[春日神社] :かすが、

春日 春日
住所:神奈川県平塚市平塚4丁目(1098)
祭神:天児屋根命、
本殿:平入、南向。 千木:外削 。 神紋:下がり藤、巴。
場所: 国道1号線春日神社信号入る。pk有少宮地。

由緒,伝承:
承応3(1654)6月記の春日神社縁起1巻に「平塚山黒部宮は建久2(1191)右大将頼朝が馬入橋供養の御祈願所にして橋成就の後に勧請云々。相模川橋供養は吾妻鏡に、稲?毛三郎重成の妻(頼朝御台所妹)武蔵国に没す。重成出家、東鏡に建久9年12/2稲毛三郎重成法師として妻追儀のため相模川橋を新造とある
・・黒部宮別当は範骼宦i?)なることが東鏡に建久3(1192)8/9将軍家御台所産気のため相模国神社仏寺に神馬を奉り祈祷すとある。
黒部宮範骼宸ヘ今は異名だが当聚落は現在地より8町程南の十間坂の一角にあったが当時は海が近く、社地が高波に洗われたり社殿が風で飛ばされるようのことが度々あった。で北方の現在地へ移住した。
境内社:黒部宮(天児屋根命)、金刀比羅神社、住吉神社、御嶽神社、稲荷神社、天神社、厳島神社、白山神社、幸神社、道祖神社。 例祭8/1(8月第1日曜)
社殿:3棟1宇、権現造。鐘楼、手水舎、輿庫。 境内598坪。

(県神社史)
例祭日午前8時より全町内を巡り元宮へ神幸し祭典同日隔年に御輿浜降り祭をし海中を泳ぐ、2月節分の日午後2時節分祭、年男年女奉仕により追儺式。

現在の春日神社付近一帯は遺物の散布地で、弥生以降の土器小片がみつかる、神社東には天安1(857)2月薨じたと伝説の平真砂子の古墳という平塚の塚がある。戦後暫くは境内地の周りは田畑で車も通りにくい道であったという。 元宮は真南の「黒部宮」で花水台に戦後分祀の「浜嶽神社」がある。
(神社・氏子の方のお話)


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