※玉城さんにいただいた小説<2>です。<1>からお読みください。


Father(Padrino)

by 玉城



 うーん、と唸り声というにはあまりにもかわいらしい擬音とともに十代目が腕を伸ばした。のけぞった上体を光沢もつややかな革張りの背もたれが、軋みひとつ立てずやすやすと受け止める。
 いつもより遅い時間になってしまった。急いで隣室にお茶の仕度を整える。二間続きの奥まったほうのこの部屋は、いつ頃からか日中ほとんど表に出ることなく執務に追われる十代目の一息つけるプライベート空間と化していた。
 もともと水周りの設備は揃っていたので、今までのものを処分して代わりに最新式の対面型キッチンと、姿勢をだらしなく崩してもいいようなくつろぎ空間にふさわしい座面の低いソファと、装飾品の意味合いが強い使い勝手の悪い小さなものではなく、軽食を広げることも可能な布団のない炬燵みたいなウッドのローテーブルとを運び入れた。
 その他十代目と二人でチョイスした調度品や雑貨で程よく雑多な雰囲気が醸し出されたこの部屋は、規模も様式も置いてある家具もまるきり別物なのに、毎日のように訪れて毎日何かしら騒ぎが起こって、毎日が楽しかった十代目の部屋になぜかひどく似ているものになった。
 その部屋で十代目のために午後のお茶を淹れるのが日課となって早二年。
 最初のうちは失敗続きで、最終的に十代目が淹れてくれたお茶を小さくなってすするという体たらくだったが、そんな情けない日々はとっくの昔に脱した。
 今ではお茶を淹れる以外にも、うんと簡単なスポンジケーキやスコーンくらいなら焼けるまでになった。おどろおどろしいものが一切入っていない焼き菓子の甘さはこんなにも人を幸せにしてくれるのかと、その真実と幼少期の悪夢とがない交ぜになり、更に十代目の「すごーい!美味しいよとっても!」とのお褒めの言葉と全開の笑顔に思わず涙腺が壊れかけたのはまだ記憶に新しい。
 ほどなくしてお湯が沸き、まずは丁寧に茶器を温める。急いでいても手順を短略すれば、茶葉の持つ繊細な風味を損なってしまう。満遍なく温度が行き渡ったところでいったんお湯を捨てる。新たに薬缶に沸かしたお湯を、スプーン三杯分の茶葉を入れた耐熱ガラス製のポットに静かに注ぎ入れた。
「いい匂いだねえ」
 ファイルケースを抱えた十代目が手元を覗き込んでにこっと笑った。嬉しさにだらしなく緩む顔を必死で引き締める。実は新しく仕入れた茶葉を淹れてみたのだ。十代目はその違いにちゃんと気付いてくれた。
「ディーノさんからのお土産まだ開けてなかったよね。お茶請けそれでいい?」
 ファイルをソファにぽんと置いて、いそいそとガラスの器に菓子を盛り付けローテーブルに運んでいく。いつもだったら、これくらい時間がずれ込んだらお茶だけにしている筈なのに。きっとこの人のことだから、跳ね馬の寄越した菓子が日持ちのしないものだといけないと思って開封したのだろう。まったく良く気がつく優しい人だ。
 その後ろ姿をちょっと眉を寄せて見送る。主が人望厚く誰の敬愛も勝ち得るのは誇らしいことだが、その当の主に誰かひとりに対してこんな風にささやかな喜びを表されると、それを見ている人間はやきもきして無闇に体力を消耗するのだ。
 まあ実際、キャバッローネ直々の差し入れなら、万が一の可能性は考えなくてもいいだろう。十代目にとっても安心できる要点に違いない。そこだけは感謝してやってもいい。
「いよいよ明日だね」
 つらつらとお茶を蒸らしつつ些かせせこましい考えに没頭していると、不意打ちのように相槌を求められた。
「…そうっすね」
 熱い紅茶を先にミルクを入れておいたカップに注ぐ。そこにひとさじの砂糖を加えてテーブルに運ぶ。様々なコーヒーの飲み方がある国であえて紅茶なのは、一日が暮れようとするこの時間に十代目が甘味の強いミルクティーを飲むのが好きだからだ。この人が生まれ故郷を旅立ってから、捨てずに続けている習慣だった。
