Le Violette
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「歌を歌ってくれないか?」
カミューのその一言に、マイクロトフは思いっきり顔を引き攣らせた。
「折角のこの良い天気、心地よい風も吹いていることだし、ここらで一つお前の歌が聞きたいよ、マイクロトフ」
天気や風と歌を歌うことにどんな関連性があると言うのか、思わずそう怒鳴りたくなる気持ちをぐっと堪えた彼の横で、
「それはいいね」
とすかさず同意したオウランが、にやりと笑みを浮かべる。
「アンネリーの歌も堪能したことだし、ここらで毛色の変わった歌声も良いんじゃないかい?」
確かに。
長閑な荷馬車に揺られながら、歌を鑑賞するのは確かに気持ちのよいことだ。それがこんな心地よい風の吹く昼下がりならば特に。
だがそれは将来は稀代の歌姫と称されるであろう、類稀なる少女の美声ならではだろう。
誰が好き好んで自分のような野太い男の歌を聴きたいと思うものがいるだろうか。……目の前にいる嫌がらせとからかいを目的としているとしか思えない、二人のほかに。
サウスウィンドまでの買出し隊に付き合わないかと、珍しく取れた休日にカミューから誘われたのは昨日の晩。特に予定もなかったため大人しくついてきたのだが、かようなとんでもない要求が降ってくるとは夢にも思わなかったマイクロトフである。こんなことなら一人のんびり遠乗りでもして、どこぞの木陰で本でも読んでいればよかった。
――― 後悔先に立たず、という言葉が頭を過ぎる。
だがげんなりと脱力しつつ、
「嫌、しかし…」
と、断りかけたマイクロトフの言葉など耳に入らなかった風に、
「私はあの曲がいいな」
とカミューはにっこりとのたまってくれた。
「……………あの曲…か…?」
「そう、あの曲」
恐る恐る確認するマイクロトフの渋い顔とは裏腹に、カミューの顔は満面にこやか之快晴。裏があると邪推しても、惚れ惚れするような笑みである。
そんな笑顔はさておき、カミューがマイクロトフに「歌ってくれ」とせがむ「あの曲」とは一曲しかない。
二人にとって「歌」とは、あの夜以来、あるたった一曲を指すものとなっているのである。
しかし…
「無理だカミュー、歌えるわけないだろう」
「おや、レディの前で出し惜しみをする気かい」
恨めしそうな視線を向けるマイクロトフに、カミューはわざとらしく目を丸くして見せた。
「一体何の話をしてるんだい、話が見えないだろう。説明してみな」
腕を組んだ女丈夫は、興味津々といった表情を隠すわけでもなくそう言い放つ。
「これは失礼しました。単にマイクロトフにとある曲を歌ってもらいたいと言うことだけなのですよ。一度聞いて惚れ込んでしまったので、またぜひ聞きたいと熱望しているのですが…」
そこで区切ったカミューは、苦虫を潰したような表情の親友にちらりと視線を向け。
「この男は出し惜しみしてなかなか歌ってくれないのですよ」
その流された視線には悪戯の色がしっかり含まれていた。
「へぇーそりゃ許されないことだね」
「そうでしょう」
「カミュー!」
うんうんと頷く親友の姿に、マイクロトフは噛み付く。
だがそんな言葉を意に介さぬ風に、
「ぜひとも聞きたいと思われませんか、皆さん?」
にっこりと笑い周囲の同意を求めたカミューに、今度こそマイクロトフは悲鳴じみた叫び声を上げた。
他意のなさそうな笑顔で微妙に失礼な言を吐き、あまつさえ周囲を唆し圧力をかける二人組みに勝てる見込みなど端からないは分かっている。
だが大人しく言いなりになるのも業腹なのだ。
「…無理です、絶対無理です!」
せめてもの抵抗とばかりに喚くマイクロトフに、
「え?どうして?マイクロトフさんの歌、私も聞きたいな」
無邪気に問い掛け、ナナミが首を傾げて見せた。
