[寄木神社] :よりき、

寄木 寄木
住所:神奈川県平塚市大神2746 
祭神:大己貴命、
本殿:平入、西向。 千木:外削 。 神紋:巴、勝守
場所:国道129と新幹線ガードの東500m程、旧道に面す、pk無。

由緒,伝承:
 大住郡大神の郷と称し郡の大領が在住した所で、三代実録に貞観1(859)3/5辛酉授相模国大住郡大領外従五位下壬生真広主に従五位上、正六位上大神朝臣田村麿外従五位下とある。この新大領は叙位され当地に下向し、旧大領は京都に召還され叙位ありし時の文でこの大神朝臣の大領当時その氏族の遠祖大己貴命を祭祀して大神郷と称した。
また新編相模風土記にもこのことが載り、古図面及び旧記にも平屋敷・東町、仲町、仲下町、大下町、宿町、門前町などの字名がある。安政4年9/1社殿再建、明治6年7/30村社、大正2年4/14神饌幣帛料供進神社になる。
境内社:八坂神社(素盞嗚命)、大神宮。 例祭:10/3、
(県神社史)

 新編相模国風土記、「大神村、ヲホカミムラ」に、「鎮守なり、天照太神宮を勧請せしという、神号の由来詳ならず、神体秘して開かず。例祭4月9月朔日、幣殿、拝殿、等あり、本社の背後に内宮太神宮あり、槻の大樹「囲1丈3尺余」を神木とす、」とある。
 大神朝臣の名は九州宇佐神宮大神氏から始り、桓武50以降特に隆盛になっている。大神の南方の田村の地に坂上田村麿との逸話が残るが、この田村も桓武50に縁深い、大神あたりの相模川は幅広いが南の田村は狭まり、渡し場があり、おそらく千年以上続いている。
 寄木の名は流木が集ったところからと云われる。東北から南方へ旧川があったといわれ、相模川の流れが東方へ移動した後に寄木辺りが入り込んだ湾のようになっていたと思われる、上流からの筏を含め流木の溜まる場所であったのだろう。
境内はさっぱりとして街中の公園といったふうだが、風土記にも載る槻の古木、大型の庚申塔、社殿の彫物など趣がある。


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