+++ 成功?失敗? +++




「こんにちはー! えっと、西浦の栄口君?」
 間近で見てもかわいい。大きな目、くるんとカールしたまつげ。柔らかそうな頬にくちびる。栄口はつい不躾に見つめてしまい、慌てていったん目を逸らし、あらためて視線を合わせて笑いかける。
「ども、栄口っス」
「はい、三橋瑠里です。はじめましてー、じゃないのか。一応、会ってるもんね」
「だね。桐青戦のときに」
「そのときに、わたしを気に入ってくれたの?」
「えっ? そ、それは……」
 瑠里に会うことになった経緯を思い返し、栄口は言葉を詰まらせる。

 部員たちで話しているときに、確かに栄口は「三橋のイトコ、すごくかわいいね」とは言った。そのときのみんなのテンションが高かったこともあって、つい調子に乗って褒めちぎり「あの子に甲子園に連れて行ってって言われたら、死ぬ気で連れて行くね!」と力説したら、その場のノリで、数分後にはもう二人きりで会う場がセッティングされていた。
 実のところ、口走ってしまったのはテンションの高さばかりが原因でもない。
 ――あいつのあの、煮え切らない態度が、なぁ。
 栄口が誰といてもやたらヤキモチを妬くくせに、決定的な行動は一切起こさない男を思い浮かべ、眉間に皺を寄せた。
 相手が女に限らず、阿部と話していても、泉と騒いでいても、物言いたげに見つめてきたり、拗ねた態度でつっかかってきたりする。シニアの友人と会ってきた翌日は、そわそわと近づいてきて探りをいれるような会話を持ちかけてきた。妙に刺々しい皮肉っぽい言い方をした後で、そんな自分の行動を後悔して甘えてくる。全部が表情に出ている。
 正直、鬱陶しい。けれど、それ以上に、かわいいとか、思ってしまうのだ。
 栄口は、その相手のことが、男同士なのに、大好きなのだ。自分より少し背が高くて体格もいいような男なのに、可愛い、愛しいと思ってしまうくらい惚れきっている。
 そろそろはっきりしてほしい。栄口の方からはかなり分かりやすい意思表示をもう何度もしている。そのときの相手の反応はいつも、好きな子と手もつなげない幼稚園児。極度に照れてギクシャクした態度になるところもかわいいとは思うけれど、限度がある。
 だから、あのとき、つい言ってしまったのだ。
 ちらちらと様子を見ながら、自分に作れるかぎりの最高の笑顔を作って、瑠里を褒めた。それだけですぐに表情を曇らせ傷ついた顔をした。さらに続けたら、不機嫌そうに睨みつけてきた。
 自分たちの間にはまだ何もないのに、それでもショックを受けたり怒ったりするほどに「あいつ」が自分に執着しているのが嬉しかった。
 めちゃくちゃ性格悪いな、と栄口は自分を省みる。なにより、巻き込んでしまった瑠里に失礼だ。

 唐突に愛らしい笑い声が上がる。驚いて、いつのまにか俯いてしまっていた顔を上げれば、瑠里が肩を竦めて、悪戯っぽいまなざしを向けてきた。
「分かってる。その場のノリだったんでしょ? 罰ゲームみたいなもんだよね。あるよねー、そういうの! 笑っちゃってごめんね。栄口君ってレンレンから聞いてたとおりの人だなと思ったらおかしくって」
「三橋が?」
「いい人だって。最初の笑顔はすっごいかわいかったのに、今は罪悪感の塊みたいな顔してる」
 百人が見たら百人がかわいいと褒め称えそうな女の子からかわいいと言われるのは微妙な気分だ。誰に言われても微妙だけれど、特に。
「気にしないでね? わたしも今日のことはキッチリ利用させてもらってるから。あいつの慌てた顔見れただけで、栄口君には感謝してる」
「あいつって?」
「あいつは、あいつ。ぜーんぜん素直じゃなくて、普段強気の癖にいざとなるとはっきりしない嫌なオトコ!」
 瑠里は唇を尖らせて、軽く頬を膨らませた。けれど遠くを見るそのまなざしに愛しくてたまらない気持ちが溢れているのが、栄口には分かった。栄口の「あいつ」もよくこんな目をする。
「三橋、さんは……」
 呼び方で詰まってしまえば、瑠里がすかさず「ルリでいいよ。レンレンと一緒じゃ呼びにくいでしょ」と笑いかけてくる。
「ルリちゃんは」
 言い直した瞬間、瑠里が小さく息を飲むから、栄口も言葉の続きを飲み込んでしまう。どうしたのと顔を覗きこむと、瑠里は両手で自分の頬を包み込んで「うわぁ」と声を上げた。指の間から見える頬が、真っ赤に染まっていく。理由を察した栄口は、自分も頬が熱くなっていくのを意識した。
「レンレン以外の男の子から名前で呼ばれるのって、新鮮! しかもルリちゃんって……なんかドキドキしちゃった」
「言われてみたら、オレも……」
「栄口君っ! 栄口君は、名前なんていうの?」
 ドキリと鼓動が跳ねる。答えたらどうなるかは分かっているから躊躇したが、瑠里は「セカンド栄口君の応援、思い出した! 西浦で一人だけ名前だったもんね」と明るい声を上げて、ニッと笑みを深める。ぐいっと身を乗り出してきた瑠里から、離れるように身を引いたが、その距離はすぐにまた詰められてしまう。
「ユート君?」
 ちょこんと首を傾げて、瑠里が甘く囁く。
 途端に栄口はその場で片手で口元を、もう一方の腕で頭を抱えて俯く。
「ヤバイ、やばいってコレ。すっごいはずかしくない?」
「でしょお! ゆうと君、ゆうと君、ユートくーん!」
「ストップ、待って、やめてって、ルリちゃん」
 互いに顔を見合わせて、ぴたりと止まる。それから同時に吹き出して笑った。男とか女とか、お互いに意識せず、肩を叩いたり小突いたりしながら、思いっきり笑い続けた。
「そういえば、さっきから何を言いかけてたの?」笑いすぎて滲んだ涙を指で拭いながら瑠里が聞く。
「ルリちゃんは、そいつが好きなんだねって、それだけなんだけど」
「っ! そんなこと全然っ! って、こういうところがダメなんだよね。うん、あいつがどうっていう前に、自分がもうちょっと素直にならなきゃ! 好き。大好きなの。あいつが好き」瑠里は自分に言い聞かせるように言ってから、ふと栄口を見上げる。「ゆうと君も好きな人、いる?」
「いる、よ。煮え切らない態度に振り回されてる感じだけど……オレ、あいつのことすげー好きなんだ」