不思議そうに見上げる少女の瞳にマイクロトフはうっと言葉を詰まらせ、その言葉に詰り固まった彼の姿に、カミューはクッと笑いを漏らす。
「え、いや…その…」
「駄目?マイクロトフさん?だってアンネリーちゃんも聞きたいよね」
「そうですね」
にっこり笑みを交わす少女達の笑顔に押され、わたわたと断りを言葉を出しあぐねるマイクロトフ。
その構図を楽しそうに眺めていたカミューは、すっと身を乗り出した。
「…覚えていない」
「え?」
「カミュー?!」
思いがけない言葉にきょとんとなる少女達と固まる親友を前に、カミューは眼を伏せがちに続ける。
「覚えてない…そう言うんですよ、この男は。以前大声で素晴らしい歌声を披露してくれて、それ以来あの歌が忘れられずに頼みつづける私に、覚えていないと言って歌ってくれないのですよ」
「え、なんという曲なんですか?」
「なんで、何で忘れちゃったの、マイクロトフさん?」
「いえ、その…」
「気になりますかレディ達?実は…」
「わー!!」
含み笑いと共に話し始めるカミューに、マイクロトフは悲鳴をあげた。
「少々煩いね、大人しくしな、マイクロトフ」
後から腕を廻してぐいっと口を塞いだオウランに、マイクロトフはじたばたと暴れるが、狭い荷馬車の中、思うように振りほどけない。
「なんだなんだ!遊んでるのか、みんな!」
手綱を握るハンフリーの横からゲンゲンが尻尾をふる。
「もう何年前でしょうか、私が隊長に就任してしばらくたった頃で、マイクロトフはまだ平騎士だった頃ですから六年くらい前になりますね…」
そんな活劇を横目でちらりとみやると、カミューは少女達に向き直り口を開いた。





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劇場の大きな階段を上っていたカミューは、親友の声を聞いたような気がして立ち止まった。
「カミュー!」
「マイクロトフ、どうしたんだい、こんな所で?」
振り向き見下ろす階段の下に、青騎士の団服に身を包んだ一歳年下の友人の姿があった。
「俺は務めが終わったので、今から隊のみんなと青樫亭へ行くんだ。カミューは何かあるのか?」
がっしりした体型にに似合わぬ軽い足取りで階段を駆け上ってくるマイクロトフに、カミューは笑みを浮かべゆっくりと階段を降りる。
「私は少々付き合いでね。ここで鑑賞会さ」
「ふーん、赤騎士団はそんなコトもするのか。隊長になると大変なんだな」
「いや、どちらかと言うと私用に近いんだが…」
小さく漏らした呟きに不可解そうな表情を浮かべた親友を見遣り、カミューは苦笑した。
「なんだったらお前も一緒にどうだい、と言いたい所だが付き合いがあるのなら無理だね」
「それは俺の台詞だ。何時に終わるんだ?」
真っ直ぐに見上げてくる親友の視線。それは出会ってからあっという間に身長を追い抜かされ、常に見下ろされる立場だったカミューには新鮮なものだ。もっともカミューが特別背が低いわけではなく、目の前の青年が規格外に大きいだけなのだが。
「さぁ…その後で食事に付き合うことになっているから、何時になることだか。明日も務めがあることを考えると、あまり遅くなるのは避けたいんだがね」
入団した頃の親友の姿を微笑ましく思い出しながらそうぼやいた言葉に、マイクロトフは真面目な顔をして頷いた。
「遅くならなければいいんだな?じゃあ食事が終わりそうな頃に迎えに行く」
「おいおい、誰もまだ行くとはいっていないよ」
有言実行の親友の言葉にカミューは慌てた。
青樫亭といえば退団した元青騎士団員が営む酒場だ。
いくら今日は団服を纏ってはいないとはいえ、若輩で隊長の座まで駆け上ったカミューは団内でその出自とともに注目を浴びている。
酒場中の衆目を浴び、珍獣扱いを受けるであろうこと確実の青騎士団のテリトリー内で酒を楽しむなど、想像するだけで十分だった。
