[ 一宮神社 ] 、いちのみや、一之宮。

埴生一宮 住所:千葉県印旛郡栄町矢口(やこう)
祭神:経津主命、建御雷神、日本武尊。
本殿:流、南向。 千木: 。 神紋:巴。 
:pk有。

由緒、伝承:
境内看板−−−
延長2(924)の創立、現社殿は安和1(968)に建立、建御雷命と日本武尊を祀る本殿は一間社流造で格式の高い神社である。
4月の祭礼(おこと)には獅子舞が奉納された。境内には葉の裏に文字を書いて文通に利用したといわれている、手紙の木(タラヨウ)がある。成田市松崎の二宮神社、郷部の三宮神社(埴生神社)とも何か関係があるのではないかといわれている。 ーーー抜粋。

<県神社誌:
印旛郡栄町矢口、成田線安食駅より東北6km、経津主命(ふつぬしのみこと)例祭2/20、本殿亜鉛板葺流2.25坪、拝殿亜鉛板葺寄棟造9坪、境内浅間神社、境内920坪、氏子55戸。。>

【大日本地名辞書 :佐倉風土記云、一宮明神、在矢口村(やこう)、伝言、延長2年創祀、為旁近7村鎮守神
(※安食、今安食町と改む、人口5千、矢口、麻生、酒直等を合わせたるなり。利根川の支江に臨み、印幡沼の流江(ながしえ:長戸川)又之に会流し、一水駅とす。近年成田と土浦線我孫子とを連絡する鉄道、之を経由し、停車場あり、成田へ6哩、我孫子へ15哩。佐倉風土記云。駒形社司、木内三郎宗文、正安2年記曰、埴生郡安食駒形社、郡司 大(湊?)朝臣 広足、所祭穀神也、天永2年夏大水、同3年夏大旱、仁平1年夏又大水民飢、凡3年也、於是建社於駒形山上、用祭?穀神焉、翌年五穀大熟、郡司令曰、是則神之賜也、自今以後民可得安於食也、請改号其郷曰安食郷、又置神田、使木内晴風祀焉、安食郷、旧名川崎郷。。。)】

拝殿 本殿
台地北端に鎮座し、標高は20m程。利根川を眼下に古くは香取の海に突き出た岬といった風情で南100m程の微高地では360度の展望が望める。

肘木を多用した拝殿 境内横に公民館があり明治に焼失した寺の跡地という。倒れたままの碑・墓碑多数、石祠もある。

 現在鳥居は見当たらないが明治の寺の焼失時から無いのだろうか。
・栄町史料、寺社棟札などに、旧矢口村一之宮神社本殿部材墨書(1776)(1779)(1784)。一之宮神社旧鳥居部材墨書(1886)(1972)台輪裏に慶応2年、再建立、当山現住歓海代。など残る。
明治に焼失した寺は古く「鳥見寺」と云ったのではないかと話もある。

東隣の台地は羽鳥の地名で、[機織神社] が鎮座する。この羽鳥の東に根木名川を挟んだ対岸には古代の「荒海駅」があった。




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