[ 宗像神社 ]吉高(よしたか) 、むなかた、

宗像鎌苅 住所:千葉県印旛郡印旛村吉高(字宮作)
祭神:
 田心姫命たごりー)、
 湍津姫命たぎつー)、
 市杵島姫命市、。
本殿:流、南向。 千木: 。 神紋:巴。
 :pk可能。

由緒、伝承:
 天暦2年(945)6月14日に、筑前国宗像から宗像三女神を勧請し社殿を創建と伝わる。
以来宗像大明神と称せられ治水・水産の神として尊敬された、神官香取氏は代々その職を継ぎ、弘化2年宗像神社と改称された、明治42年会計適用規定の指定、大正2年神饌幣帛貢進指定の神社となった。
 旧指定村社、
例祭:10/15、「奉射祭」1/7、祗園祭7/14。

鎌苅本殿  社殿から鳥居
 丘陵東北舌端に鎮座。東は細長い谷が切り込んでいる。境内は広く千坪以上と思われる。
印旛村の宗像10社では「山田」の景行の時、「平賀」の応神の時、に次いで創建は古い。年代のはっきりしている伝承では、白井市清戸の貞観に次いでの古さになる。
すぐ西に吉高城跡、北西の台地下に円筒埴輪出土の吉高山王古墳(前方後方墳?)。南方に迎福寺(曹洞宗)、その東の台地下には印旛沼対岸への渡し場だった甚兵衛渡し跡がある。現在は甚兵衛大橋を渡り成田市の北須賀・船形方面へ出る、式内麻賀多神社の地である。


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