● 鳥居の部分名称は、上から「笠木」・左右の反りを「反増」・笠木の下の支えを「島木」・柱の上で島木を支える「台輪」・額をつける場所は「額束」・柱を貫く「貫」・貫を止める「楔」・柱の傾きを「ころび」・柱の下に「台石」、と柱を巻くように「根巻(藁座)」、形が丸い台石を「亀腹(饅頭)」。



 鳥居の鳥はどうもアマテラスを呼んだニワトリのようです。
 神道では、鳥居の2本の柱は、かむろぎ神漏岐、かむろみ神漏美、の神性(あえていえば陰陽)その中央に立つ我は「天御中主神、あめのみなかぬしのかみ」、の一霊を受けた小天御中主神こあめのみなかぬしのかみ、で、左右の神漏岐、神漏美の産霊の神力をまとめる働きを意味する。とあります。とすると「貫」は天御中主神(宇宙根源の神)ということになる。

 神道では右と左にも意味が有ります。右は、水極ミギ、陰ツキ、であり。左は、火足りヒタリ、陽ヒ、であり。この火と水が合わさる(柏手)と調和しカミになります。このように禊(手水舎)から始まる神社内での一連の動作はすべて自然との融合調和の為の動作として意味付けられています。

 明治以降は全国的に動作が統一されたのですが、それ以前の動作が残っていると、かなり面白いというか何故その動作か、が分かるのではないかと思います。
 これは推測ですが、国家神道以前のカミに上下関係が無かった精霊のあふれる時代には、あまたの精霊と同化するために各精霊の代表的な動作(狩りで鹿に化ける、演技、踊)をしたのではないか。部族、部落の精霊が絞られてくると、その他は少しずつ代替品になっていって、国家神道になるとその他はさらに簡素化され象徴的なモノになってきた。
 鳥居の数詞は1基、2基で他に基と数えるのは塔婆と灯籠、香炉、厨子、塔婆と一緒なのも面白いですね。神社は1座、1社。
 鳥居の笠木、なんとなく船の舳先の反りに重なったりするのですが、海神を祭る社がすくなくて大山祗と海神が親戚とか親子だとすると笠木ありが一つのグループで、あま=海=天だと、笠木無=有で起源は一緒だろうから、笠木の有無は他に大きな意味があるような気がする。
 額とか額束の有無もあるですね、神明と鹿島には額はなくて他はある。額束には“あまり頻繁には出てこないで”の意味が込められているような気がしている。
 疫病と反乱を押えるため造った大和の檜原は三つ鳥居だし大神はまるで砦みたいな鳥居?。額束と笠木はセットでその意味なのかそれぞれに意味があるのか。。

 金沢郊外のチカモリ遺跡のウッドサークル(BC4000位)の輪から離れて立つ2本の柱に横木があったとして、鳥居につながるものではないか。と言うのもあった。

 鳥居にも意味付けというか多種多様な論がある、文字も鳥居・取異などあり、恐らくそれぞれに正解なのだろう。個人的には2つの流れが大きいのだろうと考えている。
1つは、区別される場所への出入口としての「標」を分り易く簡単丈夫に作るには今の鳥居の形が必然だろう。1つは、「くぐる」という姿勢を意識した鳥居が有る、これは鳥居の中央左右柱にしめ縄を張り「かかがまないと」通れない飾りつけとか、鳥居そのものが小さいものがある。これはミニチュアでは無く本来の大きさだろうと思う。
鳥居は門としての鳥居と、ミニチュアの鳥居の2つが大きなの流れだろう。



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