遠くでゴロゴロと響く音に気がつき、カミューは窓の外を眺めた。
先程までは晴れ渡っていた青い空は、灰色の雲に覆われ今にも一雨きそうだ。雨というよりも嵐の方か、そう思った瞬間、閃光が鈍色を切り裂く。
同時にもの凄い落雷の音が鳴り響いた。
「うわっ、今の大きかったな」
「すごかったですね…フリック殿大丈夫ですか?」
近くの森にでも落ちたのだろうか。
隣のフリックを見ると、思わずといった風に自身の身体を抱きしめている。
「あぁ、平気だ。こいつのせいかな?」
肩をすくめて手袋を外した彼の右手には、宿る雷の紋章が薄く浮かび上がっていた。
「自然の雷にも反応するんでしょうかね」
「さあな。けど今落ちた瞬間びりびりってきてな、感電したかと思ったよ」
苦笑するフリックにカミューは首を傾げた。
「私は火を見ても特にそういう反応は起きませんが」
「なんだろうな一体」
二人が顔を見合わせている間に、気がつくと城内は騒然とした気配がする。皆かってないほどの落雷に動揺しているのだろう。
この分では酒場に行くよりも、城内に異常がないかを見まわった方が良いかもしれない。
「馬、大丈夫かな」
「確かに怯えているかもしれませんね。フリック殿、馬はどちらに?」
「厩舎だ。お前のは?」
「ちょっと体調がおかしかったのでここのところユズさんの所へ…」
ちょうど石版の間に差し掛かっていたので、
「そうか、じゃあ気をつけてな」
軽く手を上げて駆けてゆくフリックに一礼をして、カミューは城の東方に足を向けた。
絶え間なく響く雷鳴に愁眉を顰める。
雷は苦手だった。
小さな頃、一人で草原に出ていた時に嵐に遭遇し、大きな雷が傍の木に落ちた事がある。
グラスランドにいた頃のことだからまだ十歳前後の頃か。
結局気を失って倒れている所を、探しにきた族長に見つけられたのだがそれ以来雷は得意ではない。
もちろん遠くで鳴っている分には構わないし、戦闘時にフリックが傍で雷系の紋章を行使するのも問題無い。
自身も雷系の紋章の適性があることを鑑みれば、根深い精神外傷というわけでもないのだろうが。
とはいえこんなに近くで盛大に鳴り轟かれたら、良い気分でいられる訳も無く。
「早く帰って来いマイクロトフ」
リーダーについて遠征へでかけている男を思いながら、カミューは窓の外で躍り狂っている稲光を眺めた。



