Osculation
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賑やかしい喧騒でざわめく空間を横切り、両手にグラスを持ったマイクロトフは親友の姿を探していた。
椅子にあぶれ辺り構わず座り込んでいる人に躓かぬよう気を配りつつ階段を上ると、いつもは宿として閑静なこの空間も階下の騒ぎと変らぬ様相を呈している。
談笑に興ずる者、楽の音に手拍子を打つ者、時折グラスを合せる音や、小気味の良いコルクの音が交じる。
それはハイランドの狂皇子ルカ・ブライトへの勝利に沸き立つ、今日この城の其処ここでで見られる風景だった。
ぶつかりそうになる相手に謝罪することを何度か繰り返しながら、前庭に面した窓に辿りつくと、中途に閉められたカーテンから外を覗くこと数回。
夜闇に紛れるようにして、目当ての人物を硝子越しに見つけた。
「やはりここだったのか、カミュー」
心持ち広く取られた階下の庇部へ腰をかけ、隣室のバルコニーの手すりに絶妙なバランスで背を預けながら一人グラスを傾けている。
合図をするまでもなく、気配に気づいたらしい親友は、ただ黙って親指で背後を指す。
その意味するところを理解したマイクロトフは、大人しく指示に従った。
「良くこの場所がわかったな」
どこから調達したのか、ボトルまで傍らに置いてくつろいでいた彼は首を傾げる。
窓で隔てたバルコニーからは、室内の喧騒がどこか遠く聞こえ、懐かしい楽の音のような響きすらするその音を背後に聞きながら肩をすくめた。
「お前の行動パターンは分かりやすい」
その言葉に彼は驚いたような表情を一瞬浮かべたが、お前に気取られる程単純な行動を取ってはお終いだな、などと可愛くない台詞を吐く。
もっとも彼の外見とは裏腹に辛辣な言葉はいつものことだ。爪の先ほどにも気にせずに、マイクロトフは言を続けた。
「お前の行方を何人ものレディから尋ねられたぞ。先ほどまでは厨房の脇で若いレディのお相手をしていたようだと答えておいたが」
ひとしきり周囲と酒を飲み交わしていた彼が、さりげなくその輪から抜け、一人所在なげに樽に腰掛けて酒場の女主人を待っていた幼い少女の所へ足を向けたのはつい先ほどのことだった。
違うテーブルで談笑しながらも、彼の動向をつい伺ってしまうのはもう身に染み付いてしまった習慣のようなものである。
気取られぬように視線だけ流すその先で、親友は少女を膝に抱き上げてなにやら話かけていた。それを知っていることを暗に仄めかすと、
「なんだ見ていたのか」
とグラスを呷りながら、彼は笑った。
「お前はどこにいても目立つ」
「私も見ていたよ。向こうのテーブルでテンガアール殿とオウラン殿につかまっていただろう」
幾分眼を細め、楽しそうな微笑。
「美女二人にお勺をしてもらって、ずいぶんと楽しそうだったじゃないか。役得だったな、色男」
揶揄するような口調に知らずのうちに渋い表情になる。
確かに言い様によってはそういう表現もできなくはないが、あまりにかけ離れた実態を経験した身では返す言葉にも詰まるというものだ。
どんな流れか呑み比べ勝負をさせられ、あまつさえ負けてしまったマイクロトフは、
「…同盟軍の女性はみな積極的だな」
と言うだけに留めた。
「確かにマチルダのレディ達と比べるとそうだね。文化も違うし」
その言葉に素直に頷いた彼に内心驚くが、故郷とは離れたこの地方の女性達の鮮やかな強さに眼を見張ることは事実だった。
ほんの百年前までは縦令婚約者でも婚礼まで手すら握ることがなかったというマチルダの気風では、良家の乙女が公の席で自分から異性に話し掛けることは禁忌である。
パーティなどでは話し掛けられるか誰かに紹介されるまで、慎み深く沈黙を守る。
そんなマチルダ流の女性観を持ったマイクロトフは同盟軍に加わった当初、自らも剣をとって戦い、男達に交じって男顔負けの活躍を見せる(酒の飲み比べにすら勝ってしまう)この城の女性陣を、苦手としたものだ。
そういえばこの同盟軍で、彼が積極的に女性陣の輪の中に入っていくのも見かけない。
案外彼もこの城の逞しい女性達は苦手なのだろうか。
グラスを傾けている親友の横顔を見下ろしながら、ぼんやりとそんなことを考えていたマイクロトフは、先ほどの彼の姿に、とある考えが思い浮かび瞠目した。
大人の中に交じって、一人膝を抱えるしかなかった幼い少女。
自分から話し掛けることができない、若いレディ達。
