[ 鷹取神社 ] :たかとり、
鷹取社殿 鷹取南参道
住所:神奈川県中郡大磯町生沢1401 
祭神:木花咲夜姫命。
本殿: 、南向。 千木: 。 神紋:巴、
場所:、pk可能。

由緒,伝承:
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、 生沢地区の鎮守氏神様として鷹取山(218.98)の山頂に鎮座し、御創建は天長3年(826)3月と伝えられる。御創建当時の名称は「直下社(なほもとのやしろ)」と言われた。
鎌倉時代の文献東鑑によると「研究2年4月27日相模国生沢直下社神主清包地頭土屋三郎云々」と見える。これによると当神社は鎌倉時代には専任の神主が在住し執事していた事が知られ大変賑わいを見せた神社であったと思われる。小田原北条市も信仰が篤く多くの社領の寄進があり一説には3百貫と言われる。
鷹取山の名は古くは栗原山等の名があったが現在の名は徳川家康が平塚の中原で鷹狩を行った時、その愛鷹がこの山までにげてきて捕らえたことから名付けられた。 江戸時代の始め寛文元年3月の当神社棟札には、鷹取直下社造営と見える。天正19年徳川家康公より社領2石の御朱印があり、御祭神が富士浅間社と同じであることから江戸中期から明治の始め頃までは鷹取浅間社と言われるようになったが、明治6年鷹取神社と現在の名称となり、同年指定村社に列せられた。
木花咲夜姫の神様は大山祗神という尊い神様の御子神で、木の花(桜の事)の咲くような美しい姫神様です。湧水を司られ農作物の豊作の守護神であり又女性の方は熱心に参拝祈願をすると少しつつより美人となって行くという御神徳の高い神様です。 −−−境内掲示(ママ)

--大日本国誌
「鷹取神社」村社、淘綾郡生沢村字鷹取山の嶺に在り境内107坪、木花咲耶姫命を祀る、社殿云天長3年3月之を創建すと、右へ直下(なほもと)社と称す。建久2年4月27日、神主清包、地頭土屋宗遠(三郎)社内の桑を伐採せしを訴へ源頼朝親ら之を裁決す、(東鑑)、後寛文の頃に至るまて猶此称存し浅間社と云、(寛文元年辛丑3月棟札に鷹取直下山富士浅間菩薩云々)。
天正19年辛卯徳川氏社領2石を付す社地本村より登る大約拾町弐拾九間樹木茂し老椎あり周壹丈餘、。--(ママ)

社域は鷹取山に続く緩傾斜部、南端近くに社殿が建つ。南の参道は関東ふれあいの道で生沢の集落へ1km程、北からの参道はレイクウッドゴルフ場から軽4輪程度なら進入でき社殿すぐ裏に駐車できる。
スダジイ、タブノキなど繁る一帯は鷹取神社社叢林として平成4年に神奈川県指定天然記念物になっている。


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