・・・我が家のお正月・・・

8 January, 2001



21世紀になって、世の中にはIT革命だの、新機軸だのという言葉が飛び交い、はっきりいって何が変わるのかわからないような政策や計画があちこちから聞こえてくる。21世紀だから何か新しいことをしないといけないのか、また何か夢のようなことが始まるのか、と思うと、大違いで、年頭から不穏な世の中だ。

いっそ、宇宙旅行とか火星に移民とか、瞬間転送なんて、荒唐無稽でありながらもしやと思えるようなことを夢描いているほうが幸せかな、と思う(^^;) 実際そうやって人間は文明を発達させてきたんだもの・・・

こんな時代に何をすべきかは個人レベルで考えてもよくわからない。
さしずめ、昔から受け継がれてきた伝統や習慣は、今の科学で解明すると理にかなったものが多いというから、そういうものを見なおして、ある意味、「時代の進化に汚染された世の中」を清浄化するのもいいのではないかと思う。

HappyNewYear! HappyNewYear!HappyNewYear!HappyNewYear!HappyNewYear!

この時期にあった話題としてお正月のことを考えてみよう。

わが家のルーツは関西。母の実家は元をたどれば岡山は津山の出だそうだ。また父の方は、どこかの本陣(江戸時代の宿駅で大名などが宿泊した公認の宿舎)だったという。母の母方はその昔は出雲大社の神主の家だったそうだ。
そんな家に生まれた母が子供のころに過ごしたお正月のことを、懐かしそうに話してくれた。

HappyNewCentury! HappyNewCentury!HappyNewCentury!HappyNewCentury!

・・・お正月の思い出・・・

祖父は町工場を経営していた。住み込み見習のぼんさんが数人働いていた。「ぼんさん」といっても「坊さん」でない。年期奉公をする若い使用人をそう呼んでいた。毎年、大晦の掃除がすんだあと、みんなそろって夕食を食べ、年越しそばを食べる。そして、祖父が、新調した肌着から紺がすりの上下(着物と羽織)まで一式をぼんさんに渡す。

元日の朝、新調の着物を着たぼんさんを交えて家族がお雑煮を祝う。それがすむとぼんさんたちは、それぞれの実家に帰っていく。そして、家族だけのお正月が始まる。

元日の朝は、尋常小学校の新年の式典に出席する。当時は、母たち姉妹は海老茶の袴と黒の紋付を着ていったそうだ。

二日になると、内風呂のない時代のことで、銭湯へ初風呂に行く。その後、お正月の晴れ着を着せてもらい、羽根突き歌留多をして遊んだり、お宮さんにお参りして1日遊ぶ。夜は大人も子供も一緒に、歌留多やトランプ、すごろくなどをして遊んだ、という。

三日になると、昨日とは違う晴れ着を着て、昨日の帯び付きに代わって、上から羽織を着せてもらう。そして、また同じお正月の遊びに興じた。 夕方になると、せっかくの晴れ着を脱がされて、銘仙の上下に着替える。来年のお正月まで綺麗な晴れ着が着れないと思い、子供心に悲しくて泣けてきたそうだ。

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・・・お祝いの仕方・・・

母の実家は大阪に住んでいたとはいえ、元は岡山の津山出身だったので、お雑煮や、御節の習慣などには、その地方の影響が多分に残っているらしい。

元日の朝起きると、雨戸や窓を開けずに、まず干し柿と勝栗を添えた昆布茶を用意する。家長を頭に一家が車座に座る。家長から順番に、「おめでとう」と挨拶をする。一巡りすると、お茶をいただいて挨拶が終わる。それからお雑煮を食べる。お雑煮を祝ってから、窓を開ける。どうしてこんな事をするのか、今になってはわからないが、その昔は初日が昇る前にお雑煮を祝っていたのかもしれない。

お雑煮には、丸餅をゆがいて使う。昆布と鰹で取っただしで、味噌汁を作っておく。塩ブリをさっとゆがいておく。水菜はゆがいておく。お椀にゆがいたお餅をいれ、ブリと水菜を載せ、上から味噌汁をかける。その上に青海苔と花鰹を乗せていただく。あっさりしていて、たくさん食べられる。育ち盛りのぼんさんたちの中には、お餅を30個あまり食べた記録があるという。

昔は家の大人や、親戚だけではなくて、近所の叔父さんやおばさんなどからも、お年玉をもらえたのでお正月を心待ちにしていたそうだ。娯楽の少ない時代だし、子供がお金をもらう機会はほとんどなかったのだろう。「もういくつ寝るとお正月・・・♪・・・」そのままの気持ちだったろう。

また、玄関に名刺入れを置き、ご近所の家を廻って挨拶代わりに名刺を入れたのだそうだ。祖父も山高帽をかぶり、盛装して名刺を配りに行ったという。途中で同じようにご近所廻りをしている人に会うと、そこで挨拶が始まるから、きちんと盛装していくのだ。

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・・・お雑煮など・・・

実家のお雑煮は、母の時代から少しずつ変わってきている。そして娘のわたしの時代になると、家族の嗜好も絡んでますます変化してきた。
主人の実家には、決まったお雑煮がないので、そのときどきで好きなように作っていた。わたしは母のをアレンジしながら今に至っている。

