● 奈良・笛吹神社 
 
  [ 鳥居 ] 
 
  左より[ 熊野、稲荷、春日神社 ]
 
  [ 都波神社 ]
 
  [ 本社への参道 ]
 
  [ 大砲 ]
 
 左より [森本、浅間、空室神社 ]
 
  [ 梅室神社 ]
 
  [ イチガシ ]
 
  [ 古墳、本殿隣接 ]
 
  [ 拝殿 ]
「笛吹神社 由緒 」

●御祭神
・火雷大神、 ・天香山命、 ・高皇産霊神
・大日メ貴命(メ={靈−巫+女})
・天津彦火火瓊瓊杵命、 ・伊古比都幣命

●御神徳

【火雷大神】
この神は伊邪那岐命、伊邪那美命の御子で火之迦具土神とも火産霊神 とも申し、火のことをお司りになり世の中の物を熟し整え給う御功徳が 高く、火は吾々の日々の生活上、一目も欠かすことの出来ない大切なも のであり、又一度火を粗末にすることがあれば万物を焼き滅ぼしてしま う恐ろしいものであります。
これを主宰し給うこの神様は常に吉事と凶事の境にあって吉凶禍福 を司っておられます。故に我々はこの神様の広大無辺の御神徳を仰ぎ尊 ぴ感謝し奉り、この荒御塊の荒ぴ給うて火事等の災厄にあわせ給うこと のないように、国家の繁栄と一家の隆昌を析願しなければなりません。 皇室におかれても大膳職菓餅所と言う菓子や餅、索餅(麺類の元の形) 等を作っていられる所の守護神として、火雷大神をお祭りになっておら れます。従って当社を菓子や麹類の祖神を祭る神社として信仰も篤く、特に火 を扱う職業の人々の尊崇をあつめています。

【天香山命】
この神は天照国照彦火明命の御子で、またの御名を石凝姥命とも申し 上げ、天照皇大神が天岩屋戸にお籠もりになった時に、天の香具山の金 を掘り取って八咫鏡を造り皇祖に奉り、又同じ山の竹を切って天の磐笛 を作り自ら吹き鳴らし皇祖の大御心を慰め奉り同じ山の天の波々迦木 を取って思兼神と御相談になって、天照大御神の御心を伺い奉ったとい う神様で、音楽の祖神・鍛治工の祖神として崇められています。

【大日メ貴命】、【高皇産霊神】、【天津彦火火瓊瓊杵命】
大日女貴命は天照皇大御神様のことであり、また高皇産霊神、天津彦 火火瓊瓊杵命は供に皇祖の神々であられ火雷大神、天香山命と因縁の浅 くない神々でありますので、当社の相殿にお祭りしたと伝えられていま す。

【伊古比都幣命】
この神は御食都神社の座して、衣食住を司る神様であります。

●御創建

当神社の御創建は神代とも神武天皇の御代とも伝えられていますが、 詳らかではありません。然しながら神社に伝わる旧記によれぱ、第十代崇神天皇の十年に四道 将軍を置かれ、大彦命を北陸に御差遣され給うた時に笛吹連の祖櫂子が この軍に従って都を立って寧楽山(平城山)に御着きになった時、建埴 安彦が兵を挙げて京師を襲撃しようと企てていることを聞いて、直ちに 都に引返されて天皇にこのことを御報告し、建埴安彦を討ち果たすこと を奏上せられた。

このことを知った建埴安彦の妻吾田姫は、一軍を率いて忍坂から京都 に攻め入ろうとしたので、五十挟芹彦命を遣わされてこれを討滅された。一方、大彦命は寧楽山で安彦の本陣と戦い、これを追って和韓用(木津川の上流)の南で川を挟んで対陣していた時、櫂子の射放った矢は安彦の胸を貫いてこれを倒したので賊軍はついに降伏して平定した。天皇は大いに櫂子の戦功を嘉賞し給うて天磐笛と笛吹連の姓を賜った。
この夜天皇の御夢に、この天磐笛をもって天津彦火火瓊瓊杵命を奉斎 すれぱ国家安泰ならんとのお告げによって、天津彦火火瓊瓊杵命を当社 の御相殿にお祀りになったと伝えられています。即ち、人皇十代の崇神 天皇の御世に既に当社があったということで、当社は如何に由緒の古い お宮であるかを伺い知ることができます。

