Noel






夕暮れ時の乾いた寒さに、踵音が高く響く。
一週間前に降り止んだ雪は、今は路肩に堆く積まれ、純白で覆われていた城も鈍い乳白色を取り戻している。夕日で薄紅を差したその壁のせいで、街全体がいつもより優しく見える時刻だった。
ほとんど日の暮れかけた街角に、あと少しすれば、街灯番の赤騎士が火を燈しに廻ってくるだろう。
だが夕刻にもかかわらず、往来は人の行き来で華やかだ。
年の瀬に向け、遠方の村々からも多くの人々が街に滞在しているためなのかもしれない。
そんな人込みに紛れるように歩いていたカミューは、とある店の前で足を止めた。
「ケーキか…」
視線の先には色とりどりのリボンと生花に負けぬくらい、種々多様なケーキがある。
すっかり眼を奪われている連れの姿に、先に行きかけたマイクロトフも踵を返す。
「買うのか?」
微妙な含みのあるその問いかけを意に介した風もなく、カミューは窓越しに見えるショーケースの品定めに夢中のようすだった。
「ショコラとブラン、どっちがいい?あ、クロカンブッシュも美味しそうだな」
「買っても良いが食べられるのか?」
そう言って示した両腕の買い物の戦利品は、二人で消費するには過ぎる量だ。
だがその婉曲的な引止めの言葉は、ケーキに心奪われた彼の耳には響かなかったようだ。
ちょっと待っててくれ、と言い残し、店内に入っていくその姿に、マイクロトフは苦笑を漏らす。
窓越しにもはっきり分かるほど楽しげな表情で、店員相手にいろんな商品を見比べていたカミューは、そのうち一つに決めたのだろう。包装を待つ間に中を窺っていたマイクロトフに気が付き、ばつが悪そうに手を振って見せた。
やがて出てきたその手には大きな箱があった。
「お待たせ」
「買ったのか?」
「あぁ、ショコラケーキの新作を。折角の新年祝いの前倒しなんだ。今日くらい贅沢をさせてもらっても構わないだろう」
その言葉は今日何度目のものなのか。
だが、そう言ってかつてないほどの、彼にしてはの、散財をするだけの理由もわかるマイクロトフは、そうだなと返してその箱を持つ。
大晦日から新年にかけて騎士団で執り行われるパーティの準備で、ここ一ヶ月というもの騎士団中枢は忙殺されており、今年から赤騎士団副長の職務に就いたカミューもその例外ではなかった。月の初めから休日返上で出勤して、やっと今日のマイクロトフの非番に合わせ、半日だけ休みを取ったのだ。
貴重なその休みに、手料理が食べたいと言われれば料理を作り、買い物に付き合えといわれれば荷物持ちで付き合うだけの心構えはあるし、労苦でもなんでもない。仮令足が棒になるほど歩かされる羽目になってもだ。
「しかし新年の祝賀会もたいがい贅沢だろうが。かなりの予算をつぎ込んだという話じゃないか。それこそそんなケーキぐらいいくらでも食べられるだろう」
ふと思いついて軽口を叩く。
「おや、出席したいならいくらでも出させてやるよ。もっとも私がどうこうしなくてもお前の所には正式に招待状が行っているはずだけどね」
そう言って微笑したカミューの反撃にマイクロトフは顔を顰めた。
「いや、俺はまだ隊長になりたての身分だからな。現場に残るのは若輩の勤めだ」
マチルダ領内の貴族をはじめ商家、豪農を招いてのこのパーティには、基本的に騎士団の隊長位以上の出席が認められている。だからマイクロトフは勿論出席できる立場にあるし、実家の関係で騎士団の位とは関わりなく招待状は届いているのだが、今年は自ら警護の指揮という任務を買って出て、それを盾に欠席を決め込んでいた。
なにしろ面識の薄い大勢の人の中で愛想笑いを浮かべているのは彼の性に合わない。
毎回どうにかして断っていたのだが、今までそれが成功した確率は半々だった。
そしてその確立を半分にまで落としてくれていた親友は、その言葉に横でなにやら目論んでいるように微笑するだけだった。




