[平塚八幡宮]  :ひらつか、


住所:平塚市宮前 
祭神:八幡大神(応神天皇)。
神功皇后。武内宿禰。 
本殿:南向。 千木:外削
神紋:鶴丸

場所:JR平塚駅北500m。pk有。

由緒,伝承:
昔鶴峯山八幡宮といわれ仁徳天皇の68年この地方に大地震があり、人民の苦難のさまを聞召した天皇が詔して応神天皇をお祀りしたのが創祀という。
天平勝宝、顕宗天皇が少年魚贄の膳部を定めその料として年々稲秀・麦・大豆を多量に献げられ、仁賢天皇は4千町歩の土地。
推古の時この地方にまた大地震があり、天皇は「鎮地大神」のご晨筆と新たに宮殿を造営。天武はこの地の税の2/3を寄進。文武は「天晴彦」の宝剣を奉納。
明治6年、宮の達示により社名を八幡神社とし、昭和53年8月平塚八幡宮と社名が戻る。
(由緒書)

写真 写真

 <左:国道1号線に面する華表> ・ <右:摂社>

摂社右写真: 左:神名社(天照大御神・事代主神・徳川家康公)
中央:若宮社(仁徳天皇)。右:諏訪社(建御名方神)。

*平塚の地名の由来:新編相模国風土記では、桓武孫高見王の子政子が一族と東国へ下向の途中病死しここに埋め塚はその後平らになり。いつしか平塚と呼ぶようになった。