[飯綱神社] 、いいづな、

本殿、二十四孝彫刻を巡らす玉籬 住所:千葉県八千代市萱田 
祭神:宇賀魂命(うがたまのー)
本殿:流平入、南向。 千木: 。 神紋:巴。 :pk有。

由緒、伝承:
昭和始めの神社由緒より−−−
 大和田の飯綱神社、大和田の十一面観音と並び称され、、神社は450年前、後土御門の文明9年9/24の創建、祭神は、社殿は町の北隅50尺余の高台、北総平野を一望し展望に富む、境内は老松、古杉や銀杏の大樹が鬱蒼とし、、。
文明11年時の名将太田持資(もちすけ)入道道灌が扇ヶ谷上杉定正の命を受け、臼井城を攻めるに当り砦をこの権現山上に築き、大権現を祀り戦勝を祈り守り本尊で肌身離さなかった十一面観世音を此処に奉祀したが、臼井城の要害抜くにあたわず、退陣する際本尊を土中に埋め去ったという、
 140余年後の元和8年、大権現の神託により8/7の夜から白狐が権現山付近に現れ昼夜分たず鳴叫(めいきょう)1週間に及ぶ、、土地の人々が、、拝礼すると、お告げがあり「我は飯綱権現である、昔太田道灌が尊信深かりし十一面観世音の尊像は当山北東5尺の地下に埋れているが常にこの世に出て、霊験を授け民を守護し、と念じている、、早くその地を掘り尊像を再誕せしめば、遍く一切衆生を済度し給うであろう云々」里人あい謀り、霊夢で示された箇所を掘ると、、光明赫灼(かくしゃく)として眼を射る十一面観世音の尊像が現れた、これが9月24日であった。 里人は社の裏に堂宇を建て是を安置した、飯綱大権現と称し、長福寺の所領に属し、33年毎に大祭を行ってきたが、明治維新に至り飯綱神社と改称、、郡内のみならず京浜方面からも参拝有、今の社殿は天保年間の造営、間口2間奥行2間で古式に造り、周囲は24工の玉垣をめぐらす。
、  拝殿は明治24の新築で間口4間奥行2.5間の木造銅葺(あかぶき)、明治43に至り時平神社(じへい)と熊野神社を合祀(がっし)し、大正3年10月花崗石(みかげいし)八幡造の大華表(とりい)と神楽殿とを建設。−−−

鐘楼  境内からの展望
 京成成田線大和田駅の北2km程、新川を東に臨む大地端に位置する。新川(旧平戸川)は途中で花見川と名を変え検見川から東京湾へ注いでいる、この印旛沼の水を東京湾へ流す開削工事は平将門の計画を始め江戸時代に3度実行されたが開通ならず、開通は昭和も40年を過ぎてからだった。
急峻な神社正面石段を昇ると見事な鐘楼が目に入る、拝殿でご挨拶を済ませたら裏に廻り本殿と二十四孝の彫物を巡らせた玉垣を見てみたい。この彫物は1814年に建立された鐘楼と同時期と考えられている。
境内には地下百mから汲みあげている地下水、八千代市公民館もあり八千代市の文化財などのパンフレットを置いてある。車では境内裏(北側)から廻ると公民館と兼る駐車場がある。


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