 自分の分のストレートティーを片手に隣に座る。数え切れない崇拝者を持つこの人から、隣席の権利を許された奴は他にいない。
 ただひとり、明日海を越えてやってくるかつての同級生以外は。
 奴には、同じ許しが与えられていた。最も、「友達なんだから当たり前だろ?」と十代目は不思議そうに言っていたが。
「着くの、明日の何時だったっけ?」
 薄紅色の練りきりを口に運びながら(外装を裏切ってなんと土産は京和菓子だった)、明日の天気でも聞くような気軽さで十代目が尋ねる。
「こっちの時間で午前十時ですね」
 頭の中でスケジュールを確認する。
「あー、会合とブッキングしますね」
「ああ、やっぱり?じゃあ、空港にはリボーンに迎えに行ってもらうよ」
 十代目手ずから盛り付けた菓子を有難くいただく。でも釘を刺すのは忘れなかった。
「まさかとは思いますけど、スケジュールに都合ついたらご自分で迎えにあがられるつもりだったんですか?」
「あはは、そこまで無謀じゃないよ。早いとこ顔が見たいのは山々だけどさ」
 そうですかそれならいいんですと、何気なさを装ってカップに口をつける。あくまで普通に振舞う相手から目を逸らした。
 十代目の、これは紛れもなく本音だろう。でもそれと真逆の心も確かに持っていることを知っている。
 親友にそばにいて支えてほしい気持ちとは裏腹に、こんな世界とは無縁に生きて、あの国を離れずに暮らしてほしいと、太陽の真下が似合う男に明けない夜を味わわせたくないと、祈りにも似た気持ちを抱えていることを知っている。
 あの男が海の果てのあの国でつつがなく暮らしていると思えばこそ、思い出はいつまでも色褪せることなく美しいままでいてくれる。
 奴がこの世界に関わらなければ、この人の中の故郷が守られる。十代目にとって山本は、二度と戻らない懐かしい日々そのものだからだ。
 多分、一抹の寂しさは拭えなかっただろう。それと引き換えに、十代目の中で二年間この均衡は保たれていた。でもそれも明日で終わる。
「あ、…もう今日になっちゃった…」
 カップを両手で包んで十代目が呟く。何のことかとまばたきして顔をあげた途端、枯れた調子の鐘の音が部屋に響く。隣に座る十代目の視線の先を辿ると、アンティークの壁掛け時計が午後五時を差していた。
「…ああ、日本は真夜中過ぎっすね、この時間じゃ」
「うん」
 渡されたティーカップを手に席を立つ。ふうっとため息をついた十代目がファイルを引き寄せて中身を読み始めた。この言葉の選び方は…ランキング小僧だな。
「十代目、お代わりは?」
 時間的にどうかとも思ったが、答えは「頼むよ」だった。カップの茶渋をきれいに落として、お湯を沸かすところからもう一度始める。この、一見手間がかかるだけに思える待ち時間を、リボーンさんは「人生に必要な時間」と評していた。
 だとしたらこの二年間は、費やさなくてはならない「人生に必要な時間」だったに違いない。
 一足先に日付を越えて、あいつはひとり『今日のこの日』を迎えている。
 普段は規則正しい生活を送っている男が、何もかも打ち捨てた人間特有の空気をまとって最後の夜を過ごしている様が、脳裏に浮かんで消えない。
 ここの扉を叩く奴は皆その身ひとつが財産で、それさえも目の前のこの人に差し出して悔いはない連中ばかりだ。
 その身も、命も、心も、魂さえ預けきって、奇妙に空っぽになった体で預かってくれる存在を守る。
 パラリと書類をめくって、何が可笑しいのか時折くすくす笑う上質なシャツに包まれた背中には、そんな諸々の見えないものが常にのしかかっている。
 とてつもなく重いものが。
 それを、吹けば飛ぶような軽いものにあっけなく変えてしまう世界で。
 誰にも変わりは出来ないから、たったひとりで背負い続ける。