「あいにく何時に終わるかはっきり分からないから、約束のしようがないんだ。残念だが」
「分かった、じゃあもし時間が合えば一緒に飲もう」
あっさり引き下がったマイクロトフに胸をなでおろし、駆け下りていくその姿をカミューは見送った。




その日の鑑賞会は『かつてないほどの』、と賞されるべき成功を収めていた。
マチルダ出身の天才声楽家、リロイドの独唱会ということで場内は大入り満員。社交界の著名の士が集い、さながら小規模の夜会でもひらけそうな出席者の面子である。
大階段ををゆっくりと下りながら、カミューは張り付かせた笑顔の陰でこっそりと溜息をついた。
社交的で人当たりの良い性格として知られているが、実の所カミューはあまり人付き合いが好きな性質ではない。妙齢のお嬢さん方のお相手をするのは嫌いではないが、それに付随する保護者と称する紳士や貴婦人はあまり好きではなかった。
彼らの笑顔という緩衝剤に包まれて向けられる、値踏みをするような視線や化かし合いのような会話は、体調が良い時はそれらをいなすのにさして労はないが、今日のように疲れているときには勘弁願いたいものだ。
送られてきたチケットはボックス席だった為、休憩時間は適当に姿をくらますことができた。だが、閉幕後はそうもいかない。手薬煉引いて彼の姿を待ち受けている御婦人方に適度に愛想を振り撒きながら、いい加減暗澹たる気分に陥っていたカミューである。
このまま黙って帰宅してやろうか、とそんな考えも頭を過ぎる。
しかしその考えを読んだかのように、とてつもないタイミングで肩を叩かれた。
「カミュー、先ほどから今夜の主役がお待ちかねだよ」
傍の貴婦人を意識してか、不自然なまでににこやかな笑顔で語りかけるのは、幼馴染で悪友のアレフリィードだった。騎士団内ではその肩の巨大な猫皮を少々摺り落としているアレフだが、貴族や名門の士が集う社交界では、その外面のよさを遺憾なく発揮している。
好青年然とした爽やかな笑顔で、カミューにしきりに話し掛けていたマダムに会釈し、赤面させる。しかしそんなアレフの笑顔にだまくらかされている婦人とは異なり、長きに渡る付き合いで悲しいかな互いの笑顔の裏の表情を読めてしまうカミューである。
「アレフリィード殿…申し訳ありません。私は少々気分が悪いのですが」
自分のうんざりした気持ちをすこぶる楽しんでいる男に言っても無駄だろうと思いながらも、暗にさっさと帰らせてくれと訴える。
「それはいけないな、こういうときはしっかり食事を食べて寝ることだ」
「そうですね、ですから私は帰って…」
「遠慮するなんて水臭いぞ、カミュー。城の食堂の食事では栄養が十分取れるわけがないだろうが。仕方ない、今日はお兄さんが奢ってやるからしっかり食べなさい」
だが、やはりというべきか、それまでに増して楽しげな色を強めたアレフは、そういうなりさっさとマダムに許可を取り挨拶をすると、親しげに肩に手をまわす。
傍から見ると仲のよい親友同士が肩を組んでいるように見えるのだろうな、と遠い目になりながら、半ば引きずられるようにして連行された先には、今宵の主役、リロイドが一人ワインを傾けていた。
「カミュー…ますます美しくなったね。」
「はぁ、そうですか…」
久しぶりにあった挨拶がそれか、と脱力しながら席に着く。
舞台用なのか、薄く施された化粧の顔だけ見ると男か女か判断のつきかねる容貌の主だが、性格のほうも凡人には理解しかねる複雑怪奇さだ。
このリロイドという男は、義兄の友人だった男である。
マチルダに来た時に引き取ってくれた恩のある相手だからあまり文句も言えないが、あれだけ男にも女にももてた人だったのだから、義兄も少しは付き合う友人を選んでくれればよかったのに、と彼に会うたびにつくづく思う。
