最近カミューには禁句がある。 「すまん、カミュー!」 「いいさ、遠乗りならまたいつでもいけるさ。」 珍しく二人とも非番の日。 近くの草原まで遠乗りをしようと約束していたカミューの部屋に現れたのは、神妙な顔で小さな箱を下げたマイクロトフだった。何事か、と眼を瞬かせたカミューに小さな箱を差し出した彼は、自団の団長から急遽グリンヒル行きの同行を要請されたらしい。 「すまない、折角休みの日を空けておいてもらったのに。レディにもすまない事をした謝っておいてくれ」 「大丈夫、これからブラシ掛けでもして機嫌を取っておくから。それより折角団長殿に眼をかけていただいたんだ。迷惑をかけないようにするんだぞ」 そう言いつつ箱の中身を漁り、さっそくその場で味見をしだす。生クリームたっぷりのケーキは甘いのが苦手なマイクロトフにとっては見ただけで胸やけのする代物だったが、カミューの評価は違うらしい。味見どころか本格的に食べ出した彼はとても嬉しそうでマイクロトフは微笑ましく見守った。 「ついてるか?」 くすりと笑みをもらした様子に顔をあげたカミューは、マイクロトフの視線で顔を撫でる。 「あぁいや…子供みたいで可愛いなと思って」 「馬鹿なことを言ってるんじゃない、マイクロトフ。それよりフィラルさまに置いてきぼりを食わないようにさっさと行った方がいいんじゃないのか」 そう窘めてさっさと追い出したのだが。 数分後、馬厩の奥。 「なんだってあいつはよりにもよって………かわいいなどっ…」 愛馬に櫛を当てながら顔を赤くして一人呟くカミューの姿があった。 そう、最近のカミューの禁句。 それは、『かわいい』と言われることである。そんな台詞を赤騎士団副団長の彼に向かって吐くのは親友のマイクロトフ以外にはいない。 なんだって年下の男にかわいいなんて言われて、赤くならなくてはいけないのか。 初めて面と向かって言われた時は、不覚にも彼の目の前で真っ赤になってしまった。やんわりとたしなめてそれからはあまり言わなくなったのだが、たまに思い出したように不意打ちをされる。 何度も注意するのは気にしているように取られると嫌だ。だからやめてくれとも言えず、その場は努めて平静を装うようにして、一人になって果てしなく照れまくるというのが最近のパターンだった。 こんな些細な事で赤くなるなんて誰にも知られたくないのだが。 「なにをしておられるんですかな、副団長殿」 「…アレフ」 気がつくと今一番会いたくない相手が後ろに立っていた。 「おやおや、顔が真っ赤ですよ」 赤騎士団で隊長を務めているこの男、カミューの先輩にして、優秀な参謀であり、悪友。マイクロトフとは違う意味で勝てない相手である。 「マイクロトフ殿と話しておられたようですが、何かあったのですか?」 「別に何もない、心配してくださらなくても結構だ」 「成る程。…で、いつもは冷静沈着鉄壁の精神力を誇る副団長殿は、一体何を言われてそんなに赤くなっておられるのですかな」 にっこり笑って重ねて問う彼は、カミューに駆け引きの妙義を教えた言わば師匠である。 勝ち目など端からない。 だから見つかりたく無かったのだが…そう内心溜息をつきながらしぶしぶ口を開く。 「あいつが馬鹿な事を言うから…」 「馬鹿な事、ですか?」 興味津々といった表情は巧妙に隠してはいるが、面白がるような瞳の色で考えている事はしっかり解かる。 「アレフ…分かってるくせに分らない振りをするのはやめてくれ。ついでに放っといてくれ」 「まぁ、そう一人で悩まず頼りになる友人に話してみろ。誰かに相談すれば案外解決法が思いつくかもししれないぞ」 顔に似合わずお節介やきな癖のあるこの友人の一番好きなこと。それは他人の厄介ごと、揉め事に首を突っ込むことだった。否、首を突っ込むだけではない、掻き回すことを楽しんでいる節がある。 