 そしてあいつも、この人に預けて背負わせる。
 唐突に突くような痛みが襲ってきた。一度は友と呼んだ男の、命を、すべてをこれから預かるこの人を、初めて痛ましく思った。
 今まで一切感じたことなどなかったのに、今さらになってこの道を選んだことがこの人にとって最良の道だったのかと、後悔に似た気持ちが湧き上がってくる。
 熱湯を高い位置からティーポットに注ぎ入れ、お湯を金紅色に染めながら茶葉がジャンピングするのを黙って見守る。焦点の外れた視界のはじには、十代目の小さな背中。
 あの国で初めて言葉を交わしたその日に、この背中に見えないものを背負わせた。
 ありふれた日常への扉の鍵がこの人の手から取り上げられたのは、地面に頭を擦りつけて一生の忠誠を声高に宣言したあの日かもしれない。
 あの時も今も正しい行動だったと確信しているが、往々にして正しさと幸福はぴったりと重なりあったりしない。
 ましてや、大切すぎて、その心がどこにあるのか、何を望んでいるのか逆にいつも分からなくなってしまう、そんな相手にとっての幸福がどの道に用意されているのか、見つけ出せる奴がいるのだろうか。
 出来ることは、辛かったり悲しかったりしてその心が背負ったものの重さに耐えられなくなった時に、せめてそばに居てその体を支え、決してどこへも行かないと誓いの言葉を述べるくらいだ。
 背負ったものを肩代わりすることはどうやっても出来ないけれど、背負う体を抱きしめることは出来る。それくらいしか、出来ない。
 空っぽになって生まれた隙間はすべて、この人への思いで埋め尽くされている。預けた命を今さら返されても、もうこの体のどこにも受け入れる場所はない。
 抱きしめて、慰めて、何度も忠誠を誓うのは、突き詰めればこの人のためではなく、我が身かわいさからする行動だ。この背中から一瞬でも引き離されたら、きっと生きていけない。たとえこの人がどんなに苦しんだとしても、背負い続けていてくれればそれで我が身は幸福なのだ。
 抱きしめる振りですがりつく。離されまいとこの小さな背を追いかける。見捨てないでと、子供のように。
「山本の命かあ、…重いだろうなあ」
 びくっと体が揺れる。このタイミングでなんて台詞だろう。身勝手に膨れ上がる不安を見透かされた気がして、ネガティブサイドに陥っていた思考が一気に逆流する。止める理性の声も間に合わず、決して聞くまいと心に秘めていた疑問を十代目にぶつけていた。
「あ、あの、十代目。そういうのってやっぱり、…重い、ですか?」
 驚いたように十代目がこっちを振り向く。独り言に質問で返されるなんて思わなかったと、まじまじと見つめてくるその顔を見た途端、かあっと頭に血がのぼった。一生聞くつもりはなかったのに、勝手にうろたえて一番聞かせたくない相手の耳に入れてしまった。それもどれほど重大な意味を含んでいるか、とても伝わったとは思えない幼稚なたどたどしい物言いで。
 その重荷の元凶が、なにを臆面もなくそれを尋ねるのか。
 ティーポットを持つ手が、音がしそうなほど震えている。十代目の真っ直ぐな視線に耐え切れなくて伏せた顔が、真っ赤になっているのが耳たぶの熱さで分かる。もしこれで、本当は重いのだと言われたら。どんなに軽い調子で告げられたとしてもそれが十代目の本心だと、その響きで分かってしまったら。
「重いよ、そりゃあ。本当に重い」
 予想どおり、軽い口調で聞かされる重い答え。顔を伏せたままぎゅっと目を閉じた。
「時々、全部を放り出して、逃げ出したくなったりもするよ」
 苦笑いの声音。耳もふさぎたい。でも体はセメントで固められたように、ポットを持ち上げた姿勢のまま動かなかった。
 こんなやり取りをする場面を、想像したことがないわけじゃない。
 何度思い描いても、結局ひとつの結末に行き着く。