その思いを知ってか知らずか、カミューに常々そう思わせる友人筆頭がにこやかに口を開いた。
「そうでしょう、うちの赤騎士団でもカミュー目当てに入団希望者が増えて、良い人材を選びたい放題で本当に助かっているんですよ」
「しかし、それだけの顔をむさ苦しい騎士どもだけに占領させておくのは実に惜しいね。舞台に立つ気はないのかい」
「いえ、私のような不調法者には、芸術で人を感動させるような才はありませんので」
「なに、君に比べればそこら辺の役者など三流の屑さ」
自他ともに天才と認める才能ゆえに、他の芸術家をそう斬って捨てるリドイドの自信の程に、さして感慨も覚えない。彼が天才と言うことは、彼の歌を聞いたものならば誰でも認めざるをえない事実なのだ。ただその才能と、性格が比例するかといえば否としかいえないのが悲しむべき所である。
まだ話したりなさそうな顔をするリロイドに、カミューはちょうど運ばれてきた料理の話題を振り、その話はうやむやのうちに流れたものと思われた。


その後の食事会は和やかなうちに進んだ。
場を操ることにかけては天才的なアレフリィードが話の主導を握り、騎士団内で起こった他愛のない出来事を面白おかしく話すと、リロイドも負けじと、公演旅行中の珍事を語る。気が付けばカミューも隊内での出来事や友人との会話を口にしている、といった風だった。
知る人ぞ知るという名店ならではの、隠れがめいた店の雰囲気や、絶妙な料理、美味なワインが口の滑りを良くしていたのだろう。
このメンバーにしては信じられないくらい、穏やかに食事会は終わりをみせた。
会計をアレフリィードに任せ、先に店を出たカミューは大きくため息をつく。
来るまでに感じていた憂鬱と、倦怠感が嘘のようだった。
珍しくリロイドも、まともな話をしていたし、年長の友人を立ててかアレフリィードもいつもは携帯している揶揄や嫌がらせをどこかに預けてきていたようだ。
こんな付き合いならば、たまにはいいかもしれない。
そんなことを考えていた、カミューに、
「実は次の公演では歌劇をする予定なのだよ」
とリロイドは切り出した。
「当初は古典文学を一人芝居用の脚本に起こして、それに歌をつけるという構想でね。しかし、それでは単調すぎるのではないかと思い、急遽相手役も探すことになったのだよ。だが私と並び、引けを取らない役者はなかなかいなくてねぇ」
「それは大変ですね」
「だが、その気鬱も今日までのことだ。今日君を一目見て悟ったのだ、私の相手役は君以外いないと。」
「は?」
突拍子もない事を言い出した相手に、カミューは眉をひそめた。
その表情をどう勘違いしたものか、
「心配することはない、カミュー。君なら間違い無く、私と張って見事主演女優を務められるはずさ」
そう手を取られ、顔を引きつらせる。役者として、舞台に誘われるのは百歩譲って許せるが、それがどう間違ったら女優ということになるのだろうか。
猛抗議したいカミューだったが、感情的になったところで常識の通用する相手ではないことは分かりきっている。
「いや、ですから私は騎士として…」
「主演女優じゃ、不服かい?では主役の主演男優ではどうだろう?なに、君の為ならば私は、女性役でも男性役でも歌いきる自信があるよ」
それはもちろん。
彼ならばできるだろう。
二オクターブ以上もの常人離れした声域の持ち主である彼にとって、女性パートを歌うことなど朝飯前だ。
だが、問題はそんなことではない。
「いえ、ですから私にはこの胸のエンブレムにかけて誓った騎士の誓いと、なすべき務めがありますので、残念ながら役者としての道は断念せざるを得ないのです」
たとえ騎士としての誓いがなくとも、役者などなるつもりはさらさらない。
だが、自分の意志だけでは納得しないであろう相手に、カミューは特段大事にしているわけでない騎士の誓いを引っ張り出した。