魚の入ったお雑煮を好まない家族のために、鶏肉のスープを使う。ゆがいたお餅の上に、小松菜やほうれん草をゆがいたものを乗せ、かまぼこを魚代わりにして鶏と一緒に乗せる。そして鶏スープ仕立ての味噌汁をかけて、青海苔と花鰹を乗せていただく。

水菜はこちらでは手に入らないので、仕方なく、小松菜やほうれん草を代用している。時々「京菜」といって売っているのは、ぜんぜん違うものだ。水菜より丈は短く、茎や葉はごつくて硬そう。

水菜


今年は暮れに関西の友人が箱いっぱいの水菜を送ってくれたので、久しぶりに懐かしいお雑煮が食べられた。

お雑煮のほかには、はりはり鍋にして食べる。これは元来、鯨の薄切りと一緒に炊き食いするが、鯨が手に入らないときは、豚肉を代用しても水菜の葉ざわりが生きておいしい。

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冬になったら、金時人参が活躍する。金時人参とは綺麗な赤い色の、姿の良い人参である。西洋人参とは一味違うし、色が綺麗だから、お料理が映える。こちらではお正月前後のほん一時期しか売っていないのが残念だ。


金時人参



おせち料理のお煮しめに入れるこんにゃくは、色付きこんにゃくが定番だった。赤、白、緑の三色の棒状こんにゃくを一センチぐらいの厚さに切って入れる。炊きしめると色が少し抜けてしまうけれど、色によって味が違う。赤は唐辛子が入り少しぴりりとする。緑のは青海苔が入っている。白はプレーン。金時人参の赤と、こんにゃくの色がお煮しめを引き締めている。このこんにゃくは周囲を波型に切ってあるので形もきれい。

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母はお正月の支度をするのに勝栗が見つからないとこぼしていた。かちかちに干した栗で、名前からおめでたいのでお正月の定番だった。黒豆を炊くときに一緒に入れる。

また、お鏡餅を飾るときにも使われた。
三宝に半紙を敷いて、裏白を白い裏を上にして乗せ、鏡餅を乗せ、 幅の広いりっぱな祝い昆布(喜ぶ)をかける。串付きの干し柿(みんなにこにこ仲睦まじく)を乗せて、一番上に葉付きのみかんを乗せる。三宝のあいたところにかち栗をばら撒く。 それぞれのものに意味があるという。

鏡餅のほかに、仏壇や台所、トイレや仕事場など、大事なところに小ぶりのお備え餅を飾る。だいたい関東は切り餅なので、丸餅を探すのが大変。工場生産の丸餅は固くて使いにくい。菓子屋のは上等だけれど高い。

昔は家で餅つきをするか、米屋に頼んでおいて、大晦日におおきな木箱二つにいっぱいの餅が届いた。鏡餅と小ぶりのお飾り餅、お雑煮にする丸餅、それに伸し餅。伸し餅は硬くならないうちに、父が包丁で切り分けて切り餅や、おかきにする。おかき用は薄切りにし乾燥させておいて、火鉢で焼いて食べるか、油で揚げてもらう。
そのほかに、棒状の伸し餅に、豆や砂糖、ゴマが入ったものもあった。これも、柔らかいうちに切り分けて焼いて食べたりおかきにする。

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叩き牛蒡用の細くて短い牛蒡もこちらでは見かけないようだ。仕方なく太いのを割って使う。細いのを丸いままのほうがおいしいような気がする。

こちらにきて初めての年、年末の買い物に行ったスーパーで変わったものを見た。まるで「あられちゃんのXXX」のミニチュア模型のようなものが売られている。色は真っ赤で、せいぜい2,3センチのもの。千代呂儀と書いてあったが、辞書を見ると「長呂儀」(ちょろぎ)となっている。最初はなにかの飾り物かと思ったが、食べられるのだそうだ。どうしても、あの毒々しい赤が気になって食べる気はしないが・・・

Matsunouchi!Matsunouchi!Matsunouchi!Matsunouchi!Matsunouchi!

最後に、松の内そのものが違う。
15日の朝までが松の内なので、それまで祝い箸で食べる。
うちでは、どこの習慣かは知らないが、祝い箸で食べるときは「いただきます」のかわりに「お祝いやす」という。

松飾も下ろしてどんど焼きの時に持っていって焼けば、供養になる。そのつもりで、15日まで飾っていたら、ご近所の玄関はとうの昔に普段着に戻っている。そして、どんど焼きが終わってしまっているのにはびっくりした。

広辞苑にまで、松の内は最近は7日までと書いてある。
こういうものまでスピードの時代になったのかと、残念だ。
年末年始もなく店は開いているし、初詣もご祈祷もまるで心太のように流れ作業だ。とうとう今年はネットしながら年越しをしてしまったから偉そうにはいえないが、いつ2001年になったのやら、21世紀になったのやら・・・

こうして、どんどん時代とともに世の中は変貌していく・・・

今年は息子たちは友人と出かけてしまい、年越しそばも食べない子もいた。2日からは仕事に出る子もいて、人がバタバタと出入りしているうちに三が日が過ぎてしまい、お正月という気分がしなかった。
年頭の挨拶もきちんと交わさず、いつのまにか普段の生活に戻っている。こんなことでは日本の伝統的なお正月も次第になくなりそうだ。

AngelBaby


お正月のテーブルを飾った清楚な蘭:
Angel Baby "Green Ai"「グリーン 愛」

HappyNewCentury!HappyNewCentury!HappyNewCentury!

か





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