その後、遍空上人の代になると、堂宇の腐朽がひどくなったため広く有縁無縁の奉加を求めたところ、檀家冨田武右衛門はその私財を捧げ、また当地の領主であった畠山義紀より多くの喜捨を得、寛政二年(1790年)本堂、庫裡、山門などが総瓦葺きで再建されました。 これにより、寺観を一新したので、遍空上人を当山中興としています。