「おお、カミュー…なんとつれないんだ。芸術を為し伝える者の輝かしい未来より、剣を振り回すしか能のない蛮勇共に屈することを選ぶと言うのかい。いつから君はそんな権力主義の愚衆の一人となってしまったのだ」
大げさなパフォーマンスで顔をゆがめると、膝をつく。
「それよりは私とともに芸術の奥深い真髄を探求しようではないか。」
そう語りながら、おもむろに手を取り口付けてくる相手に、カミューは顔を引きつらせた。
自分だけの世界に入り込み、大仰な言葉使いで自分に酔うリロイドの言動はいつものことだ。
芸術家にはよくあることなのかどうか知らないが、目の前でそんな言動を取られると、はっきり言って気持ち悪いの一言に尽きる。
自分知り合いならば、蹴りを入れるなり、毒舌で撃退するなりそれなりの対応ができるが、彼を相手にいつもの対応をすると、他家へ嫁いだ義姉にそれが漏れる恐れがある。いい歳をして呼び出され、にっこりと笑わない眼で諭されるのは御免だった。
どうしてくれようかと宙を仰いだ視線の端に見なれた姿を認め、カミューは動きを止めた。
少し離れた路地の角。その街灯の下に立っていたのは、マイクロトフだった。
戸惑ったような表情で、足を止めこちらを見つめる彼と視線が交じる。
見詰め合っていたのはほんの数秒だろうか。
声をかけるでもなく、おもむろに踵を返した親友の姿に、カミューははっと我に返り慌てて後をおう。
捨て置かれたソリストの抗議の叫びなど、もちろんその耳に届いていなかった。



大股で歩いていくマイクロトフの後を急ぎ足で追いかけながら、カミューは困惑していた。
後を着いてきているのは、もちろんその足音で気がついているだろうが、止まるでも振り向くでもない親友に、正直声をかけたものか迷う。
自分たちの会話を彼が聞いていたら、少々まずいことになる。あのリロイドの発言では騎士団を侮辱したようにも聞こえるだろう。生真面目で、騎士としての誇りを大事にしているマイクロトフのことだ。機嫌を損ね、食って掛るくらいの事はしかねないのだが。
さてどうしたものか。
厄介を引き起こしてくれたリロイドを恨めしく思いつつ、そう思案したカミューに、大通りの交差点に差し掛かったマイクロトフはふと足を止め、向き直った。
切れ長の目を普段よりも眇め、しかし顔は無表情のままの彼の姿はどう見ても機嫌のよいものではない。
だが、ここでひるんでいたら彼のペースに飲み込まれる。
先手必勝とばかり、カミューは穏やかに口を開いた。
「マイクロトフ、何か用でもあったのかい?」
「迎えに行くって行っただろう」
「いや、だが…」
よく行った店の場所や時間がわかったな、と言い掛け、その店がマイクロトフから以前教えてもらった所だと気がつく。彼の行った青樫亭はちょうどその先近い場所にある。帰りがけに通りかかったとしても何ら不思議はない。
「そんなことより!」
ぼんやりそんなことを考えていたカミューに、マイクロトフは不機嫌な声をあげた。
「あの男は誰だ!なんでカミューにキスなんかしてるんだっ!」
「声が多きいよ、マイクロトフ」
「ま、ま、、ま、ま、まさかッ!!カミュー、つ、付き合ってるんじゃないだろうな!!!」
「マイクロトフ、おまえ酔ってるだろう…」
どこをどう眺めすかせば、あんなとんでもない人種と付き合うなどという、蛮勇を思い浮かべることができるのか。
突拍子もない結論に達した友人に、カミューは思いっきり脱力する。
騎士団に対する中傷で憤っていたのではないのだろうか、この友人は。何がどう間違って、想像するのも恐ろしい妄想に捕り憑かれたのか、切実に聞いてみたいところである。
だが脱力しながらも、だから声がでかいって…とたしなめることを忘れない。
「俺は酔ってなんかいない!話をはぐらかすな、カミュー!」
どこがいいんだ?顔か?中身か?
