古事記や日本書紀は、稲作民の歴史を綴っている。
中国の史書は古事記や日本書紀とは異なり、海洋民族だった倭人の歴史を示している。
両者を無条件に合体させて日本史を論じる事は、学術的にあり得ない事だが、無前提にそれが行われている現実がある。
人やイネの遺伝子分布は中国の史書と整合するが、史書がすべて正しいわけではなく、正しい歴史を示す史書を選択する必要がある。
飛鳥時代まで倭人が日本列島を差配していた事実を認めれば、日本史を整合的に解釈し、古事記や日本書紀が生まれた背景を理解する事ができる。
(序論)歴史とは何か (1)魏志倭人伝 漢民族が最も理性的だった時代に、倭人の文化と歴史を学術的に示した史書。 (2)漢書・後漢書 漢書は史記の綻びを繕っている。後漢書は魏志の認識を否定しているが、主張に論理性がない。 (3)竹書紀年と史記 竹書紀年は事績を論理的に編纂した史書だが、史記は漢王朝を正統化する創作物語を集めた捏造史。 (4)山海経 諸地域の伝承を集めた書籍。日本の海洋民族に関する記述がある。 (5)論衡 後漢代の思想書。周代(BC11世紀)の倭人に関する記述がある。 (6)宝貝と玉文化 北陸部族は玉器の製作技術を大陸に持込み、倭人は夏・殷・周王朝に宝貝を貢納した。 (7)宋書・好太王碑 古墳寒冷期に華北農業が壊滅し、人口が希薄になった華北に異民族が侵入し、華北王朝が滅んで南朝が生まれた。倭人は南下移民を船で輸送して財力を蓄え、大型古墳を作り、半島に出兵した。 (8)隋書 (7世紀初頭) 唐の政治的な都合で編纂され、意図的に誤った記述がある。 (9)旧唐書・新唐書 (7~8世紀) 唐代に倭人政権が崩壊し、大和朝廷が成立した。両史書が異なる視点でその状況を示している。 (10)縄文時代 漁労・栽培・狩猟民族の共生を実現し、民族間の交換経済を発展させ、海洋交易者になった。 (11)弥生時代 海洋民族と大陸の稲作民が交流し、巨大文化圏を形成したが、秦の暴力的な征服によって交易者が大陸から追い出され、漢王朝がその状態を固定化した。倭人は大陸の地域勢力との交易を続けたが、漢王朝には朝貢しなかった。 (12)古墳時代 古墳寒冷期に華北経済が崩壊し、交易は不振になったが、倭は移民事業を推進して財力を蓄え、各地に大型古墳を作り、朝鮮半島に出兵した。しかし移民事業が終了すると、日本列島は不況になった。 (13)飛鳥時代 日本列島が深刻な不況に陥っても、海洋民族の政権は海外交易に拘泥し続け、古墳時代に成長した内需産業者と対立した。倭国王家が物部と提携して革命を起こし、海洋民族の政権を倒して中央集権制を樹立したが、政変が起こって物部も排除され、農民政権としての大和政権が生まれた。 (14)奈良時代 大和政権は唐の様な中央集権制を目指したが、王朝の倫理が確立できずに秩序が乱れた。藤原北家が海洋民族の倫理を継承していた物部と提携し、商工業を重視する華美な平安王朝を樹立した。 (15)古事記・日本書紀が書かれた背景 革命政権は体制を変革する為に、倭人時代の伝承を古事記の創作説話に置き換え、倭人時代はなかった事にしたが、倭国王家の天皇が倭国王家の伝承を書き換えたから、それが分かる細工を施して古事記を権威付けた。民衆も苦しかった倭人時代を憎み、古事記を受け入れたので、神社は現在も古事記が創作した神を祭っている。大和政権が古事記を改訂したので、原古事記を復元する必要がある。歴史家は日本書紀を奈良時代に生まれた日本紀であると詐称するが、江戸時代に編纂された偽書に過ぎない。 (16)法則的に解釈出来る事象と難解な推理 (A)~(E) (A)
後氷期の海面上昇により、栽培民と漁民の遺跡が消滅した (B)
周期的な気候変動 (C)
日本人の遺伝子分布とその由来 (E)
邪馬台国の所在地 (17)日本の古代史の流れ ➪ 未記入 日本は海に閉ざされた島国なので、歴史が必然的な流れの中で展開した。この項では難解な推理や証明は行わず、妥当性が高い流れとして日本史を説明する。 (α)史論(歴史を考える方法論)=>改訂中 史学が方法論とする「科学的手順」は、「人の活動」を扱う史学に馴染まない。マーケティング手順は人の活動を法則化するから、史学と相性が良い。 (β)改版履歴 |
真実の歴史は通説とは全く異なるので、その復元に多くの検証と根拠が必要になり、道半ばです。
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