買い物の最後に周ろうと話していた店は、カミューの行きつけの茶屋だった。
何度も一緒に連れられて来ているマイクロトフも、この店の主人とは面識がある。
いつものように、まずはと供される茶を飲むと身体が芯からじんわり温まっていくのが感られる。長時間戸外を歩き回って、冷え切っていたのが改めて分かるようだった。
ゆっくりと茶を楽しむマイクロトフを尻目に、カミューは店内を歩き回り、店主にいろいろな茶葉を出してもらっては、楽しそうに説明を聞いている。
基本的に美味しければ特にこだわりのないマイクロトフとは違い、いつもカミューは店主の説明を熱心に聞き、茶葉の種類まで拘って選んでいる。
二杯目の茶がなくなる頃には、納得のいく茶が見つかったのだろう。何時の間に受け取ったのか包みを片手に持ち、待たせたな、と近寄ってきた。
「もういいのか」
「あぁ、今夜はケーキにあわせた美味しい紅茶をいれるよ」
「それはそれは楽しみだ」
最後の買い物を品を受け取り、今晩の食材達と一緒にすると大きな紙袋二袋の大荷物になった。すでに用意してあるメインディッシュや前菜などを除いても、これだけの荷物になるのだから、よほどカミューが今晩の食事を楽しみにしていたのか。それともそれだけストレスが溜まっていたと見るべきなのか。
いずれにせよ家までの距離と調理のことを考え、苦笑いを噛み殺していたマイクロトフに、いつの間にか後ろに立っていた店主が、お客様、と声をかけた。
「よろしければこちらの茶をどうぞ」
そう言って差し出された小さな包みに、
「これは?」
と尋ねる。
「苺とバニラ、それから薔薇の花びらが入っている、キャロルという名のお茶です。異国のノエルという祭日をイメージして作られたものだそうですよ。よろしければお飲みください」
「頂いてよろしいんですか?」
思いがけぬ申し出に思わず顔を見合わせると、カミューはそう尋ねた。
「ノエルは救世主の誕生の祝日だそうですが、その日には贈り物をする風習があるそうです。ちょうど今日がその祭日なのですよ」
ですからよろしければ、そう言って店主は微笑んだ。
よいお年を、と見送る店主に何度も礼を言って店を出ると、もう辺りは宵闇に包まれていた。
「思ったより時間を取ったな」
そう呟くマイクロトフの横で、カミューが小さく笑う。
「どうした?」
「いや。…不思議だなと思わないかい?私たちにとっては普通と変わりない日でも、どこかの遠い国では大勢の人が、今この晩に祭りを祝ってるんだよ。私たちと同じようにご馳走を食べたり、ケーキを食べたり、ワインをあけたりするのかもしれないと思うと、なんだか不思議な気分だ」
「そうだな」
「きっと私達が死にそうな目で仕事しているときも、国中で楽しんでいる所もあるんだろうな」
「悔しいか?」
低い空に一つだけ輝きだした星を眺めるその横顔に問い掛ける。
「どうだろうねぇ…。死ぬほど忙しいときにそんなこと思いついたら、腹が立つかもしれないが。でも本当に忙しいときはそんなこと思いつかないだろうしね」
そうくすくす笑い出したカミューは、それに、と続けた。
「自分も楽しい時間を過ごせることを知っているから、そんなに腹が立つことはないな」
「例えばどんな?」
我ながらあざといと感じる問いかけをすると、見上げる瞳が愉快そうに瞬く。
「…決まってるだろう。良い男をこき使って、自分のために料理をさせる横で、のんびりと酒を飲む。想像するだけで楽しみだよ」
ということで早く帰ろう。そう引かれる腕に蹈鞴を踏みながら、慌てて追いかける。
「しかしその計画で行くと、俺の楽しみはどこにあるんだ?」
ぼやく横で、白い息を吐きながら早歩きの彼は、
「自分の楽しみは自分で見つけるべきだろう?」
綺麗に笑う。
思わせぶりなその微笑に逆らうこともできず、そうだなと頷いた。
楽しい時間は、彼だけでなく自分にとっても楽しい時間は、まだまだ続く。


願わくば同じような楽しい時間を、遠い国の人々にも。


 

noel

MODELED BY GENSOUSUIKODEN2
LYRIC BY AYA MASHIRO

20021225/Fin




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