[愛宕神社] :あたご、万田 住所:神奈川県平塚市万田1131 祭神:火具土命、市岐島比売命。 本殿:平入、東南。 千木:外削 。 神紋:巴。 :pk無。 由緒,伝承: 万田西北の山中より広く氏子中を見透かす社地、古くは奇ノ宮明神、木の宮明神と称す。 伝説が2つある、新編相模風土記「昔この山に何処からともなく翁嫗2人が久しく住んでいた、ある夜この山に光明がかがやき村人いくと2人の姿すでになく勝軍地蔵尊(しょうぐん)の像1躯があった。これによりこの山を愛宕山と呼びこの像を祀る。 他の1説は、氏子の人の伝承で「貞観の昔、文徳55第1皇子惟喬親王が伊豆国より海を渡り当大住郡の唐土ヶ原(今の大磯平塚の海岸)に上陸し、この万田の山に落ち着かれたが、御供の乳母が旅の疲れでこの山で亡くなり親王は心を残しつつ早川方面に去られた、 その後、貞観15(873)親王が亡くなったと聞いた里人らはこの地に宮を造り木の宮明神と崇め、親王の残した御持仏勝軍地蔵尊を安置した。これが今の愛宕神社。 飛地境内末社厳島神社。例祭4/17、3棟1宇、権現造17坪、境内984坪、飛地境内142坪 (神奈川神社史) 大磯丘陵の東北麓、入り込んだこの地区は北に根坂間古墳群、東傍に八重久保・万田・高根など横穴墓群があり遊歩道が巡る。湘南平の北麓のこのあたりは初夏の散策に特にお勧め。 文徳皇子・惟喬親王とその子供、臣の伝承は、大磯唐浜―相模川河口―ここ万田―小田原市―箱根湯本―湯河原、と続いている。 |