当社を一に笛吹神社と申すのは元は火雷神社と天香山命を祀った笛吹神社 と二社あったのが、延喜の制以前に合祀されたものと考えられます。天香山命を祀り、その子孫がこの土地に住んで、その祖先の神霊に奉仕して、その地方の人達を化育して、その地を笛吹と唱えその神社を笛吹神社と申し上げたのでのであります。
この笛吹の部族は、大化前代からの鼓吹戸という品部のうち笛吹と言われ た人達が居住していた根拠地の一つであったと考えられています。

●御社挌

約一千年前の醍醐天皇の御世に制定された延喜式という制度の神明 帳に、暮木坐火雷神社二座並びに名神大、月次・相嘗・新嘗と記されて、 皇室からそれぞれのお祭りに幣帛(お供え物)を奉られることを定めら れています。
延喜式内の神は官幣・国幣の大・中・小社合わせて三千百三十二座、 神社の数二千八百六十一神社あり、大社の神は四百九十二座で百九十八 社あり、この四百九十二座の神の内三百四座の神は、析年・月次・新嘗 の祭に案上の官幣に預かり賜うた官幣大社であります。なお、この三百 四座の内七十一座の神は相嘗祭に預かり賜うた特別尊貴な神社であり ます。

当神社の御祭神である火雷大神、天香山命の二柱はこの七十一座の中 に御加列になり、その上名神大社に列せられたぱかりでなく、時に臨み 事にふれて勅使を参向せしめられました。
清和天皇貞観元年正月二十七日、正三位勲二等火雷神に従二位の御贈 位のあったことが特撰神名帳や日本三代実録等の古い記録にあり、当神 社が皇室から如何に重く祭祀せられたかを知ることができます。

●皇室との御関係

朝廷との御関係は前述通りでありますが、その他天皇が御即位せ られた時に御代一代の大祭祀として執り行われる大嘗祭に献ぜられる 新穀を作られる斎田を定められる国郡ト定の時、そのト事に用いられる 波々迦木は、古くから当社から奉る吉例なっていました。
そのト事はこの波々迦木で真男鹿の肩甲骨や亀の甲を焼いて出来た 割れ目で悠紀、主基二つの斎田の国郡を選定するのであります。

延喜式第三に「凡年中御ト料波婆加木皮者仰大和国有封社令採進之」 とあり。又、古事類苑その他の古書や大嘗祭の記録に「波々迦木は大和国笛吹 の社からこれを請け取るなり」とあるのを見てもその一班を知ることが できます。

●奈良県指定史跡「笛吹神社古墳」

境内御本殿の傍らに棺槨を完備した円形墳があり、槨は粗質の花崗岩 を以って積み、玄室の中央に右棺を置く。棺は凝灰岩で出来ていて蓋の 突起が特に大である。

横穴式石室は玄室の長さ五・九五米、同幅二・三四米、羨道長さ五・ 一○米、同幅一・六米あり、笛吹連の祖櫂子の父建多析命の古墳とも伝 えられています。

●奈良県指定天然記念物「イチイガシ林」

鳥居の右側に周囲約三米程の巨木があります。これが天然記念物「イ チイガシ林」の内の一本であり、この木が境内に約二十本あり一つの林 叢をなしています。

指定した奈良県教育委員会の説明を転載します。
奈良盆地周辺の扇状地の極相はイチイガシ林であることが知られて いるが、こうした地域は人の生活領域であり、奈良県では古くから開け てきた。
そうした中で笛吹神社の社叢は海抜一七○米前後の扇状地に残され ており、境内南向き斜面のものはイチイガシ林としての保存状態が良い。 群落の高さは二十二米程度あって、低木層には後継樹としてイチイガシ が優先し、ほかにヤブツバキ、アラガシ、アオキ等樹種が多い。笛吹神社のイチイガシ林は学術上、教育上、環境保全上極めて重要である。

●御祭日

歳旦祭 1/1、元始祭 1/3、御田植祭り 2/11、祈年祭 2/11、鎮花祭 4/19 、夏越祭 7/17、秋季例祭 10/25、鎮火祭 11/15、新嘗祭 12/6、除夜祭 12/31


※謝辞:取材、撮影、hahahaさん


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