[諏訪部神社] :すわべ。 水天宮。

諏訪部 水天宮
住所:神奈川県平塚市諏訪町1449 
祭神:諏訪部之神、諏訪頼重、彦火火出見命、伊奘諾命、伊奘冊命、素盞嗚命、犬頭霊神いぬがしらのみたま、
本殿:平入、南向。 千木:外削 。 神紋:巴、
場所:向原バス停。pk有。

由緒,伝承: 例祭7/3。2棟1宇、
「神武天皇第2皇子神八井耳尊5世孫武五百建命崇神10の御世に信濃国造となる。10世乙頴用明31元年3月始めて諏訪大祝となり世々その職を襲ぐ、下りて安芸守頼忠が大久保忠世の招きに応じて家康に仕え子孫はこの諏訪部の地に城砦を設けて居住した。
現住者一同この地の開拓の徳を敬慕し境内として社殿を建造し諏訪家中世の傑出者たる頼重を祀った。
これに大久保家発祥の地である愛知県碧海郡六ツ実村宮地なる、糟目犬頭神社(かすめけんとう)の御分霊をも請いて併せて奉斎し産土の神と仰ぎ地名を冠して諏訪部神社と号したり」と。
尚当時の宮司役員総代の理解と協力により設立と記録にある。(境内掲示)

勧請もとの岡崎市の式内糟目犬頭神社(かすめけんとう)の伝承では「上和田城主宇都宮泰藤なるもの貞和2年壬辰5月当社に於て鷹狩す。」とある。昼寝中に襲おうとした大蛇を犬が除け、主が犬を切り殺す、のは同じである。

地勢は大磯高麗山から相模川近くへ続く砂丘列のうち、1番大きい砂丘列の根本にあたる。境内の一部は公園になり、プール、小動物の檻もある。古く東海道から秦野・伊勢原への脇往還に面していた。境内社の水天宮独立した崇敬があり、今も節分豆撒きなど祭りが行われている。


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