東端に位置するユズが管理する牧場に向かうまでにすれ違った人達は、兵士民間人の区別なく一様に、かってない規模の落雷に驚きと畏怖を隠せない様子だった。
岬の先端のこの場所は、防風になる樹もなく、風が強く吹きつける。
急に変わった空模様に怯えたのか、いつもは大人しい動物達の鳴き声が騒がしいくらいだ。
「あ、カミューさん」
一人傍の厩舎に動物達をいれていた少女は、カミューの顔を認めほっとしたような顔をした。
「ユズ殿、動物達は大丈夫ですか?」
「あのね、カミューさんの馬が怖がってるの。ほかの子も小屋の中にいれようと思うんだけど、なかなかいう事聞いてくれなくて…」
一人雷鳴と強風の中外にいるのは心細いのだろう。いつもより幼げな口調でそう言い募る少女に、カミューは少女を安心させるべく、穏やかな笑みを浮かべた。
「お手伝いしますよ」
その表情に少女はうれしそうにうなずいた。
煩い位に鳴き続け右往左往する鶏を追い立て、哀れっぽい鳴き声をたてる羊達を誘導する。
大方の動物達を柵の中に追いやった頃、空から大粒の雫が降り注いできた。
「ユズ殿、我々も中に…」
なかなか動こうとしない牛の手綱を引く少女から、その綱を引きうけ、どうにか最後の一頭を厩舎へ納めたときには雨は小さな水溜りを生成するほどになっていた。
「濡れちゃったね」
「マントと上着が濡れただけですから大丈夫ですよ。ユズ殿は大丈夫ですか?」
「うん。カミューさんが濡れないようにしてくれてたから平気だよ」
頭からマントを被せていたせいか、少女の衣服に湿りはない。カミューの方も肩が濡れたくらいで然したる被害は無い。防具をとって上着を脱ぎ、シャツ姿になるともう濡れた所は足元位のものだ。
怯えたように鼻息を荒くしている愛馬の鼻面を撫で、話かけてやりながらふと少女を見ると、厩舎の暗がりの隅でうずくまっていた。
いつも一緒にいる羊のタロウが心配げにぐるぐるとその前を覗っている。
「ユズ殿…?」
薄暗い厩舎の奥では表情がわからない。
具合でも悪いのだろうか、そう近づいていくと一際大きく轟く雷鳴に少女の身体が大きく跳ねたのが見て取れた。
「雷が怖いんですか?」
その問に泣きべそで頷く少女に、カミューは目許を緩めた。
どんなにしっかりしているように見えてもユズはまだ十歳だ。恐れ惑う動物達を守る責任感で一時は雷に対する恐怖心からは逃れられていたが、いざ落ち着いてそれが戻ってきたのだろう。
両手で抱き上げると、涙ぐんだ眼がびっくりしたような表情で見つめる。
にっこりと微笑んだまま、積み上げられた藁の山に腰を下ろし少女を膝にのせ。
ぽんぽんと幼子をあやすように背中を叩いてやると、少女は大きく息を吐いた。
「しばらくこうしていましょうか。大きな雷が落ちてもこれなら大丈夫でしょう」
「うん」
「それでも怖かったら…」
胸にしがみついている少女の頭を軽く撫で、己が胸に引き寄せる。
「聞こえるでしょう、心臓の音が。この音を数えていたら怖くなくなりますよ」
重装をといた薄い布越しに、はっきりと相手の心音が聞こえることは実際に経験済みだから知っている。
布ごしに感じる相手の体温に気持ちが落ち着く事も。
『怖くないだろう』
突然の雷に怖がるそぶりなど微塵も見せなかった筈なのに、いきなり引き寄せられたのは今と同じように不意打ちの大雨が降った日だった。
そういえばあの時も同じように厩舎で雨宿りをしていて。
もう十年といわず昔のことだが、あの時の情景だけははっきりと覚えている。
他人の生きている証がこんなにも不安を払拭するものだとあの時知った。
「本当だ、怖くないね」
ほっとした声で囁く少女に、羊のタロウがメェェーと鳴きながら身をすり寄せる。
叩き付けるような雨音と、雷鳴が響いてもこの厩舎の中は安全だ。
せめて彼も雨を凌げる場所にいてくれればよいのだが。
暖かい少女の髪を撫でながら、カミューは温もりを教えてくれた男に想いを馳せた。



薄暗い厩舎の外で荒れ狂う雷は次第にその勢力を弱めている。
かえって雨脚の方が時間を経るにつれ強まっていくようだ。
一時は騒がしかった動物の鳴き声も今は納まり、カミューは厩舎に響く雨音に耳を寄せていた。
どれくらい時間が経ったのか、不意に雨音に混じりほかの音が聞こえる。
規則正しい雨音を乱すその音はだんだん近づいてきて、つちのぬかるむ音で誰かの足音だと分った。
まだ激しい雨の中、傘の音もしないとは酔狂なことだ。
腕の中でいつしか眠りこんでいる少女の髪を撫でながら、その足音の主が現れるのをじっと待つとすぐに大柄な影が厩舎の入り口から伸びた。
「やはりここだったか」
全身ずぶ濡れになった姿で現れた男は、口許に指を立てたカミューの合図にまごうことなく、幾分低めた声でそう微笑んだ。
久しぶりに見るその笑顔にカミューも笑みを返す。
「マイクロトフ、お前ずぶ濡れじゃないか」
「あぁ、途中で降られてな。ちょうどモンスターと戦っている最中だったから全員濡れてしまったんだ。それより大丈夫だったか…確か雷はあまり得意でなかったように記憶しているのだが」
濡れた髪から伝う雫を鬱陶しそうにかきあげる男に、カミューは眼を見張り、破顔した。
「ずいぶん昔のことを覚えているもんだな。でも……」
膝を付いて屈み込んでいる男の首筋にするりと手をまわし、そっと引き寄せる。
「この音を思い出していたから平気だったよ」
胸元でそう告げると聞こえる鼓動が少し早まった気がした。
「そうか」
それでも気真面目な顔をして動揺の色を隠そうとする男に、悪戯っけを感じたカミューは手を顔に伸ばし引き寄せる。
久しぶりに触れ合った箇所はいつものように熱いものではない。
「冷たいぞ、お前」
「カミューどうしたんだ」
いつになく接触過多な恋人にマイクロトフは惑った声を出す。
その声にカミューは自分の浮き足立った気持ちに気がついた。
どうやら自分はこの男に会えてかなり嬉しいらしい。いや、この気持ちは安堵なのか。
「なんでもないよ。……おかえり」
いつもより素直に微笑んで見せると、
「ただいま」
恋人の腕の中の少女に気遣いながら、マイクロトフは接吻けを落とした。






20000711/Fin

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LYRIC BY AYA MASHIRO




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