはですね」
「うん」
 相槌を打ちながら、がんばれがんばれとツナは獄寺を心の中で応援していた。ちょっぴり変な気分だが、すぐに気にならなくなる。
 獄寺はびしっと背筋を伸ばして息を吸いこむと、ツナをまっすぐに見つめた。見つめられて、見つめ返しながら、向けられたその真剣そのものの強い視線に、ツナは不覚にも獄寺のことをめちゃくちゃカッコイイと思ってしまう。とくんと鼓動が跳ねて、なんでオレときめいちゃってんのとつっこんでみるけれど、冷静になろうと思いながら見つめても獄寺はやっぱりかっこよかった。少年ではなくてもう大人の男の顔をしていて、思わず見惚れてしまっていて、ツナも男だからそれを悔しいと感じたりもするのだけれど、この魅力的な男が自分のことを、と思うとまたさらに鼓動が速くなるのを止めることはできなかった。
 目の前には掛け値なしに格好良い獄寺隼人。
 けれど。
 獄寺はぎゅっと目を閉じたかと思うと、がばっと、本当にそんな音がする勢いで頭を下げる。
「オレ、す、好きです。十代目、好きですっ……オレ、十代目が好きなんですっ!」
 なんで目を閉じてしまうのか、とツナは思った。とっても格好良かったのに、見つめたまま告げられたら、自分がどうなったかわからないくらい惚れ惚れしたのに。
 獄寺の告白は片言で、しかも発音が変に半端になまっていて、ワレワレハウチュウジンダとかニホンゴムズカシイデース的な言い方になってしまっているところまであって、かなり微妙な部類である。
「オレ、十代目のことが……ほんとに、ほんっとに大好きなんです」
 あーあ、とツナは胸中でため息をこぼした。
 どうして、と思っていた。どうして、この身はいま、こんなに熱くなっているのか。嬉しいと思ってしまうのか。
 どうして、獄寺をこんなに愛しいと感じてしまうのか。
 どうして良くやった、がんばった!みたいに思ってしまうのか。
 獄寺の頭上では福音、天使だってラッパを吹いているかもしれないと考えて、けれど良く考えればいまさらだけれどホモの恋愛は祝福して貰えないのかもしれないと思い至れば、それなら自分が吹いてやろうという気にさえなっている。もっともラッパなんて吹いたことはないし、きっと吹けないから、ハモニカかリコーダーで我慢してもらわないといけない。出血大サービスで音楽室からピアニカを借りてきてくれたらそれを吹いてやってもいい――曲はチャルメラだけど。電波ホモだって祝福してもらえなくたって、自分がしてやろう――むしろ電波、は別としてもホモに一緒になってやろう、とツナは覚悟を決めた。
 不安そうにゆっくりと顔を上げる獄寺に笑いかけて。
「付き合おうか、オレたち」
 二人は新米恋人どうしになった。

*****

 相変わらず後退こそしないが、獄寺の手はほんの僅かずつにしかツナの手に近づいてこない。
 亀の歩みなんて言ったら、エンツィオが怒るかなとツナはぼんやりと考えた。
 ため息をつきたくなるのを必死で堪えて、さらに十分経過。
 あくびは何回噛み殺したことか。
 だって、とツナはまた二人の手の隙間に視線を落として、心で愚痴る。
 ――だって、もう紙一枚程度の隙間しか残ってないよ、獄寺君。
 そう、もう何かの間違いで簡単に触れてしまうくらいの距離しか残されていなくて、むしろそれだけの距離しかないのに、触れ合わずに保っていることの方がある意味すごいことかもしれない。
 でもすごい進歩だよ、とほんの少し自棄になって獄寺を褒め称える。
 ツナはわざと獄寺の手の近くに自分の手を置いたけれど、そこからは少しも動かしていない。そして、その距離はといえば紙百枚分はあった。それを百分の一に縮めたのだ、獄寺は。
 ワオ、素晴らしいね君。
 ツナはもう半ば以上自棄になって、一度聞いただけなのに何度も聞かされたかのように耳に残っているとっても恐い先輩の言葉を借りて、また心で呟いた。
 ほんの一時間と二十分ほど前に恋人どうしになったばかりの二人の前途は、結構多難である。