もしかするとパーティなどで、彼が積極的に女性に話し掛けていたのは、華やかな場所に自分からは入っていけないそんな彼女達を思いやってのことだったのだろうか。
考えてみるとどの宴の席でも、彼が声をかけるのは壁の際に一人佇むような、そんな少女達へだったような気がする。
武骨な男共ばかりの騎士団の中で、珍しくも積極的に若いレディ達に話し掛けていた彼を女たらしと内心評していたり、頼みもしないのに知らない若い娘を押し付けてさっさと逃げていく後姿に無言の怨嗟を投げつけていた自分は、とんだうつけものだった。
過去の己の愚鈍さ振りにマイクロトフは、眉をしかめた。
「でも、私はここのレディ達も好きだよ。みんな元気で真っ直ぐで、見てて嬉しくなる。今夜の祝宴もマチルダであったような豪華なものに比べると、野蛮で下品で、でも楽しいんだよな」
微笑みながら光溢れる窓の中を眺めている彼の顔を見下ろす。
「ここにいる人みな生まれも育ちもみんなばらばらだし、話したことのない人が殆どなんだけど。こうやって見ていると、ああみんな生きていてくれて良かったなとか、ずっとみんな幸せだったら良いのになとか…柄でもないことを祈ってしまいそうになるよ」
ぼんやりと遠くを見るような眼差しの中で、揺らめく光と影が映っている。
いつも宴の終盤になると何処へか抜け出していく彼は、いつもこうして楽しそうに笑い合う人々の姿を眺めていたのだろうか。
探し出した時には変らぬ表情を保っていたこれまでの彼からは、見ることができなかった表情が浮かんでいる。
己が作り出した人々の輪から一歩引いて、その光景に幸せを見出すようなやり方は、およそ彼らしくなく、しかしそれも彼の本質なのかも知れない。
肌の熱すらも分け合い、全てを知ったと思っていた親友の、全く知らない姿を初めて見たような気がする。
だがそれはけして厭な気分ではなかった。
「乾杯するか」
「何にだ」
差し出したグラスに眼を瞬かせたカミューが笑う。
「そうだな…今宵の宴に、というのはどうだ」
「良いだろう」
乾杯、の声とともに響いたグラスの音は夜の闇に溶ける。
「チーズがほしいな」
グラスを傾ける静かな沈黙が心地よい。
だがそれを破るように、ぽつりと呟かれたのはいつもの彼らしい言葉だった。
「我侭を言うな」
でもやっぱり…、そう呟きながら立ちあがった彼は、器用に窓を開けると身を滑り込ませようとした。
「おい、行っても良いけど誰かに…」
「あー、カミューさん見つけた!!」
慌ててかけた制止もどうやら無駄だったようだ。
見つかるぞ…と続けようとした言葉は、外からもはっきり聞き取れる少女の叫び声にかき消される。
「さっきからピリカちゃんと探してたんだよ。こんな所に隠れていたんだ!」
「それは申し訳なかったですね。酔いを醒まそうと夜風にあたっていたんですよ…」
なおもなにか話し掛ける少女の声は、後ろ手で閉められた窓に阻まれ聞こえなくなった。
「…休憩時間は終わりだな」
誰に飲まされたのか、それともあの熱気に酔ったのか、遠目にも上気した顔でカミューの腕をとっている盟主の義姉に向けた親友の笑みは、いつものように、いや、いつもより特に甘いものだ。
やはり彼は華やかな場にいるのが一番映える。
眩しい明かりを受けて輝いていた、その残像を思い出しながらグラスを傾けていたマイクロトフだったが、やがて背後から聞こえた足音に振り向いた。
「お前もう少しここにいるつもりか」
残像ではない生身の本人だ。しかもこの短い間にどうやって調達したのか、目当てのチーズを盛り合わせた小皿を差し出していた。
「あ、ああ」
「じゃあ私が戻るまで持っておいてくれ」
全部食うなよ。
そう言い捨てて立ち去ろうとしたその背中に、
「忘れ物だ」
声をかけ手招くと、怪訝そうな顔で近づいてくる。
その顎に手を添えて触れるだけの接吻けを落とすと、軽く眼を見開いて見せた彼は鮮やかに笑って今度こそ踵を返す。
その後姿を見送ることもなくマイクロトフは、ぽつんと残っている酒瓶に手を伸ばした。
人目を忍んでこうして共犯めいた接触を重ねるのは、いつの頃からだったかももう覚えていない昔からのこと。
交わした接吻けも、もう数え切れないほどだ。
だが、今夜の彼の薄い口唇の感触は、グラスを重ねても消えそうになかった。


20020925
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LYRIC BY AYA MASHIRO




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