[深見神社] :ふかみ。


深見 住所:大和市深見台4丁目。
祭神:武甕槌神、建御名方神。
本殿:神明平入、南向
千木:外削(5)。 神紋:巴、菊、。
場所:小田急、相模鉄道大和駅東北1km、pk有。

由緒,伝承:「式内社」
丘陵東南端に位置し東に境川が南北に流れ低地は坊ノ窪と呼ばれる。住宅に囲まれているが境内地は杜の雰囲気を残す。
宮司が五色の布を揚げている最中に出会う、布はポール先端の榊の為にある、雨天に仕舞い、天気に飾るという。
ご祭神は今は鹿島大神だが、拝殿西に位置する「おくら稲荷(宇賀之御魂・保食)」が本来だった様子。昭和の北の寺からの類焼などで古い資料はすべて焼失、今社殿は南向きだが本来は稲荷のある東向きだったらしい。東の鳥居階段下が旧街道の岐という。
江戸期に地頭旗本坂本小佐衛門、重安寺社奉行坂本内記重治社殿造営社領寄進あり、この時から祭神が武甕槌になる。明治12年郷社、明治9年佛導寺失火延焼、明治42年村内諏訪社を合祀相殿(建御名方)となる。
航空(厚木神社)は戦争直後基地より移設、終戦反抗計画した某など祀る、航空関係者の崇敬篤い。
例祭9/15。 境内社:稲荷神社、航空神社。 境外社:八雲神社、八坂神社、諏訪社。
神奈川名木100選、ハルニレ樹高30m目通4m推定樹齢400年。
(宮司談、境内掲示)

稲荷深見 東向きの鳥居、深見
『式内社の研究』抜粋。
「深見神社、武甕槌命、称鹿島社、例祭11/15、村社、大和村大字深見
旧社地は西南に少し離れたオクラ稲荷という小社を祭る所に東面していた。明治6年焼失、しばらく仮宮で昭和16年現社地に再建した。
『和名抄』深見郷の中心地、『地理志料』では東は境川、西は目久尻川、北は今の下鶴間から上草薙、南は渋谷町福田。東西7km、南北7kmの広範囲。地名辞書では境川東の瀬谷村も一部らしい。  特に深いところから水が湧いていたのだろう。
平安後期から渋谷庄司の領有、天慶の乱で将門を討った平良文の3代目・基家は今の川崎市に住し渋谷庄を支配、その孫は渋谷庄に住み子孫は各地に分住し高座郡の中部一体を占有した。
頼朝挙兵で大庭景親に組し、後頼朝に服従、建保1の乱に和田義盛に党し子の高重以下一族戦死所領没収。渋谷氏の館跡は長後の天満宮付近という。
室町には関東管領上杉氏の領地となり、後、小田原北条氏の領地、江戸には主に天領。
オクラ稲荷は、クラオカミで水神。武甕槌となったのは江戸中期からであるらしい。境内1243坪。松スギケヤキの老木、秋ニレが大和市の天然記念物。本殿2間2面、銅葺、千木、
一説に式社は、タジの翁の創祀という、「多遅花たちひのはな」の神格化だろう、書紀反正18段に「タチヒの花とは今の虎杖(いたどり)のことで・・」。」