 でもそれだけは嫌だ。絶対に、何があっても絶対に、絶対に嫌だ。
「あのね、獄寺君」
 呼びかける声に恐る恐る顔を上げた。眉を八の字にした困ったような顔で「うわすごい顔」と十代目が笑う。そんなにひどい顔をしているのだろうか。でも今は、それを取り繕う気力は逆さに振っても出てこない。
 そんな情けない右腕を前に、少し真面目な表情を作ったドン.ボンゴレ、世界にたったひとりの人が静かに語りかける。
「確かに背負っているのは、重いよね」
 そう言って、愁眉をほどいてふわりと笑う。
「でも、抱きしめてみるとそうでもないって気付いたよ」
 それだけは伝えとかなきゃって思ってさ。
 だから安心してね。
 花がほころぶような笑顔に思わず状況も忘れて見蕩れてしまい、十代目が正面に向き直って再び報告書を読み始めても、まだしばらく動けずに、ボーっと木偶の坊のように突っ立っていた。紙をめくる音にはっと我に返って手元に注意を向けると、手の中でいつの間にか今にも中身が零れそうにティーポットが傾いている。
 慌てて水平に持ち直し、内心のどぎまぎを隠してカップにお茶を注ぎわけながらそっと十代目を窺い見る。一日の大半の仕事が一段楽して、仲間内のささやかな報告書に苦笑がもれるたび揺れる猫背気味の小さな薄い背中が、目で見えているよりずっとずっと広く大きいと今日初めて知った。
 その背はのしかかるものを背負い続け、その腕は命を預ける子供達を抱きしめ続けるに違いない。
 足先から震えがのぼってきた。嬉しい。身震いするほど、幸福だ。
 この人にすべてを預けて、良かった。
 預かってくれる、優しく強い人と出会えて良かったと、これまで何度も思ったことを今また心の底から噛み締めて、いつもどおり二杯目を砂糖なしで作る。
「どうぞ、十代目」
 恭しく差し出したカップを受け取る際の、「ありがとう」というその声までがたまらなく愛おしい。
 こんな素晴らしい人を支えるために、自分は生まれてきた。
「あれ?獄寺君もミルク入れたの?いつもはストレートしか飲まないのに」
 小首をかしげる十代目に、今度こそ満面の、一点の曇りもない晴れやかな顔で答える。
「はい。十代目と同じものを飲んでみようと思って」
「…真似しても良いことないと思うけど」
 納得出来ないと言わんばかりの十代目も、惚れ直すには充分すぎるほど渋くて格好良い。
 そんな父親の背中を見て、子供は育つものなのだ。


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始めまして玉城という者です。
普段は芸能畑で拙いコブクロ小説を作成しています。
以前たからさんにキュートなコブクロ小説を書いていただきました。
そのお礼として今回リボーン小説を進呈しましたが、たからさんのご好意によりホームページに載せていただけることになりました。
なにぶんコミックスに収録された分のみの知識で書いているため、本誌で発表済みの設定と食い違うところもあるかもしれません。
それ以前に、電波まっしぐらなマイ設定振りがどうにも痛いところですが・・・。
短い上に筆力が至らない点も多々ある話ですが、読んでくださった方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

2005.10.02  玉城拝




■こんなステキな小説をいただいてしまいました! 二本立て! 会うたびに萌えネタを振ってくれる玉城さん。リボーンキャラの魅力を最大限に引き出した素晴らしい小説をありがとうございます。そしてウェブ掲載にも快諾ありがとうございました!……と、冷静ぶった(?)コメント返しをしていますが、狂喜乱舞して興奮して取り乱しまくった感想をガンガン送りつけてしまったたからです。読後の余韻をぶち壊してしまわないように、ここでは控えめに抑えておきます。(笑)