 携帯電話の着信音が響く。聞いたことのないメロディなので、瑠里の携帯電話だと分かった。瑠里は確認もせずに「あいつ……馬鹿なんだから」と愛らしく拗ねた声で呟く。ルリのあいつ専用の着信音なのだ。ルリは携帯電話を取り出し、数回キーを押しただけですぐに二つ折りのそれを閉じた。
「メール? 返さなくていいの?」
「いーの! 気になるなら、行くなって言えばいいのに」
 素直にならなきゃ、の舌の根も乾かないうちにそんなことをいう瑠里に、栄口はつい笑ってしまう。
 けれど、気持ちは分かる。恋心って、かなり複雑なものだ。一筋縄ではいかない。
 栄口を見上げて「ひどーい、笑わないでよ」と軽く睨みつけてきた瑠里が、すぐに眼差しを和らげて微笑む。「でも、ゆうと君の笑顔、好きだな」
 言い方が少し「あいつ」と似ていて、栄口はドキリとした。無性に会いたくなってしまう。こんなにカワイイ魅力的な女の子といるのに「あいつ」が恋しくなる。
「そうだ! ゆうと君、一緒に写メ撮ろう!」
「え?」
「ほら、撮るよー」
 言うやいなや、瑠里は携帯電話のカメラを起動させて構える。栄口に密着するほど身を寄せて笑顔をつくるとシャッターを押した。ディスプレーには戸惑い顔でルリを見ている栄口と、カメラ目線のルリが映っていた。
「それ、まさか、メールで送るの?」
「そんなことしないよ! 目の前で反応みなきゃ意味ないもん」
 たくましいなぁ、と小さく聞こえないように呟いたつもりだったが、しっかり聞こえていたのか瑠里は得意げに笑う。しかしその笑みには女の計算高さというよりは、子供が一生懸命に悪戯を仕込んでいる無邪気さが見えて好ましかった。
 一途に恋をしている女の子は、たくましくて賢くて、そしてカワイイ。協力したくなる。こんな子の恋が実らなかったら嘘だ。
「ルリちゃん、もう一枚取ろうよ。オレ、今度はしっかりレンズ見て笑うから」
「乗り気だね、ユート君! よーし、いくよ!」
 こうかな、こうかなと話しながら、瑠里は栄口のシャツにしがみ付き、栄口はルリの腰に腕を回す。すっかり楽しくなって、納得いくまでアングルを吟味した。
 そうして取り直した写真には、とびっきりの笑顔の二人が納まる。ふたりの恋心まで移りこんでいる気がする、最高の笑顔。
 けれど。
「なんだろ? 男と女二人で笑顔で映ってるのに、こんなにぴったりくっついてるのに、この健全さは何? これ、絶対ゆうと君がさわやか過ぎるせいだよ!」
「ルリちゃんが、オレを男として全く意識してないからじゃない? この位置に、男の手が来たら、もうちょっとさぁ……」
「ソレ言うなら、ゆうと君だって! 手つきも全然やらしくないじゃない。うーん、やっぱ共犯者じゃ色気はでないね。これじゃ使ったときの効果も半減かな」
 お互いにまた笑いあって、それから、愚痴とものろけともつかない話を少ししてから、「お互いがんばろう」と激励しあって別れた。

 手を振り合ってから、一分もしないうちに栄口のポケットで携帯電話が震える。取り出して確認すると瑠里からのメールだった。
 メールの内容は。
 読む前に、手から携帯電話が抜き取られる。
 携帯電話を奪っていった手を追いかけて横を見て、栄口はぽかんと口を開けた。言葉は出てこない。
 なんで、会いたいと思っていたこの男が、ここにいるのか。
 携帯電話を見て、派手に舌打ちすると、栄口に読ませるようにメール画面を向けてきた。自分からは何も言わないくせに。ふくれっ面で唇を尖らせた子供っぽい拗ね方、けれど嫉妬を滲ませた雄の眼差しをして、言い訳を聞かせろと無言で責めている。
『今日はありがとう! たのしかった! もしものときはなぐさめてくれるよね。ユート君の胸で泣かせて、この体勢で』
 冗談っぽく絵文字をちりばめたメール本文の下に、二人で撮った写真が添付されている。栄口の胸に半身を預けるようにしている瑠里、その背中にしっかりと回っている栄口の腕。
 健全すぎる二人の笑顔。
 色気がどうなんて、写真の起こす効果としてはあんまり関係ないみたい。瑠里に教えてやろうと栄口は思う。
 けれど、それは目の前の男の機嫌を直してからだ。