[熊野神社] :くまの、土屋熊野神社

熊野土屋 土屋
住所:平塚市土屋227 (旧:中郡土沢村大字土屋小字小熊227番地)
祭神:伊邪那美命、与母津事解男命、速玉之男命、十二柱大神、造化二柱大神。
本殿:平入、南向。3棟1宇、権現造。 千木:外削 。 神紋:巴、
場所:金目川の南200m、対岸には欠上・二子塚古墳がある。pk無。

由緒,伝承:
往昔、邑人某、南紀熊野神社に詣で、分霊を請ひ、途中覆うに其の被れる所の蓑を以てし、帰り来て現地に勧請せり」と、その後建久年中(1190ー1199) 土屋三郎宗遠当村を所領せる際、其の4男宗光を現在の社地に遷せり。是字名に庶子分、小熊の名称ある所以なり」
新編相模風土記に「天正19家康より5石の社領地、元和4(1619)9月修造の棟札、神木の杉、囲1丈2尺ありき」
明治に上地、明治6年7/30郷社。古来大祭には流鏑馬奉納、昭和10年頃より神馬なきため中止。

例祭:4/17(今は9月最終日曜)。境内社:愛宕社。神楽殿有。境内515坪。
 古く例祭は9/29でこの日ご神体が金目川からあがったとされている。

近くに馬場跡、土屋氏墓地、大乗院などある。

<土屋氏> 土屋三郎宗遠(1124-1213)
源頼朝旗揚からの鎌倉武士、石橋山で宗遠の長男が戦死。一族の岡崎氏より養子をもらい受ける。後に実子誕生するが養子にも土地を分割している、これが今に残る「庶子分」の地名。土屋氏は応仁の乱で負け領地没収されるが、土屋一帯に残る地名の殆どが土屋氏時代のものである。

<大乗院> 天台宗延暦寺派の名刹、鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠が堂塔を再建したと伝えられる寺院である。往時は多くの末寺をもつ大寺であったが、お堂の建物は惜しくも第二次大戦(昭和20年)のとき焼失した。再建後の本堂には瑞光を放ったといわれる阿弥陀如来が難を逃れて安置されている。またこの寺は相模新西国29番観音霊場でもある。
本尊:阿弥陀如来、 中興開山:圓海。


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