矢継ぎ早に尋ねる親友の姿は、どちらかといえば口下手で寡黙なイメージの常とはかけ離れていて。
「…絶対酔ってる」
呆れたように呟いたカミューの言葉など耳に入っていない様子のマイクロトフは、喋り続ける。
「男なのに化粧なんかして、あんな妙な格好じゃ、剣の一つだってもてないに決まってる!あいつのどこが俺より優れているというんだ!」
「…強いていえば、歌声だね」
いくら変態もどきでも歌だけは一流だ。
一応あれでもプロで食べていっているのだから。
そんな、彼のファンの女性たちからは涙を流して抗議されそうなことを考えていたカミューに、
「歌?」
とマイクロトフは顔をしかめる。
「歌ぐらい俺だって歌えるぞ!」
そう宣言するなり、おもむろに四辻の噴水の縁に上った。
これにはカミューも慌てた。
「おい、マイクロトフ!危ないだろう!おまえ酔っ払いなのに…」
だがそんな制止の言葉も耳に入っていない様子で、胸を張るとマイクロトフはおもむろに歌いだした。
Rugiadose , odorose 〜, Violette,  graziose, 〜 … 」
伸びやかに歌うその歌は、南方の歌曲。
異国の言葉で歌われる歌詞は、所々聞き取れるがあまり耳になじみのないものだ。
荒削りな感の残る歌声は、技巧からするとプロのソリストとは比べ物にならないだろう。だが自信に満ちたこの歌声は、どんな高名な声楽家の歌声よりもはるかに耳に心地よい。
月明かりに照らされて、噴水を背に堂々と歌う親友の姿はまるで大舞台に立つ役者のようで、見ているだけで胸の中のささくれも溶けていくようだ。
快活なそのメロディーと朗々とした歌声に、あっけにとられていたカミューに自然と笑いがこみ上げてくる。
柔らかい月夜の寂間に、歌声と笑い声が密やかに響いていた。





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「へぇ〜?そんなことあったんだ」
「では、もしかするとカミューさんは役者さんになっていたかもしれないんですね」
「残念ながら、才能がないということが自分には分かっていたので、断念したのですがね」
感心した声で笑い合う少女達の声を微笑で受け、カミューは初夏の風に吹かれた髪を、揺るやかに掻き揚げた。その涼しそうな顔に、先ほどまで首をオウランにしめられていたマイクロトフは恨めしげな顔を向ける。
「でも誘われたんでしょう?」
「えぇ。しかしその後きちんと正式に断りました」
それよりも騎士のほうが似合っていませんか?
