・神奈川県平塚市土屋・妙円寺・2001.06
【 義真和尚 考察 】
・「相模国の人・義眞和尚、出生・事績をめぐる一考察」
天台座主第一世・義真について妙圓寺前住職・池田正善氏のA4-61ページからなる秀作。

義真の姓・丸子連(まりこ)、最澄とのであい、古代相模の地理・氏族など古代史書・文献を駆使しての考察。天台義真座主だけに限らず、国府所在地の変遷など相模の古代を良く語る一冊です。

※この冊子は、天台座主第一世・修襌大師義眞尊者遺徳顕彰碑建立に伴い、諸関係先へ配られたもので現在絶版です。


【 妙円寺・山門 】
 神奈川県平塚市土屋1949
・比叡山延暦寺を総本山とする。
正式名は和光山醫王院妙圓教寺(醫:い・やす)。

・昔から土屋の弁天さん・土屋銭洗弁天、と呼ばれ親しまれている。
土屋大乗院末寺として開山。後年舜堯法印(1654.12.21卒)が中興開山、薬師如来を本尊とし、守護神である弁財天を山上に奉祀。
元和1(1615)当地・水島家の祖である水島五郎右衛門の母月盛妙円禅尼(1647.12.19寂)によって開基となり阿弥陀如来を本尊として和光山醫王院妙円寺が開創と伝う。
慶安2(1649)8月家光より御朱印8石2斗。

・平塚市土屋は、市の北辺に位置し市への編入が遅いためか古くよりの地名・風俗・寺社など良く残し里山に囲まれた地である。
土屋の名は、源頼朝・石橋山の旗上げからの鎌倉初期からの御家人・土屋三郎宗遠の名に由来するという。

山門・本堂は南面し大磯鷹取山をみる、その先は余綾国府の在った場所。


【 妙円寺・本堂 】
・本堂と須弥壇
現在の本堂は延享2(1745)に再建。外陣と内陣を同じ高さにし質実剛健の道場つくり、かっては左脇間に護摩堂があって修行道場として比叡山の行院のようなつくり。
本尊をお祀りする須弥壇・前机・密壇は総欅。密壇は享保年間薬師堂における密仏薬師如来開帳に際して新調されたようだ。

・寺紋は「菊に三台星」菊の中央に星が三角に並ぶ、天台宗門。比叡延暦寺は菊の中央に輪宝のある「天台宗菊輪宝」も使われる。
*三台星(さんたいせい):中国で紫微星を守る三つの星、上台・中台・下台。紫微とは天帝の居る場所、京の鬼門に位置する天台にふさわしい。


【 妙円寺・岩屋弁才天 】
 ・弁財天の岩屋霊穴は中興開山より進められたもので4世広然の墓石に「岩屋開基」とありこの頃完成と思われる。

霊穴内には宇賀神を中心に、金剛界・胎蔵界の両部の大日如来など。堀井が二ヶ所あり銭洗い池、弁天池という。石仏は、宇賀神・天台大師座像・伝教大師座像・弥勒菩薩座像・金剛界大日如来座像・胎蔵界大日如来座像・舟形地蔵菩薩立像などがある。


【 妙円寺・弁天堂 】
 ・弁天堂「寶珠殿」
舜堯法印は弁財天を篤く信仰し、奉持の弁財天を祀って弁天堂を建立。現在の弁天堂は13世豊純法印の代文化1(1804)再建。村内の横山七朗左右衛門という宮大工が釘を一切使用しない「一本くさび工法」で建立と伝う。


【 造化神社 】
 ・造化神社、早田。
早田地区の鎮守、例祭4/1。祭神:高皇産之命、天之御中主神、神皇産之神、の3柱

由緒:第六天と称し創立鎮座不詳、水島氏先祖が勧請し、妙円寺伽藍の一だった。明治3年造化神社と改称。



【 造化神社・裏 】
大山 ・妙円寺山門より東北裏手に位置し、徒歩3分ほど。
造化神社の裏手は畑になっていて土塁のような畔に登ると視界が晴れる、北に大山阿夫利、南に大磯鷹取山が見える。


 ※謝辞:妙圓寺ご住職。

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