一歩も引く様子を見せない悪友の様子に内心大きく溜息をつく。 駄目だ、自分の負けだ。 今ここで上手くはぐらかしても、最悪マイクロトフの面前で問い詰めかねない男なのだ。そうしたらあの真っ直ぐで心配性なマイクロトフのことだ。自分が納得するまで解放してくれないだろう。 それだけは避けたいカミューである。 大きく溜息をついて、半ば自棄になって言い捨てた。 「だから、かわいいっていうんだよ、あいつは年下の癖にこの私に向かって」 「ふーん、可愛いねぇ、あのマイクロトフがねぇ…。それで普段は万年笑顔仮面なお前にこんな顔をさせるとは、あいつも成長したもんだ」 しみじみとした口調で、わざとらしく遠い眼までして見せる友人に、半眼になったカミューは問い掛けた。 「……アレフ。一つだけ聞かせてくれ」 「一つといわずいくらでも」 「……お前どっちの味方だ?」 「それは勿論お前の味方に決まってるだろう。例えマイクロトフが入学したての士官生にも劣らず不器用な奴で、ついでに目の前にいる男が小さな親切大きなお世話と思っているような可愛げのない奴でも、俺はお前の味方をしてやるよ。同じ赤騎士団の誼じゃないか」 「……限りなく事実に即していない比較論だがとりあえず礼を言っておくよ」 「で、赤騎士団副団長様は友人の青騎士殿から可愛いといわれて困っている訳だ」 「困っているに決まってるだろう。人前で言われてみろ、思わず殴りつけたくなって手が疼くんだぞ」 真っ赤になって照れるだけの癖に、とは賢明な年上の友人は突っ込まないでおいた。その代わりもっともらしい同情の色を浮かばせ頷いて見せた。 「そうだろうな。やっぱりこういうことは言われ慣れてないと動揺するものだ。慣れるのが一番だと思うぞ」 「やめてくれっ!」 そう言ってにやりと笑って見せる悪友が次に何を言うか容易に察知できたカミューが制止の言葉を掛けるがすでに遅し。 「かわいい、かわいい、かわいい、どうだ少しは慣れたか?」 にやにや人の悪い笑みを浮かべるアレフに渋面を浮かべる。 「………慣れるも何も、何だかものすごく腹が立つんだが」 「俺以外の奴、そうだな…ガスティン様やゴルドー様に言われたらどうだ?」 「……ゴ、ゴルドー様・・・・・。よせ、考えたくもないぞ」 あからさまに渋面を浮かべた表情に、アレフは吹きだす。思っていることがすぐに顔に出てしまう馬鹿正直なマイクロトフには気取らせないようにしているが、この騎士団の中でカミューが一番疎んじているのが保身しか考えていない白騎士団長というのは知っていた。 「つまりマイクロトフに言われた時だけ赤くなってしまうと。それなら何故マイクロトフだけ駄目なのか根本原因を追求して、原因から対処するしかないんじゃないのか?」 「あ、あぁ………しかし何故なんだ?」 思わずといった風に呟いたカミューに、 「そんな事は自分で考えなさい」 と呆れたような顔をして、首を捻っている彼を残しさっさと馬厩を後にした。 「どうしてんな簡単な理由に気づかないかねぇ…」 ある特定の人の言葉に反応をしてしまうということは、その相手を意識しているということである。それが『かわいい』という言葉で赤くなるなどというあからさまな反応なら、相手をどう思っているかなんて子供でもわかると思うのだが。 山のように貴婦人達の色恋沙汰の御相手を勤めているはずの友人は、どうやら初恋すらまだだったようである。朴念仁と称されている直情馬鹿が色事に疎いのはさもありなんと納得できるのだが、経験豊富なはずの彼がこんなに天然さんだとは。正直言ってなかなか意外だった。 この調子じゃ、自分の気持ちを自覚するのもいつになるか分からないのではないだろうか。 「ま、しばらく退屈しなくてすむからいいけどな」 第三者の立場を決めこんだ友人は人の悪い笑みを浮かべた。 カミューがその単純な理由を観念とともに受け入れたのはそれから数ヶ月後のことである。 |