そうにっこり笑うカミューに、少女達は照れたように頷き同意した。
「しかしマイクロトフが歌うとは、そりゃ、隠れた才能をもっていたんだね。どこで習ったんだい、そんな歌?」
普段着で防具も付けていない所を、女とはいえ鍛え上げられた腕で締め付けられたのだ。痛む太い首を擦りながら、
「実は、姉が声楽を習っていまして…小さい頃傍で聞かされていたので多分それで…」
と、マイクロトフはしぶしぶ口を開いた。
「で、なんて曲なんだい?」
「だから!覚えていません、俺は酔っていたし…、あの後カミューにいくら聞いても自分で思い出せ、というばかりで教えてくれないのです」
そのくせ、歌えだの、と言ってからかうのです、そう怒ったように青騎士団長は視線を叛ける。だがその仕草も、数年前の若者らしい酔っ払いの行動を聞いてしまった者にとっては、すねているようにしかみえない。
笑いをこらえつつ、オウランは曲を知っていると思われる男に目をやると、視線を受けたカミューは仕方ないとばかりに、微笑し肩をすくめた。
「…"Le Violette"という歌をご存知ですか、レディ?」
「菫の歌ですね。この歌であっていればいいのですが」
首を傾げそう歌い出したアンネリーの歌声に、カミューは手を叩いて、笑みを浮かべた。
「そうです、その歌です」
「綺麗な曲じゃないか。これはぜひともマイクロトフの美声で聞きたいもんだねぇ」
そう頷いたオウランに、
「ちょっと待ってください!これは女声の歌なのではないですか?!歌えませんっ!」
マイクロトフは悲鳴じみた抗議の声をあげた。
そんな彼の姿に笑いを殺しつつ、ゆっくりと流し目を送り、カミューは囁いた。
「歌ってくれないのかい、マイクロトフ?あの歌で私は惚れたんだけどね」
おまえの声に。
最後の言葉は、こっそり胸の中で呟く。
いくらなんでもあの頃、マイクロトフは自分にとってただの親友で、それ以上でも以下でもなかった筈だ。
だが、あの堂々とした歌いっぷりも彼の本質の一部を顕すものであるなら。
あながち嘘ではないかな?とマイクロトフは見やったところ、顔を真っ赤にして固まっていた。
その姿に、思わず笑みがこぼれる。
「カミュー!!」
「いや失礼」
そんな二人の姿をにこにこ笑いながら眺めていた歌姫は、
「確かにこの歌は、少しマイクロトフさんには歌いにくいかもしれませんね」
そうおずおずと口を挟んだ。
「でも、南方の歌曲には他にも素敵な恋の歌が多いんですよ。今度よろしければ簡単な曲を歌ってさしあげますね」
そうにっこり笑ったアンネリーに、
「え…あれって恋の歌…なんですか?」
と、マイクロトフは呆然とした声を出す。
本当に何も知らなかった様子の恋人に、カミューは今度こそ笑いが止まらなかった。
カミューが歌の題名と、歌詞を知ったのはあの夜からしばらく経った後のことだ。
下町の歌姫に歌ってもらい、歌の意味を教えてもらったときには苦笑しただけだったのだが。
今思えばあの歌も彼を好きになるきっかけになったのかもしれない。
あの後、いつのまにか自分はマイクロトフのことが好きになっていて。
だが、彼の心が分からぬまま想いを抱いていた頃は、報われぬ思いを抱いている相手にわざわざ片恋の歌を歌って聞かせてもらう気にもなれず、歌の題名を言えなかったのだ。
片恋の歌ということも知らずに、あの場面で歌い出した彼は、本当にあの歌の歌詞を知らなかったのだろうか。
けれどももし知らずに偶然その歌を選んでくれていたというのも、それはそれでいいかなと思ってしまうのは、今が過ぎるほど幸せだからなのだろう。
ささやかな幸せを実感しながら笑いつづけるカミューに、何も知らない仲間達は不思議そうな目を向ける。
そんな彼らとともに不思議そうな目を向けていた恋人に、
「それは是非習って欲しいものだね」
と赤騎士団長は笑った。



その後。
青騎士団長が早朝の訓練後、同盟軍の歌姫に話し掛け、珍しい組み合わせが人目を引いたとか。時折西棟の二階の通路で深夜歌声が聞こえることがあり、フリックが幽霊かと疑い、一騒動になったとか。
そんなことが城内の人々の口の端に昇ることとなる。
だがそんなことは、翌朝のいつもよりご機嫌な赤騎士団長の笑顔を見ることができることに比べれば、些細な事柄だった。





■お題■
歌う青


20010606/Fin
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MODELED BY CAMUS&MIKLOTOV / GENNSOUSUIKODEN 2
LYRIC BY AYA MASHIRO



* Simplism *